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8月10日(木)
本日のスケジュール・内容
午前
1)Schistosomiasis Hospital, Schisto Research Center 訪問
 /Palo, Leyte
2)Rural Helath Unit 訪問/Tanauan
3)City Health Office 訪問/Tacloban
午後
4)UP SHS(フィリピン大学レイテ校)/Palo, Leyte
Travel: Leyte to Biliran
5)Meeting with Gov. Espina / Biliran
 
1)Schistogomiasis Hospital, Schisto Research Center訪問
 /Palo, Leyte
 Schistosomiasis Japonica(日本住血吸虫)の専門研究施設として、1975年、フィリピン政府と日本によって建てられた。臨床施設は、1982年開院で、現在25床、医師4人、看護師7人、コメディカル15人ほどで運営されている。
 日本住血吸虫症は中国、フィリピン、インドネシアを中心にアジア地域に今も4、000万人超の患者がおり、日本でもかつてはミヤイリガイ(宮入貝)の生息地域に限局して分布していた。日本住血吸虫はミヤイリガイを中間宿主、ヒト(経皮感染)を最終宿主として、宿主間で循環した生態を持つ。
 症状は皮膚の掻痒症に始まり、発熱、腹痛、肝腫大と増悪していくが、Praziquantelの化学療法によって治癒に向かう。実際、虫卵検査陽性の患者に対して、虫体を殺傷するための治療を行っており、入院後3〜7日間で退院されていた。ヒトヘの感染が湖沼や田んぼから経皮的に起こるので、住民に農作業時など水場に入るときは注意すること、症状が出たらすぐ病院に行くことなど、住民向けに分かりやすく啓蒙活動を行っている。
 「湖沼のミヤイリガイを全滅させれば、住血吸虫はいなくなるのでは?」という質問に対して、生態系を崩してしまうこと、全滅させるよりかは、感染者のコントロールをした方が容易だということで、今後も感染者のフォロー及び住血吸虫の研究、社会政策の提案を行っていくことが大切とのことである。併せて、地方では医師不足が深刻で地域の総合病院の役割を担うため、まずは精神科を設置し、住血吸虫以外の疾患にも対応していくとのことだ。かつての日本にも住血吸虫症を始めとして、水系感染症が蔓延し、それらを克服した歴史があり、その経験を活かせる施設であると感じた。
 
研究センターにて住血吸虫を鏡検する
 
2)Rural Helath Unit訪問/Tanauan
3)Tacloban City Health Office訪問/Tacloban
 フィリピンの保健システムの概略は以下の通りである。
 
 
 このようにフィリピンの保健システムも日本と同様、中央−地方で階層構造が取られていた。
 ただ、日本の保健所と異なり、診療所レベルでの診療部門が別途設けられていた。City Health OfficeとRHUでは、規模の違いはあるものの、母子保健、結核、環境保健(食品、水質管理)、口腔衛生、住血吸虫コントロール、ハンセン病コントロール、献血などのプログラムが組まれていた。
 
Tanauan市の町並み
 
 どちらのHealth Officeにおいても医療スタッフ同席の下で、各々に受診して来られるハンセン病患者の方々(3〜4人)とお会いする機会があった。昔は、隔離政策や差別に苦しめられていたが、現在ではRifampicinにより他の皮膚病患者方と同様に、外来受診で疾病コントロールができるようになったとのことである。
 また、乳幼児死亡率が高いことがRegion 8の特徴に挙げられ、母子保健プログラムは特に力を入れており、予防接種は積極的に行われていた。日本で作られた母子健康手帳がフィリピン版に改められ、配布されていた。Region 8のBiliran州では、JICAの支援により「妊産婦及び乳児死亡率の減少を目標とした緊急産科ケアシステムの構築」を掲げ、5ヵ年の新プロジェクトが開始される。その内容については、翌日の報告書をご参照下さい。
 
4)UP SHS(フィリピン大学 レイテ校 健康科学科)
 /Palo, Leyte 〜村人とともに〜
 UP SHS(以下SHS)はフィリピン初日よりお世話になっているWHOのBarua先生の母校である。Barua先生と共に副学長のSue先生よりお話を伺った。「レイテ、ミンダナオを中心にフィリピン全土の地方から学生を受け入れており、卒業生にはバングラデシュから来た人も1人います。」と言うと、メンバーから笑いがこぼれ、Barua先生もちょっと照れていらっしゃった。
 SHSの特徴とフィリピンの抱える医療資源流出の問題について考察する。
 SHSは1970年代において、保健医療スタッフが地方に残らず、大都市や海外に流出していく現実に対して、地域で働く医療スタッフを養成する学校として作られた。現在でも、半数以上の国民が地方に住んでいるにも関わらず、そこでの医療従事者は全体の30%未満にすぎない。また、70年代より外貨獲得のため推奨されていた海外での出稼ぎは、今や国民の10%超、約800万人に及び、医療分野では、国内の医療体制を揺るがすまでになってきた。その主な原因として、
・医学教育は全て英語で行われ、語学にも堪能であること
・医師の賃金でさえ3、4万円(フィリピンの物価は日本の1/2〜3程度)と薄給なこと
・欧米諸国での看護師の不足
 が挙げられる。看護師の年間の新規登録者が5,000人強に対し、毎年15,000人の看護師が新たに北米、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、ドイツなどへ流出していく。その中には、医師から海外で比較的働きやすい看護師にあえて転身し、海外へ働きに出ていく人が年間3,500人にも及ぶ。その現状を踏まえた上で、SHSは危機克服に多くの特徴((1)〜(4))を備えている。
 
