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C 利用国負担問題に係るセキュリティー要素の浮上及び新利用国の出現
 
 これまで、マ・シ海峡の利用国負担問題という場合、専ら、航行安全や海洋汚染防止の分野に係るもののみという認識が一般的でした。そのような中、マ・シ海峡を含む東南アジア一帯で頻発する海賊問題にスポット・ライトがあたるようになりました。その契機になった事件が、テンユウ号事件アロンドラ・レインボー号事件でした。この事件以降、にわかに海賊問題に係る国際協力体制の早急なる構築の必要性が叫ばれ、2000年4月には、東京で「海賊対策国際会議」が開催されました。この会議で採択された「アジア海賊対策チャレンジ2000」に基づき、日本の海上保安庁は、マ・シ海峡沿岸国を含む東南アジア諸国などの海上法令執行機関に対し、人材育成、対処能力向上などに焦点をあてた支援協力を実施しています(第VI章「マ・シ海峡の海上治安対策」参照)。特にマ・シ海峡は、海上交通の大動脈であるにも拘わらず、沿岸国の中には海上法令執行機能が著しく欠如した国もあり、海峡沿岸国相互の協力関係構築に加え、海峡利用国による沿岸国海上法令執行機関への側面的支援により、マ・シ海峡における執行機能を向上させる必要性が指摘されています。
 
海賊問題にスポット・ライト
■海賊問題は、IMOにおいては1983年以来、20年以上にわたり継続的に取組まれてきた問題であるが、現在においても、航行船舶の安全な航行に脅威を与える社会現象の一つとして存在し続けている。
 
■IMOにおける海賊対策に係る具体的取組みについては、1983年11月のIMO第13回総会において、はじめて海賊問題が取上げられ、海賊対策の実施、船主等への助言、海賊情報の提供を求める決議第545号「船舶に対する海賊行為及び武装強盗の防止策」が採択された。その翌年4月には、IMO第49回海上安全委員会において海賊問題が海上安全委員会の恒常的議題とされた。その後、「シージャック防止条約」等の採択(1988年3月)、海賊対策に係る各国政府への勧告や船主などのためのガイドラインの作成(MSC回章第622号及び第623号)(1993年11月)、海賊対策専門家査団の派遣(1998年10月)、海賊セミナーの開催(1998年10月〜2000年3月)、海賊捜査コードの採択(2000年11月)などの取組みが行われている。また、国連においても、1998年11月の第53回国連総会、2000年1月の第54回国連総会において、海賊対策に係る決議が採択されている。
 
テンユウ号事件
■テンユー号(Tenyu)(パナマ船籍の貨物船、重量トン数4,240トン、船主国:日本)は、1998年9月27日、アルミインゴット約3,000トン(時価4.7億円)を積載し、インドネシアのスマトラ島クアラタンジュン港を韓国仁川向け出港、その直後に海賊にハイジャックされ消息不明になった。T号は、2カ月半後、中国南東部の浙江省張家港で発見されたが、船名は「サンエイ1」に変更され、乗組員はそっくり入れ替わっており、当時の乗組員及び積荷は未だに行方不明となっている。なお、発見当時の乗組員に海賊容疑がかけられたが、証拠不十分により釈放された。
 
アロンドラ・レインボー号事件
■アロンドラ・レインボー号(Alondra Rainbow)(パナマ船籍の貨物船、総トン数7,762トン、日本船主、日本人船員は船長及び機関長の2名)は、1999年10月22日深夜、アルミインゴット約7,000トン(時価11億円)を積載し、インドネシアのスマトラ島クアラタンジュン港を出港、日本向け航行中のところ、拳銃、ナイフで武装した海賊にハイジャックされた。襲撃後、海賊の司令船がA号に接舷し、同船から新たに15名の運航要員がA号に乗り移った。一方、乗組員はA号から司令船に移され、狭い船倉に6日間監禁された後、10月29日未明、ゴム製の救命筏に移され開放された。乗組員はその後、11日間海上を漂流した後、タイのプーケット島沖で漁船に発見され全員無事保護された。
 
 11月16日、A号はインド南西沖の公海上を西に向かって航行中、インド沿岸警備隊及びインド海軍による停船命令、威嚇射撃等の後に拿捕され、インドネシア人海賊15名全員が逮捕された。拿捕当時、A号の船名は「MEGA RAMA」に変更されていた。2003年2月25日、インドのムンバイ地方裁判所において、海賊14名(1名は公判中に死亡)に対し、懲役7年の実刑判決が出された。
 
 また、2001年9月に発生した米国同時多発テロ事件を契機に、一気に海上セキュリティー確保にかかる議論が活発化しました。IMOにおいては、自動船舶識別装置(AIS)の設置スケジュールの前倒し、SOLAS条約改正、ISPSコードの制定、シージャック防止条約の改正(審議中)など、一連のセキュリティー対策が講じられました。また、米国が主導するようなかたちで、コンテナ・セキュリティー・イニシアチブ(CSI)、大量破壊兵器不拡散イニシアチブ(PSI)などの国際協力の取組みが行われています。特にマ・シ海峡においては、第II章「マラッカ・シンガポール海峡の概要」F「治安状況」において述べたとおり、新しいタイプの海上テロ事件発生の潜在的危険性が指摘されています。このため、沿岸国側も様々なセキュリティー対策を講じるとともに、日本も利用国として、これまでの海賊対策に係る協力を強化する形で側面的支援を継続しています。更に、米国も、地域海上セキュリティー・イニシアチブ(RMSI)という国際協力プログラムを提案しています。
 
