思い出す事など
内田 暁(東京医科歯科大学医学部医学科5年)
8月末。日本。今、砂浜に腰を下ろしています。眼前には太平洋が広がっています。水平線を遠くにぼうっと眺めながら、遥か海の向こうで過ごした日々を思い起こします。
Dr. Galeaと
8月7日。マニラ。晴。Dr. Galeaと出会った。
WHO西太平洋地域事務局(WPRO)での講義の時に、Dr. Galeaの明快な語り口と、深い洞察力に心の底から感動しました。Noncommunicable Diseasesに影響を与える因子は、医学的なものから、環境因子、さらには、食品企業のマーケティング方法まで多岐にわたります。それらをすべて考慮しながら、現実的な政策を実行していらっしゃる姿が正直、格好良かったのです。
光栄なことに、その晩の宴の際、直接いろいろお話しすることができました。まず、なぜそんなにpresentationが上手いのか質問をしたら、先生は「扱っている内容が好きだからだ。自分が好きなことなら、それを伝えたいという想いが生まれる。その想いが、自然と分かりやすくて、聞いている人に伝わるpresentationを生み出す。」と教えてくださいました。人生では好きなことをやるべきだ、と強く感じました。
さらに、私は経済学部の学生でもあるので、経済と医療の関係についても議論させて頂きました。長い議論になりました。先生は「経済の理論通りに世の中が動けば、たしかに経済発展は貧しい人々にも恩恵をもたらす筈だろう。しかし、現実社会は理論通りには動いていない。ルールを守らない人もいる。そのため、経済発展が必ずしも世界の人々全体の幸せに直結するわけではない。」ということを、先生がご存知の具体的な事例を交えながら話してくださいました。そうして、先生は「そういう興味があるなら、こういう本を読んだらいい。」と何冊もの本の題名をメモに書いてくださったのです。学生に過ぎない私の相手を根気よく、しかも本気でしてくださる親切さに感激しました。
先生から頂いたWHOの報告書は、経済学的分析手法の一つにCobb-Douglas型効用関数というものを使っていました。この関数は私が以前行ったゲーム理論研究の柱をなすものでしたので、運命的なものを感じました。
Dr. Galeaとの出会いは多くの刺激を与えてくれました。少しでもいいからこの人に近づきたい、と思える人に出会えたことで、努力の原動力を得たのです。
8月10日。レイテ。曇。早朝。レイテの浜辺で線香をあげた。
祖母の兄が戦死した土地です。軍医でした。遺骨は見つかっていません。遺族の訪問も今まで叶いませんでした。彼の骨は、61年経った今も、ジャングルのどこかで風雨に晒されているのです。日本とは風土も違う遠い土地で、辛くて寂しい気持ちで眠っているでしょう。自分だったら、身近な家族だったら、と想像すると表現できないほどの寂しさがこみあがります。国家という目に見えない想像の共同体が引き起こした不幸は、人間一人一人の幸福に傷を遺したのです。
今でもそうした不幸は世界のあちこちで起こっています。多くの人が様々な努力をしているのに関わらず解決しません。私にはどうすればいいのか分かりません。祖母が味わったような深い悲しみは、誰にも経験してほしくないと祈るだけです。
8月11日。ビリラン。国際協力に対する考え方が変化した日。
研修に来るまで、国家の税金を投入して行う国際協力は、自国の国益を考えて行っているのだと思っていました。しかし、そうではないと気付くきっかけがありました。
JICAの人に対して、思い切った質問をしました。「国際協力をしたら、最終的に日本にはどういう利益があるのですか?」そして、以下のような趣旨のお答えを頂きました。「日本自体に直接の利益は無いかもしれない。しかし、世界全体のためになっている。だから、あなたが、自分は世界の一人であると考えているなら、この活動はあなたの利益になっているはずだ。」
自分が所属するコミュニティ意識をどこまで広げられるのか。それによって、国際協力の動機が変わってくる。新しい発見でした。
同期の仲間たちが、困っている人々・子供たちへ向ける眼差しは優しさに満ちていました。そうして私の考えは、「世界全体の幸福を考えよう。それは、世界の一員である自分の幸せにもつながるのだから。」という考えに成長したのです。
国際交流の図
特に印象に残った三つの出来事について書いてまいりました。これらがどういうつながりを持って、何を語りかけているのか、今はまだはっきりとは分かりません。しかし、間違いなく、私のこれからの勉学や仕事に良い影響を与えてくれる研修だったと思います。
研修をともに過ごした仲間たちは、それぞれの生活に戻りました。アフリカヘ研修に行くといって準備に余念が無い人。持ち前の元気の良さで富士山に勢いよく登ろうとしている人。夢に近づくべくマッチングに熱心に取り組んでいる人。などなど。がんばっている仲間の話を聞くと、私もがんばれる気がします。ありがとう。
最後になりましたが、お世話になった皆様、本当にありがとうございました。
“Think globally, Act locally.”
