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2006 国際保健協力
フィールドワークフェローシップ 参加報告
11日間を終え・・・そして今思うこと
齋藤 怜(浜松医科大学医学部医学科6年)
 小学校1年生の時だっただろうか。雪の降り積もる寒い国に生きる、年老いた女性が、テレビに映し出されていた。彼女は体調が悪く、卵を食べたいが買うお金が無いと言って、ジャムをお湯に溶かして飲んでいた。私の目の前には夕食が並び、家族みなお腹いっぱい食べた後だった。何も疑問を抱かなかった自分の環境と、世の中の違いを初めて認識し、「こんな人たちのために何か自分が出来ることは?」と思ったのが、私の国際保健への関わりの原点であったように思う。
 
戦争記念碑の前で遊ぶ子
 
 長い年月が経ち、『何か』が医療と結びついたのは、高校生で見に行った国境なき医師団の写真展だった。つまり海外の現状を思い、将来を考える時、私の脳裏に浮かぶ姿は、NGOとして自分自身が途上国現地で、実際に医療をする姿であったのだ。
 しかし4年生で、タイのMahidol大学主催「Integration of Health and Social Development」に参加して、初めて行政と末端で働く保健師の関係を知り、次の年Bangladeshに行った時に、医療の形はタイと同じだが全く機能していない現状、医師として働くだけが医療ではないことを感じ、そして今回フィリピンのこのプログラムに参加し、もっと上流に位置するWHOに触れ、色々考えを巡らせることとなった。関わり方には様々な方法があり、関わるのであればそれだけの知識と責任が必要で、自分が「やってあげたい」という思いは、時として間違った方向・結果を招いてしまう。
 川で多くの溺れている人がいるとき、溺れている人を引き上げて助けることが、目の前の患者さんを相手にした臨床であり、その川の上流に何があるのかそれを探って対処する、例えば川を塞き止めることや、柵を作ることが公衆衛生だという例えを聞いたことがある。私の大学の公衆衛生学の授業では、毎回様々な分野で働く医師の話を生で聞く機会に恵まれた。学問として机上で学ぶだけではない、現場の生き生きとした仕事を見聞きして、公衆衛生の面白さを知り、臨床、行政、研究、どの仕事にも魅力を感じた。
 
UPの学生との交流会にて
 
 だから、今回の研修を通し自分が必要とされる立場はどこなのか、もしくはどこがやりたいのかを見極めることが出来ればと考えていた。だが実は11日間終えた直後の感想は、『頭脳流出など、その国の問題を解決出来ずにいるまま自分が関わっても、外国人である自分が出来ることは所詮その場限りでしかなく、その国にとってプラスの存在になれるとは限らない』というネガティブなものであった。去年違う国で薄々感じていたことに、フィリピンで決定打を打たれたような思いだった。
 しかしフェローを終えて1ヶ月近く経ち、もう一度、Barua先生の「60億人分の1人の自分が出来ること」の意味を考え、同じ時間を共有した12人の仲間を思い出した。今回参加したメンバーは考えやキャラクターが様々であり、同じ目標に向かっているわけでもなかった。しかしそれこそが医療世界のミニチュアで、「その国のためになる国際協力」のみを考えてきた私にとって、彼らの考えは新しい風を吹きこんでくれていた。
 今思うことは、将来行政官や臨床医、研究者として自分の出来る立場で世界に関わっていくことが医療界を作っていく、またこれからも彼らと交流を持ち、お互いの立場を尊重して意見交換することが、自分を、牽いては世界の医療界をより良くしていくことだ。そして自分にとってふさわしい立場とは、探さなくても自然と用意され「同じ世界の一人」という思いを持って行動する、それが「自分が出来ること」であり、より良い世界を作る歯車の一つとなると考えている。
 最後に、このフェローを開催するにあたりご尽力下さった全ての先生方、事務の方々、一緒に過ごした友や先生に感謝し、一つの歌詞を引用して感想と致します。
 