 以上のように、ここ最近では、マ・シ海峡の利用者負担問題に係る海上セキュリティーの要素が急浮上し、従来からの航行安全や海洋汚染防止といった分野に対する関係者の意識が、徐々に薄れている感があります。一方で、このような動きに対応し、マ・シ海峡のこれまでの伝統的な航行安全や海洋汚染防止に係る国際協力には興味を示さなかった中国、米国、インドも、海上セキュリティー問題に係る国際協力の必要性が高まると、にわかに沿岸国に接近するようになってきました。また、韓国についても、中国や日本の動きに呼応してか、海上セキュリティー分野に関し、海峡沿岸国との接近を図っています。
 
 中国のマ・シ海峡問題への関与の程度は、中国の経済発展やエネルギー事情(第IV章「マ・シ海峡の海上交通路としての重要性」参照)を考慮すると今後急速に高まっていくと考えられます。これは、最近、盛んに中国の海洋調査船が日本近海に出没する事実にも裏付けられています(海上の話ではないが、中国は最近、国境線の未画定、棚上げなどにより生じる国益の損失が大きいとして、まず、陸上における国境線画定を隣接国と完了している)。米国についても、強大な軍事力を迅速に展開・配備するために必要となる安全な輸送路を確保することは非常に重要と考えています。第II章でも述べましたが、マ・シ海峡が位置する地域は、様々な政治・社会的かつ宗教的不安定要素を抱える地域であるため、米国はこの地域への積極的関与を通じてセキュリティーの確保を図りたいと考えています。更に、韓国についても、日本と類似する社会・経済構造を持ち、日本と同様、マ・シ海峡を経由して多量の原油を中東地域から輸入していることを考えると、マ・シ海峡の重要性は十分理解していると考えられます。一方、インド洋側においては、インドがマ・シ海峡への接近を図っています。2002年の米国のアフガニスタン進攻に際し、米国とインドが共同でマ・シ海峡でのエスコート警護を実施しています。また、現在、スマトラ島北方のニコバル諸島(インド領)付近海域(中東からの原油タンカーの航行ルート)において、インド・インドネシア両国による連携パトロールが行われています。更に、中国への牽制の意味もあってか、2000年以降、インド沿岸警備隊は日本の海上保安庁との間で、ハイレベル対話、連携訓練などの実施を通じてセキュリティー分野における協力関係を強化しています(インド・コーストガード西部方面司令官は、2004年11月に実施された日インド・コーストーガード連携訓練後に行われた記者会見において、日本の海上保安庁との連携強化の背景に政治的な意図はない、と述べている)。
 
 マ・シ海峡の利用国負担問題は、従来の航行安全や海洋汚染防止という分野に加え、セキュリティーという新しい要素が出現するとともに、これに呼応し、従来からの協力国である日本に加え、中国、米国、韓国、インドといった新しい海峡利用国が積極的な姿勢を見せています(本章B「MIMA会合」参照)。このような動きに迅速に対応するため、海峡沿岸国では、本年12月初旬、主要な海峡利用国を招聘して利用国負担問題に関する国際会議を開催する方向で調整に入っています。マ・シ海峡の利用国負担問題は、セキュリティーを核に、また、新しい利用国を巻き込み、ここ2、3年のうちに劇的に変化する可能性を示しています。
 
 今後特に懸念しなければならないことは、マ・シ海峡利用国負担問題についての中国側の認識です。中国は、日本が30年以上にわたり、日本財団他の資金援助により、マラッカ海峡協議会が継続的な支援を沿岸国に対し行ってきている事実を承知しています。そして、それが具体的にどのようなシステムであるのか、といった詳細を知りたがっています。マ・シ海峡の通航問題に関しては、日本は、これまでの沿岸国に対する協力の歴史を背景として、海峡沿岸国に対しかなりの水面下における影響力を行使し得る、と中国は考えているように思われます。先ほども述べましたが、今後、中国経済の発展を背景として、中国のマ・シ海峡への依存度はますます増加すると考えられますが、日本が影響力を持つマ・シ海峡へ過大に依存することは、中国側にとっては好ましくないはずです。中国は、ミャンマーから中国へ至る原油パイプライン建設、ミャンマーにおける中国海軍基地の確保、マレー半島を横断する原油パイプライン建設に対して関与を強めているとされますが、これは、ある意味ではリスク分散の思想に基づいた中国の戦略であると考えられます。加えて、日本の一国支援体制を打破すべく、利用国負担問題についても関与を始めたところです。
 
