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海難調査手続
資料3
ヒューマンエラー分析
ヒューマンエラー分析
 過去数十年間、大災害におけるヒューマンエラーに社会の注目が一層集まるようになった。専門家たちは、機械そのものの故障がなくなったことで、人的要素に自然と注意が集まるようになったと指摘している。実際のところ、災害の原因は常にヒューマンエラーである。しかし、以前は事故の被害が現場近郊に限られていたが、運輸システムが数百万トンの貨物と数十万人を動かすほどに拡大するにつれ、災害の影響とその被害地域が拡大してきている。大規模な運輸事故が発生すれば、ほぼ全ての人がその影響を受ける。これが更に多くの人々に被害を及ぼすようになると、ヒューマンエラーの意味合いが明確になってくる。このような本質的な事故原因をなくすために、ヒューマンエラーを理解し、それを防ぐことが必要になる。したがって海難調査官に最も大切なのは、発生するヒューマンエラーのタイプや種類を特定することである。ヒューマンエラーが分析されれば、あるエラーは主に特定の前提条件と関係していることがわかってくることもある(資料2参照)。また、その特定のエラーの防御が困難、または不可能だと分かる可能性もある。このような関係によって、安全勧告の内容と、沿岸警備隊が取る改善措置が決定される。
 
I.A. リーズンの包括的エラーモデリングシステム
:Generic Error Modeling System(GEMS)
 
 ジェームズ・リーズン(Dr. James Reason)は1990年自著「ヒューマンエラー(Human Error)」の中で、ヒューマンエラーに関する2つの思考体系を1つの枠組み、すなわち包括的エラーモデリングシステム(GEMS)に統合した。GEMSは動作の全てのレベルにおいて発生するエラーを統合するという点で、以前のエラー分析手法とは異なる。IMOは「海難及び海上インシデントの調査のためのコードの附属書」の作成で、GEMSをヒューマン・パフォーマンス調査に望ましい手法として導入した。沿岸警備隊もこの手法を採用している。
 インシデントの調査で最も困難な点は、関係者が起こしたエラーのタイプと、エラーの理由を正確に説明することである。海難調査官はこれを成し遂げるために、人が問題をどのように解決し、タスクを実行するかを完壁に理解していなければならない。以下では、人間の行動を技能(skill)、ルール(rule)、知識(knowledge)モデルに分けたラスムッセン(Rasmussen)のSRKモデルを紹介し、基本的に人がどのようにタスクを実行し問題を解決するのかを説明する。
 ジェームズ・リーズン(Dr. James Reason)は、先輩のラスムッセン(Rasmussen)の研究を基に、包括的エラーモデリングシステム(GEMS)を用いてヒューマンエラーを分析した。ラスムッセンの研究は、人が問題をどのように解決しタスクを行うかを調査したものである。ラスムッセンは三階層の行動を特定し、人が起こすエラーの種類はその時の行動の階層によるのだと指摘した。1981年、ラウズ(Dr. Rouse)は心理学では一般的なテーマであるが、「人間は強引なパターンマッチャー(pattern matcher)である」と簡潔にまとめた。そのように、人間の心はそれぞれの状況を分析し、最適な解決策を判断するよりも、パターンを探して「予めパッケージ化された」行動を選択しようとする。1986年にラスムッセンはこの観察から、3階層の人の行動を特定した。(1)技能ベース(skill-based)の行動(performance)、(2)ルールベース(rule-based)の行動、(3)知識ベース(knowledge-based)の行動である。
 
 一般的に、人は技能べース(SB)の行動をとる。SB行動は、タスクがあまりにも自動的で、環境も身近なものであるため、それをどう実行するかは考えない。ただ単に望ましい状態を思い浮かべるだけで、意識的に監視しなくても実現することがほとんどである。そういった活動に慣れていない場合を除き、それをいかに実行するかを意識的に考えたり、注意したりする必要はない。ただ、人はその活動がうまく(そしてどこまで)進むかを観察するだけである。活動が十分なレベルに達すれば、そこで自動機能を停止する。したがって、SB行動では適切な時に、十分な注意を払うことが求められている。そうしなければ、自動機能が行き過ぎる可能性がある。
 