SHSの校舎
(世界で一番小さい医学校だそうだ。)
 
図書室にて自習に励む学生
(本棚には新しい洋書が並ぶ。)
 
(1)地域より選抜された学生−卒後は地元で働く人材となっている。
(2)教育は病院ベースとコミュニティーベースを繰り返し、現場重視である。
(3)Step-Ladder方式をとり、段階的なカリキュラムである。(1年目で助産師、2年目で看護師、3年目で保健師、8〜10年目で医師になる。地域のニーズに合わせ復学やキャリアUpが随時可能。)
(4)WHOからも地域密着型の保健人材養成のモデルとして評価されている。
 
 (1)〜(4)の成果として、過去30年余の卒業生約1800人の内、助産師1229人、看護師604人、保健師298人、医師114人を輩出し、その95%が国内(多くは出身地)に定着するという実績を残している。
 現在、日本でも地方の医師不足が問題となっており、つい最近厚労省は東北5県を初めとする10県に毎年10人の地方選抜枠を設ける方針を明らかにした。SHSの試みは地域に医療従事者を定着させるだけでなく、助産師、看護師、保健師、医師と包括的な職を持った医療のプロフェッショナルを輩出するという点からも、より地域のニーズ(Community Oriented)に合った人材を提供していると考えられる。少子高齢化が進み、医療資源の不足・偏在化が予想される日本においても学ぶべき点は多いと感じた。
 
5)Meeting with Governor R. Espina
 Leyte島の隣島、Biliran島へ車で約3時間移動した。夜は、明日行われるJICAの新プロジェクトの前夜祭で、Biliran州知事の経営するリゾートホテルにて夕食会が行われた。Biliran州のEspina知事、JICAの花田さん、フィリピン大使館の荒木医師が出席された。フィリピン沖で取れたというマグロの刺身が振舞われ、メンバー一同、美味しい食事を満喫した。
(文責・佐野)
 
久々の日本食、それも生マグロに大満足
 
Barua先生を交え、今日の総括です。
 
8月10日 今日の一言
齋藤:日本で見た経験の無いプラジカンテルの薬瓶。会ったことの無いハンセン病、寄生虫を持つ患者さん。ただの学生に過ぎない私たちの前に、姿を見せてくれる方々に感謝。
西:夜バルア先生を独占していろいろ話せた。バルア先生が新婚の奥さんをレイテに連れてきて先生のしていることを実際にみてもらったという件で、涙がほろほろになりそうだった。バルア先生、だいすき!!
内田:朝レイテの海岸で祈りをささげる。西君や白神君が僕が以前取り組んでいたゲーム理論に興味を持ってくれた。嬉しかった。でも、あまり語るものを持っていないので、期待に応えられなくて残念。もっと勉強しなければと思った。
佐野:今日は報告書の当番日。つまり挨拶の日。とにかく緊張しました。そして、耳を象のように広げて英語聞きまくりました。かなりの集中力で、ぐったり。みんなから教えてもらった情報にも感謝です。夜はにっしーとドクターバブーと人生談義。最高にいい1日でした。
白神:Barua先生の母校を見学。現地の医学生が図書室で一生懸命勉強している姿を見て、自分も勉強しなきゃと。ビリラン島までの長いドライブの間は西村先生の楽しく有り難いお話を拝聴した。やっぱり人生の先輩の話は貴重です!
高谷:Cyclic timeという概念に、わたしたちも学ぶところがある気がした。ものごとを長い目で見る心の余裕を持ちたい。
田畑:City Health CenterではJICAが作成した母子手帳をコピーして活用。予防接種の記録が残り重宝しているとのこと。JICA撤退後も継続されていることが嬉しかった。
舛岡:若干風邪をひいたがプールに入り、その後食事時間に部屋で唾魔に襲われた。海も見えたのだがいかにもビリランの山中といった感じでどうなることかと思っていた。しかし、梶のダンス等も楽しめてナイスだった。
梶本:車内で麻紀ちゃんと私で生み出した松本源二ゲームはかなり盛り上がったなぁ。夜のライブでの松本さんの姿は超カッコ良かった。私もビートルズのCDをツタヤで借りて、歌って踊れる医者を目指します。
:生活のためには生活パターンを変えられず、住民が住血吸虫に繰り返し感染している現状を見た。これはきっと他の病気でもあることなんだと思う。現状に応じた問題解決は難しいが、重要なことだと再認識した日でした。
中野:Barua先生の通った学校を見学。アットホームな雰囲気の中で、熱心に勉強する学生の姿が印象的でした。
:UPレイテは、大学らしくない、フレンドリーで懐かしい雰囲気の学校だった。その特殊なシステムについて学ぶ。ここがバルア先生の母校なのかと感慨深かった。
原田:英語も通じない患者・その家族とのコミュニケーション。身振り手振りには限界がある。出発前、仲佐先生より現地の言語を使える重要性を伺ったが、それを再認識。


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