第VI章 マ・シ海峡の海上治安対策
前章では、マ・シ海峡の海上交通路としての機能が引き続き適切に維持されていくことを、海峡沿岸国と利用国の双方が希望している、という前提に基づき、海峡の機能維持のための継続的な努力を本来的に誰がどのように行なっていくのか、という問題を考えるに際し、航行安全の観点から、これまで海峡沿岸国が海峡機能維持のためにどのような対策を講じてきたのか、海峡利用国がどのような協力を行ってきたのか、についておおまかに見るとともに、将来的な方向性として、今後どのような対策が必要となり、利用国がどのように協力を行う可能性があるのか、について考察しました。
この章では、海上治安の観点から、同様の考察をすることにします。なお、利用国による協力に関しては、後の章で詳しく検討することにし、この章では、利用国による協力が望まれていると考えられる分野に関し、その理由及び協力の内容について簡単に言及することにします。
A 海事政策当局他による対策
1. 船舶の自衛措置
(1)沿岸国の取組み
海賊行為の大部分は、港湾に停泊中または沿岸海域を航行中に発生するこそ泥的又は追剥的海賊行為です。このような海賊行為は専ら、沿岸漁民などの地域住民によって行なわれているとされています。このため、犯罪手口は国際組織犯罪組織が関与するものに比べ、未熟かつ単純です。また、使用される武器も蛮刀といった原始的なものが大部分を占めます。このような海賊行為から自船を護るには、効果的かつ非暴力的な自衛措置が取られることが有効であるとされています。このため、各国海事政策当局では、そのような自衛措置が取られるよう、自国の船舶所有者、船舶管理会社などを通じて指導を行っています。
⇒港湾に停泊中または沿岸海域を航行中に発生するこそ泥的又は追剥的の海賊行為
■海賊問題に詳しい日本財団海洋グループ長の山田氏は、その著作『海のテロリズム 工作船・海賊・密航船レポート』(PFP新書)の中で、東南アジアの海賊を次のように表現している。
「鬱蒼とマングローブが茂る島影の中から、長さ20フィート(約6メートル)ほどの木造ボートが静かに進み出てくる。一見すると漁船のように見える船体。しかし、船尾には漁船には不似合いな大型の船外機が搭載されている。
ボートは、徐々にエンジンのパワーを上げ、滑るように海原を駆け巡る。船中には、目出し帽やバンダナで覆面をして顔を隠した男が7〜8人、息を凝らし身を屈めている。月明かりの中、目だけが光り、じっと舳先を見つめている。
ボートは、今日の獲物を求めてマラッカ海峡をさまよう。狙う獲物は、けっして魚の群れなどではなく、警備が手薄な小型貨物船や小型タンカー。
船尾から近寄り、ロープを投げ入れて素早く乗り込み、一直線に操船室(ブリッジ)まで侵入する。舵輪(ステアリング)を握り舵を取っている操舵手(クウォータ・マスター)の首に蛮刀を突きつけ、当直の航海士に船内の有り金と金めのものを集めさせ、素早く奪って逃走する。
そして、漁船を模したボートは、波を切り、小島の間をすり抜け、闇に消えていく。」
■海賊行為は、おおよそ、次のとおり分類できる。
【こそ泥型】
通常夜間、停泊又は錨泊する船舶に忍び込み、乗組員が寝ている間に、現金、船具、予備品等の金品を奪い逃走するもの。通常、蛮刀等で武装している。海賊事件の大多数がこの型である。
【追い剥ぎ型】
通常夜間、航行する船舶に高速ボート等を利用し急接近し、鍵縄等を利用して船舶に乗り組み、一時的に操船要員以外の乗組員を拘束した上で、現金、船具、予備品等の金品を奪い逃走するもの。通常、蛮刀等で武装している。海賊事件の大多数がこの型である。
【身代金要求型】
航行する船舶に高速ボート等を利用し急接近し、鍵縄等を利用して船舶に乗り組み、乗組員を拘束した上で、船主等に身代金を要求するもの。身代金が支払われるまでの間は、船体及び乗組員は海賊の拘束下に置かれる。通常、自動小銃、拳銃等で武装している。ゲリラ組織や国際犯罪シンジケート等の組織が関与するとされている。
【ハイジャック型】
航行する船舶に高速ボート等を利用し急接近し、鍵縄等を利用して船舶に乗り組み、乗組員を殺害又は救命筏等で開放した上で、船舶及び積荷を奪取するもの。場合によっては、予め用意した別の船舶に積荷を積み替えることもある。奪取した船舶は船名、塗装、船籍等が変更され、積荷は闇市場で処分される。闇市場で容易に処分可能な積荷を積載している船舶が主たる対象となる。通常、自動小銃、拳銃等で武装している。大規模な国際犯罪シンジケート等の組織が関与するとされている。
【ロビンフット型】
上記の各分類に重複するが、海賊行為によって得られた金品等を付近住民に分配することにより、地域住民からの庇護を受けているもの。この種の事案の摘発を困難にしている理由の一つとなっている。