佐野 宏徳(山口大学医学部医学科5年)
私が地域医療に深い関心を持つようになったのは、高校生の時に遡る。ネパールで日本人神父が運営する障害児施設・保育園ヘスタディツアーに参加した際、日本人医師による地域の巡回医療活動に同行したことによる。その頃から、日本においても地域に密着した医療を行っている所はないかと探すようになり、そのモデルが長野県の佐久にあることを知った。それから数年が経った今年の春、いよいよ念願の佐久を訪れることとなった。その時、偶然にもお会いすることができたのが、佐久の診療所で働かれている色平先生とWHOのバルア先生である。短い時間ではあったが、住民に根ざした医療について、話を伺うことができた。バルア先生の育ったSHS(フィリピン大学レイテ校 健康科学科)には、地域のニーズに合わせた医者を育てていくシステムが出来上がっているらしい。是非見てみたいという強い想いが通じた6月末、その好機に喜んだ。
実際マニラに行ってみると、フィリピンは慢性的な医師不足に悩まされ、地域偏在はおろか、高賃金を求め、多くの医師が看護師にあえて転身し、欧米諸国へ流れていく現実を知った。そして、国内では生活習慣病と感染症という疾病の二重構造に医療資源が追い付かないということであった。そのことを学んだ上で、地方のレイテに行ってみると医師が数千人に1人の割合でしかおらず、現状は更に厳しいと感じた。でも、その中でフィリピンの保健センターのシステムとSHSの教育方針は見事にマッチしていたのだった。
村の子供たち
レイテの保健センターではSHSの卒業生が数多く働いていた。そして、主に保健師、看護師、助産師が地域住民の母子保健や健康管理を引き受け、住民に対し、最も身近な機関として機能していた。また、薬の処方や正規分娩など日本では医師でしか出来ないであろう医療行為も一部許可されているようであった。皆保険や医療設備、マンパワーの問題などを考えれば日本と単純に比較することは不適当だろうが、地区病院は疾病管理の機能を果たしているように感じた。SHSの試みは地域に医療従事者を定着させるだけでなく、よりCommunity orientedなニーズに合った医療の人材を送り出していると思った。
それは、Step Ladder方式(詳しくは8月10日の報告書を 参考にして頂きたい)だからこそ、出来たことが大きいのではないかと思った。実際の学生と一緒に実習に同行させて頂き、より深く学べたらもっと実感できたのだと思うが、SHSでの講義や、保健センターの見学の中で、そのことを肌に感じることが出来たのは幸いであった。写真の子供たちの健康を最前線で担っているのは、村の保健センターである。
では、対して「日本の医療はどうなのだろうか?」
深く考えさせられることになった。
現在、日本でも地方の医師不足が問題となっており、つい最近、厚労省は地域選抜枠を増員する方針を明らかにした。私の大学でも医師の地方離れが問題になっているが、「残って。」と言うだけでは、その魅力を中々感じ取りにくい。大学病院で見る患者さんは、受療行動からすると、全体の数%の人に過ぎないという。機能分化している以上、仕方がない面はあるが、学生自身が望まなければ、研修医になり町に出て初めて、他90%の患者さんと接することになるそうだ。他90%の患者さんもまた別の悩みやニーズを持っているはずだし、生活があり、仕事があり、家族がある。学生時代より、彼らも含めた疾患を持つ人々のいる社会の営み、生活について、もっとベーシックに触れることが出来るようになれば、社会のニーズに合った医師を育んでいける気がする。そして、地方の魅力をもっと高めていけるはずである。
また、地方−都市部の問題だけではない。急性期−回復期−慢性期の問題がある。例えば、急性期病院で治療できた脳血管障害の患者さんが、後遺症に苦しみ、「生活の質」を元通りに回復することが出来ず、社会、はたまた自分の家でさえ、希望する生活に戻れないということがある。それは、医療が急性期治療に目を向ける余り、その人が社会に戻る際に希望するニーズとの間に乖離を招いてしまった点にあると思う。臨床医学では、疾患を基本に扱うが、これからはプラスして、その後の社会生活の質にまで目を向けたマインド、システム作りが必要だと思う。社会が高度複雑化し、地域の密着性や家族の絆が薄れつつある日本においては、健康を扱うプロフェッショナルである医師が率先して、これらのことに介入していかねばならない時代になって来ているのだと思う。誰もが健康に過ごせる世の中というのは、残念ながら、あくまで理想に過ぎないと思う。疾患と付き合いながらも、その人らしく生きていける世の中というのは作れないものだろうか?
みんなで
この11日間、WHOから地域の保健センターまで、フィリピンの保健医療の現場を隈無く学ぶことができた。また、心合う仲間、そして尊敬できる師と深く議論ができた。その中で、日本のこと、自分の将来のことについて深く考えることができたのは、この旅の一番の収穫であった。日本にいては中々気付くことが出来なかった現実に向き合える機会が持てたことは、本当に幸いなことであった。
“Think globally, Act locally.”
この言葉は、佐久で知った言葉である。
フィリピンから帰ってみて、「ひと、そしてCommunity」を一番に、考え行動していくことの大切さを実感できるようになった。すてきな13期のメンバー・先生・スタッフの方々、そして、この機会に預かれたことによって成し得たことで、心より感謝したいと思う。このことを忘れず、次に繋げていきたい。どうもありがとうございました。
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