 日本の一国支援体制が日本全体の国益を考えた場合、良いのか悪いのか、についてはいろいろ異論があるはずですが、中国が沿岸国を支援する、という動きを止めることは困難であると考えられます。従って、今後、利用国負担制度が何らかの形で構築される場合、中国に応分の負担以上の負担をさせないこと、つまり、海峡沿岸国に対する中国の過大なる発言権を認める口実を作らせないこと、が非常に重要なカギとなってきます。そのような観点から、国ベースで構築されるであろう利用国負担制度は公平な負担を原則として中国をその中に抑え込み、それとは別個に、民間ベースの協力支援方式において日本がアドバンテージを得ることにより、これまでの海峡沿岸国に対する発言権を維持していくことも一案であると考えられます。日本は既にマラッカ海峡協議会による協力方式を過去30年以上にわたり実施しており、そのノウハウは十分持っています。一方、中国は、政府は強力であっても、そのような民間支援団体は十分育成されてはいないと考えられるためです。
 
 このように、マ・シ海峡は戦略的に重要な海峡としての宿命であるかのごとく、日本をはじめとする東アジア諸国、米国などのアジア太平洋の大国などの利害が表面化する場所であり、最近、セキュリティー問題を核として、そのような動きが活発化しています。このような動きの中で、日本は、複数の利用国の一つとして、新しい要素であるセキュリティー分野やこれまでの航行安全などといった分野においてどのような役割を担っていくべきか、過去30年以上にわたり築きあげてきたアドバンテージをどのように活用するのか、積極的に沿岸国に対し意見を言える環境をどのように整えていくのか、などについて、マ・シ海峡に係る動向に留意しつつ、適時適切に対応していく必要があります。なお、セキュリティーの問題は純粋な航行安全や海洋環境保護・保全の問題に比べ、より求心力があるため、このような動きに乗じて、航行安全や海洋環境保護・保全といった問題についても、セキュリティーにからめて解決を推進することも可能になる、という意見がある反面、セキュリティー問題に航行安全等の問題が有するモメンタムが吸収されてしまう、という危険性もはらんでおり、両者をバランスよく進展させるためには、関係国の慎重な舵取りが必要とされています。
 
 
D 他の国際海峡などにおける管理制度
 
 他の国際海峡などにおける管理制度、特に費用負担に関しては、日本海難防止協会などが取りまとめた資料がありますので、若干の紙面を割き、簡単に紹介します。
 
IX-1 他の国際海峡などにおける管理制度
区分 北大西洋流氷監視 トルコ海峡 ドーバー海峡 ジブラルタル海峡
根拠 北西太平洋における流氷の監視機関に対する財政援助に関する協定 1936年の海峡レジーム条約(モントルー条約) 英国・フランスの合意 スペイン・モロッコの合意
負担者 加盟国政府(加盟国17カ国) 加盟国の船会社 英国及びフランス政府 スペイン政府
サービス提供国 米国 トルコ 英国及びフランス スペイン
提供サービス 流氷海域の情報
(NAVTEXの航行警報等で広く周知)
通航船舶の航行援助(灯台、灯浮標等)
検疫
海難救助の役務
無線による安全サービス情報の提供
レーダーによる監視
通航船舶の航行援助(気象、海上交通等)の情報提供
費用負担の割当 北大西洋の流氷域を通航する船舶、流氷情報によりこれを避けて通航した船舶の総トン数単位 ボスポラス海峡及びダーダネルス海峡を通航した船舶の純トン数単位
費用徴収の仕組み 国務省が米国、カナダでの入港船舶に関するデーターを基に、毎年まとめて利用国から徴収する。対象船舶の把握は円滑に行われている。徴収先が国の政府からであり、徴収事務は複雑でない。なお、未払い国が多い。 海峡を通航する船舶を目視でカウントしTDIが年1回代理店から徴収している。通峡船舶は、代理店を通じて航海計画を事前に通報し、料金についても代理店経由で徴収されるため、取りこぼしが少ない。
サービス提供国と利用国の負担割合 費用の全額を利用国(米国を含む)が負担する。未納の利用国がある場合は、その分米国(サービス提供国)が負担している。 TDIの予算の中で負担費用が使われているので、費用の過不足及び負担割合は不詳である。
通過船舶と途中入港船の負担割合 負担割合に差はなく、すべて1トンあたりで計算される。 片道は半額となる。納入実例によるとボスポラス海峡とダーダネルス海峡と額は同じで、別々に計算されている。
コストの内訳 約371万米ドル(1996年の実績)
・航空機経費40.7%
・事務費26.8%
・管理費18.5%
・踏査費5.1%
TDIの全体の経理で運用されるため、内訳等は不明である。 不明 不明
運営者 米国国務省 TDI(トルコ国営公社) 英国及びフランスのCoast Guard スペイン海上保安庁
注:トルコ海峡の海峡制度に関しては、田中祐美子「国連海洋法条約が適用されない国際海峡レジームの研究―トルコ海峡レジームの変容と残された課題―」『国際海峡利用国と沿岸国の協力体制』〔財団法人シップ・アンド・オーシャン財団 海洋政策研究所〕(2004.03)参照。


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