⇒海賊行為は専ら、沿岸漁民などの地域住民によって行なわれている
■インドネシア、特に、バタム島の海賊についてのレポートは数多くあり、世界各地より、海賊の実態について調査を試みる者がバタム島を訪れる。その中でも、Robert Stuart, In Search of Pirates, A Modern-Day Odyssey in the South China Sea: Mainstream Publishing 2002は非常に詳細なものである。その中に、“Piracy is not a big story in Indonesia. It is just a way of life.”という一文があるが、インドネシアの海賊を最も端的に表現したものである。
⇒効果的かつ非暴力的な自衛措置
■国際海事機関(IMO)では、船舶所有者、運航者、船長及び乗組員がとるべき自衛措置について取りまとめた回章(MSC/Circ.623/Rev.3, Guidance to shipowners and ship operators, shipmasters and crews on preventing and suppressing acts of piracy and armed robbery against ships, (29 May 2002))を発出している(現在のものは3訂版である)。
⇒自国の船舶所有者、船舶管理会社などに対し指導を行っています。
■シンガポール海事港湾庁(MPA)では、周知文書(Port Marine Circular, Piracy and Armed Robbery Against Ships (No.31 of 2003))を出し、上記のIMO回章に基づく措置の実施をシンガポール海運社会に呼びかけている。
■日本船主協会でもIMO回章などを参考にして「保安計画策定の指針」を作成、加盟船社に配布している。
■IMO回章や日本船主協会の保安計画策定の指針に示される海賊被害防止対策をコンパクトな一覧表にしたものが海事産業研究所により作成されている(海事産業研究所『海賊被害防止対策に関する調査研究報告書』(Mar. 2003)p.39-48)
2001年9月11日に発生した米国同時多発テロ事件を受け、同年11月のIMO第22回総会は、海事分野のセキュリティー強化を図る総会決議第924号を採択しました。その後、セキュリティー強化に係る一連の対策は、2002年12月に開催されたSOLAS条約締約国政府会議において採択された「SOLAS条約改正附属書」及び「船舶及び港湾施設の保安に関する国際規則(ISPSコード)」の中で具体化されました(発効日は2004年7月1日)。このSOLAS条約改正附属書やISPSコードは、船舶所有者などが政府の監督の下に自衛措置を徹底することにより、海賊、海上テロなどの行為を未然に防止するという考え方に立っています。シンガポールMPAでは、改正附属書やISPSコードに規定された一連の対策を実施するため、保安管理者(Security Officer)養成を目的としたIMOモデル訓練コースに準拠する計8コースに対し認可を与えました。既に2500名の者が本コースを終了(2004年3月現在)しています。また、船舶セキュリティーに関しては8団体を認定セキュリティー団体(RSOs: Recognized Security Organizations)として指定しています。一方、シンガポールに寄港する外国船舶が改正附属書やISPSコードに適合していることを確保するため、寄港国による監督(PSC: Port State Control)が実施されています。
⇒船舶所有者などが政府の監督の下に自衛措置を徹底する
■国際航海船舶(国際航行旅客船、総トン数500トン以上の貨物船)に適用される措置
・船舶認識番号(Ship Identification Number)の船体への刻印
・船舶警報通報装置(Ship Security Alert System)の設置
・保安計画(Security Plan)の作成
・船舶の過去を記録するCSR: Continuous Synopsis Record(これまでの登録国、登録年月日、船主、裸傭船者、船舶の船級協会、発行された証明書等について記載される)の船舶への備置き
・国際船舶保安証書(International Ship Security Certificate)の獲得
・保安管理者の選任(Ship Security Officer, Company Security Officer)
・セキュリティー評価の実施
・定期的な訓練等の実施
⇒寄港国による監督(PSC: Port State Control)が実施