III.A.1. SB行動からのレベルアップ
 複雑な状況や活動は、自動機能だけで対処することはできない。開始時点ではSB行動であるケースがほとんどである一方、人は注意チェック(attention check)を行って「予めパッケージ化された」状態、または予定されていた状態から逸脱したことを検知すると、次の段階へとレベルアップする。通常はその逸脱度合は小さく、早い段階で是正措置がとられるため、人はSB行動へ逆戻りする。人の日常業務は、主にSB行動と、次のレベル、すなわちルールベースの行動とを断続的に往復する。
 
 たいていの人は気づいていないが、人は日常生活を営む上で巨大なルール「図書館」を持っており、そのほとんどが言葉では言い表せないものである。これらのルールのいくつかは学校教育で修得するが、ほとんどは経験を通して得られるものである。人はSB行動が機能しない、あるいは機能しそうにないことを検知すると、その状況を把握しようと試みる。その際「サイン」または指標を探す。これがルールベース(RB)の行動だ。RB行動は2つの重要な部分から成り立つ。(1)認知ルール(サインXが見つかれば、状況(Y)が存在する)と、(2)行動ルール(状況(Y)が存在すれば、行動Zが適当である)である。適切なルールを見つけて問題を解決するために、RB行動では適切な認知・行動ルールを選択・利用しなければならない。
 
III.B.1.  マッチングパターン:適切なルールの選択
 前述のように、人間は強引なパターンマッチャーである。つまりサインを見て、それに合うものが見つかるまで蓄積したルールを当てはめる。状況が複雑であるため、状況間での微妙な相違により異なる解決策が必要となることもある。この点を見極めるために、人は通常ふさわしいと思われるルールを当てはめ、それがうまくいくかどうかを観察する。状況にふさわしいと思われたルールでも、それが問題解決に失敗すると、人は別のルールを探すことが多い(一般的に親のルール、子のルールのような近接関係にあるもの)。子のルールは、一般ルール(親のルール)がほぼ正しいが、それを当てはめるために多少の修正が必要になる場合に、一般ルールの例外として用いられる。
 
III.B.2. SB行動へのレベルダウン
 ふさわしいルールが得られれば、次に「予めパッケージ化された」答え、すなわちサインXが見つかれば、状態Yが存在するという公式を当てはめる。状態Yが存在すれば、Zをするが、この行動Zは単なる技能であることが多い。例えば風呂の温度調節という簡単な行動を考えてみよう。手で触ってお湯が熱ければ(サイン)、お湯は熱すぎる(状態)。お湯が熱すぎれば(状態)、水を足す(SB行動)。
 
III.B.3. 専門知識
 人はほとんどの時間をSB行動で費やすにもかかわらず、その行動を意識的に覚えていることはあまりない。莫大な実践と経験により、ルールベースの活動は(非常に複雑なRB活動であっても)意識的な限界以下に押し下げられ、技能べースとなる。
 
III.B.4. RB行動からのレベルアップ
 問題解決を試みる中で、人はパターンマッチングを行う。数多くのルールを当てはめた段階で、状況によっては自分のルールに当てはまらないような非常に複雑なものが出てくる。基本的にその状況(または問題)は、全く馴染みのないものである。予めパッケージ化された答えは適用できず、原則に基づいて、すなわち知識べースの行動から答えを生み出さなければならなくなる。
 
 役立つルールがない場合、人は先行きを積極的に予測するために自分なりの関係理解を試みる(経験の利益もない)。これは計画された「最適行為」的な働きであり、最大限の意識と思考を要する。
 
III.C.1. KB行動の質
 一般論として、人の動作はSBレベルで最良となり、RBレベルで良となる。だがKB行動はあまり得意ではない。おかしな話だが、全く馴染みのない問題の解決は初心者も専門家も同等に下手である。若者にとっては、馴染みのない状況は一般的であることから、「良き判断は経験から生まれ、経験は誤った判断から生まれる」という格言がある。
 