■SOLAS関連条約の2004年7月1日の発効にあわせ、東京及びパリMOUに所属する各国は、集中監督活動(CIC: Concentrated Inspection Campaigns)を展開した。
(2)利用国による協力
マ・シ海峡に限定される取組みではありませんが、2000年4月、海賊対策国際会議が東京で開催され、最終的に、海事政策当局、民間海事関係者が取るべき対策をまとめた「海賊対策モデル・アクション・プラン」を採択しました。このアクション・プランにおいては、船舶が取るべき具体的措置として、IMOの回章(MSC/Circ.623/Rev.3)に従った「自主保安計画」の策定、船内における警戒監視の強化、船舶の動静把握の強化、非殺傷性の護身装備の使用などが推奨されています。
⇒海賊対策国際会議
■海賊対策国際会議は、1999年11月マニラで開催された日・ASEAN首脳会議の際、当時の小渕総理が、その開催を提案し、ASEAN各国の賛同を得たものである。
海賊対策国際会議(準備会合を含む)は、海事政策当局による会合と、海上法令執行当局による会合からなり、前者においては、海賊問題に対する海事政策当局の認識、決意をまとめた「東京アピール」、また、「東京アピール」に基づき策定された「海賊対策モデル・アクション・プラン」が採択された。また、後者においては、海上法令執行当局間の海賊関連情報の交換手続きや連携協力の強化策をまとめた「アジア海賊対策チャレンジ2000」が採択された。
マ・シ海峡に限定される取組みではありませんが、2003年12月、改正SOLAS条約に対応した海上セキュリティー・ワークショップが東京で開催されました。
(3)今後の方向性
【シー・マーシャル】
現在、マ・シ海峡を通航する船舶にシー・マーシャル(sea martial)を警乗させる、という考えがあります。これは、エアー・マーシャルの船舶版ですが、マ・シ海峡通航船舶に武器を携帯し特別の訓練を受けた警備要員を乗船させ、海賊やテロリストの攻撃から当該船舶を護る、というものです。この考えは、2004年8月下旬、シンガポールのトニー・タン副首相がマレーシアを訪問した際、アブドラ首相及びナジブ副首相に提示されたものです。マ・シ海峡では、同年7月、海峡沿岸3カ国の海軍が、マ・シ海峡での連携パトロールを開始していますが、シー・マーシャルは更なるセキュリティー対策の一つと考えられています。
⇒エアー・マーシャル
■現在、シンガポールにおいては、私服武装警備員をシンガポール航空の特定の便に警乗させている。また、地下鉄にも、私服非武装の警備員を警乗させている。
シー・マーシャルも船舶の自衛措置の一つと考えられますが、これまで、自衛措置に関しては、乗組員による武器を使用した力対力の自衛措置はかえって暴力行為を助長し乗組員の生命を危うくする、という理由から、特に乗組員側に否定的な意見が大半を占めてきました。このシー・マーシャルについては、乗組員が武器を手にするということではありませんが、同様に暴力行為を助長する結果になる危険性を含んでいます。従って、船主側、乗組員側、政府関係者などの間で十分な議論が行なわれ、コンセンサスを得る必要があります。なお、警乗という形態ではなく、武装警備要員が乗船する高速小型船舶による護衛(エスコート)という形態であれば、若干、被護衛船舶乗組員に及ぶ被害は軽減されると考えられます。
⇒武器を使用した力対力の自衛措置
■IMO回章(MSC/Circ.623/Rev.3)では、武器の携帯及び使用に関し、下記の記述がある。
45 The carrying and use of firearms for personal protection or protection of a ship is strongly discouraged.
46 Carriage of arms on board ship may encourage attackers to carry firearms thereby escalating an already dangerous situation, and any firearms on board may themselves become an attractive target for an attacker. The use of firearms requires special training and aptitudes and the risk of accidents with firearms carried on board ship is great. In some jurisdictions, killing a national may have unforeseen consequences even for a person who believe he has acted in self defense.