III.C.2. RB(とSB)行動からのレベルダウン
 状況によっては一見馴染みがないが、分析や判断、最適化を試みることで、その新たな問題と他の問題の隠れた類似点が見出され、RB、さらにはSBまで行動の段階を下げられるようになる。SBとRB間での移行のように、短い間だけKB行動レベルに留まり、すぐにRBレベルに戻ることがある。
 
 ラスムッセンの理論では、人のタスクは主にSBタスクであり、RBタスクは比較的少なく、KB行動をとることはごくわずかであることがわかる。この関係はパフォーマンス・ピラミッド(performance pyramid)として表される。
・知識ベースの階層(Knowledge base)
・ルールベースの階層(Rule base)
・技能ベースの階層(Skill base)
 ヒューマンエラー分析を実施するうえでの第1歩は、タイムラインの行動リスト(資料1参照)から分析の対象となる行動、または意思決定を特定することである。通常のインシデントでは、数多くの意思決定がなされ、また行動がとられているが、その多くがエラーであったことが判明する。資料12で説明された手順にしたがって、それぞれの行動と意思決定は生産モデル内で区分、体系化される。一般的に、ヒューマンエラー分析が困難であるときは、複数の行動や意思決定が1つの事柄として分析されていることが多い。
 
 不安全行動または不安全意思決定は、危険な状態でとられた、誤った行動または意思決定である。
 
:例えば、航行中の大型客船でライフジャケットを着用しないという意思決定は(甲板の下で船舶の端に近づくような機会がほとんどない場合)、危険を引き起こす原因がないため、不安全意思決定ではない。しかし小型船に乗って船の端や舷側を越えて作業するような場合、ライフジャケットを着用しないという意思決定は不安全な意思決定である。
 
 ヒューマンエラー分析の目的上、人が犯したエラーや誤った行動全てをリストアップして分析することは有益とは言えない。その代わり、不安全行動または不安全意思決定であるようなエラーや誤った行動に注目するべきである。そのためにはエラーや誤った行動を犯した人物の特定と共に、危険要因を明確に特定しなければならない。危険要因が特定されなければ、そのエラー・誤った行動は不安全行動また不安全意思決定とみなされることはなく、それ以上の注意は必要ない。一般的にこのような危険要因は、前提条件や防止策で確定される潜在的不安全条件(LUC)である(資料2参照)。
 ヒューマンエラー分析の第2のステップでは、そのエラーが行動や意思決定を行うときのものか、またはそれらを計画する段階においてのものかを決定することが必要になる。実行エラーには記憶力・注意力の欠如があり、計画エラーにはミステイクと違反がある。
 
 実行エラーは意図した行動シーケンス(sequence)を誤って実行すること。(例、ひとつのことをしようとして、別のことをする)。頭に描いた計画の実行に失敗すると、実行エラーが発生したことになる。
 
V.A.1. 分析チェック:SB行動かどうか
 ある人が意図した以外のことをする場合、その人は比較的意識をしていなかった、つまりSB行動をとっていたことになる。SB行動の状態にない場合は、実行エラーを起こさなかったことになる。
 
V.A.2. 分析チェック:不安全行動または不安全意思決定が複数であったか
 場合によっては、実行エラーが発生しても、それがRB行動だったということもあろう。例えば、船員が航行ルールに従って航行中(RB行動)、パニックに陥って取り舵をとる。このケースには2つの異なるエラーが含まれる。(1)船員がパニックを起こすことになったRBの不安全意思決定と(2)面舵ではなく取り舵をとったというSBの不安全行動である。実行エラーを起こしたが、それがRB行動であった場合は、その状況をさらに深く吟味する必要がある。
 
 計画エラーは、意思決定や行動を意図した通りに実行したが、その行動が状況に不適切である場合に生じるミステイクや違反のこと。計画エラーは実行エラーと対照的で、計画の実行方法ではなく、その計画自体にエラーがある。
 
V.B.1. 分析チェック:RB行動か、KB行動か
 計画エラーには中高位の意識活動が含まれるため(意思決定や問題解決)、計画エラーは全てRB行動またはKB行動である。したがって、SB行動を行っている場合に発生したエラーは実行エラーである。







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