シー・マーシャルの警備要員の身分についてですが、警乗することとなる船舶の国籍が多様であること、マ・シ海峡通航中に複数の沿岸国の領海を通過すること、などから、国の治安機関に所属する警備要員では国の管轄権の観点から問題となります。従って、当該要員は、必然的に、そのようなサービスを提供する民間警備会社の警備員とならざるを得ないと考えられます。そのような場合には、当該サービスを受ける費用は沿岸国ではなく、船主側が負担することになります。
シー・マーシャルは業務の性格上、銃器などの武器を携帯して業務にあたることになりますが、民間の警備会社が武器を使用してそのようなサービスを行うことの是非について問題となってきます。シンガポールの街中でよく見かける現金輸送サービスを行っているのは警察です。これは国によって異なりますが、香港では現金輸送、宝石店や銀行の警備などは、ショットガンを携帯した民間警備員が行っています。日本では民間の警備員が銃器を所持することは認められていません。さらに、国によっては、警備会社にこのようなサービスを委託する場合、当該会社が海賊やテロ組織と内通しているという危険性も考慮に入れる必要があります。
シー・マーシャルに類似したサービス形態として、目的は全く異なりますが、海峡通航水先サービスというものがあります。このサービスは、あくまで、自主的な契約ベースで行われているものであり、シンガポールのPSAなどが当該サービスを提供しています。このサービスを受ける場合、1回の費用は約130万円(船舶の種類等によっても異なってくると考えられる)程度です。シー・マーシャルが警乗する場合、少なくとも複数名の要員が必要であり、かつ、危険度が大きいことを考えると、その費用は更に大きくなります。この費用はサービスを受ける船主が負担することになるわけですが、そのような莫大な費用を通峡毎に支払うことは費用対効果の観点から適当ではない、とする考え方と、積荷の総価格に比べると微々たるものだ、とする考え方と、二通りあります。
通過通航制度との関係ですが、海峡沿岸国が将来的に当該サービスの強制化を考えているとした場合、そのような通航に際しての条件を通過通航権を有する船舶に課すことができるのか、という問題が生じます。これは海峡水先制度の強制化についても同様の問題はありますが、通過通航権の性格からは、そのような条件を通航船舶に課すことは困難であると考えられます。なお、海峡沿岸国は海峡の通過通航に係る法令を制定することができますが、当該法令制定権は特定の事項(航路帯指定及び分離通航帯設定に係る航行安全、海上交通規制、海洋汚染関連の国際的規則の実施など)に限られており、対テロ対策に係るものは含まれていません。
最後に、シー・マーシャルが警乗しているとした場合の保険料はどのようになるのでしょうか。損害のリスクを考える場合、シー・マーシャル警乗によりリスクが極端に少なくなる、とは言えません。かえって船体、積荷、乗組員の被害が大きくなる、という場合も考えられます。また、責任関係も明確ではありません。船舶内で発生したあらゆる事象の責任者は船長にありますが、シー・マーシャルの業務に関連して発生すると考えられるものの責任の所在については、シー・マーシャル契約や保険契約を結ぶ際に明確にしておく必要があります。
いずれにせよ、現在この問題はシンガポール及びマレーシア政府内で議論が行われており、しばらくその推移を見守る必要があります。
【改正SOLAS条約関係】
改正SOLAS条約関係ですが、この種の対策は、マ・シ海峡沿岸国を含む東南アジア全域において均一的なセキュリティー体制が構築されてはじめて効果があがるといった性質のものです。従って、SOLAS条約に定める措置を完全に履行していない国に対しては、地域全体として適切な履行を求めていくことが大切です。マ・シ海峡の沿岸国の中では、インドネシアの低い履行状況が問題となっており、マ・シ海峡のセキュリティー体制に与える影響が懸念されます。
改正SOLAS条約、ISPSコードの対象船舶には総トン数500トン未満の貨物船は含まれません。マ・シ海峡は、そのような比較的小型の非SOLAS船舶が多数通航していることから、このような船舶に対する措置について、沿岸国による国際的な取組みが必要となっています。
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