A new point of view
A walk in your shoes
I wish I could get inside your head
To see what you see
When you look at me
Cause I could've lived your life instead.
by Stacie Orrico
 
お土産物屋の裏
 
バランガイの子どもたちと
 
情熱−それは電報では伝えきれない−
西 晃弘(東京大学医学部医学科6年)
 学生生活最後の夏だった。今回の旅を通じて得たものは多い。非常に密度が濃く、心がけることもたくさんあった11日間だった。そして何より、とても楽しい時を過ごすことができた。よく笑い、よくくだらないことを言い、よくはしゃぎ、よく踊り、そしてよく話した。手術後1ヶ月というハンディの中での参加だったのにも関わらず、そのことすら忘れてしまうほど充実したフェローシップになった。これも一重に皆さんとの「出会い」のおかげと思う。
 今回のフェローシップで私は、メンターとしてこれから頻繁に連絡を取り相談に乗って頂きたいと思うバルア先生と西村先生の両先生、同じ経験を11日間共にしこれから久しぶりに会ってもあの時の空間に戻って自然に楽しめるであろう仲間たち、また会いに行きたいなと思ってしまうマニラのWHO職員の方々やフィリピン人の友達、そして笹川フェローシップという強力なネットワークを手に入れることができた。将来、社会疫学や医療政策の分野において研究者や行政官の立場で世界を飛び回り仕事をしてみたいと考える私にとって、これらはなくてはならないものだ。
 特に、バルア先生と西村先生との出会いは貴重であった。バルア先生には、WHOでの仕事の時間を割いてまで本当によく面倒をみていただいた。さまざまな体験をしながらもぶれずに自分の生き方を見つけていった姿勢、楽しむときには思いっきり楽しむ心、若い世代を育てようとする意識、若者からも学ぶことにできる柔軟な態度を先生と接する中で感じることができた。例えば、バルア先生がレイテ島で仕事をしていた際、当時新婚であった夫人にどのように自分がコミュニティーで信頼され、そこでの仕事を生業としているかを理解してもらった話や、バスの中でメンバーの数人とした人間関係の中で約束をどう取り付けるかのシミュレーションにおける先生の反応、が特に印象深い。公衆衛生をこれからやっていく際に、統計上のデータとして数字には上がってこない大切な何か−ものがたり−がどれほど大切かをひしひしと感じた。先生の言われたOcular Surveyのマインドはこれから忘れずに常に持ち続けたい。私はまだまだだ。
 西村先生には、公衆衛生の分野でかけだしの研究者にも及ばない私にさえ、とても真剣に議論に応じていただいた。信頼していろんな質問をぶつけることができた。研究者としてのキャリアパス、そしてマニアックだが、介護保険の介護度認定の制度設計についてなど、あれやこれや明け方4時半まで語りあった最後の夜は一生忘れられないだろう。西村先生を通じて、公衆衛生の分野で生きていくことのおもしろさをより感じられるようになった。フェローシップ中、西村先生の姿に将来の自分を重ね合わせて考えることがよくあったが、絶妙のタイミングで鋭い点をふと指摘する姿、そして、学生の中に混ざって生き生きと議論する姿、それでいてとても謙虚な姿を心からかっこいいと感じた。なくてはならないお父さんのような存在である。
 私はこのフェローシップにおける「出会い」の中で、ここで紹介した2人を含め関わることにできた全ての人たちの情熱に触れることができ、とても幸運だった。ああすごいな、と素直に感じ、尊敬することができた。この情熱は、今回私たちが関わることができた人たちに限る必要はなく、笹川フェローシップそのものに第1期の開始当初から息づくものであるのかもしれない。この意味でも、今回のフェローシップを支えて下さった事務局の皆様に本当にお礼を言いたい。そして、今回の私の体験をこれからフェローシップに関わっていく人たちと共有したいと思う。また、私に2年続けて推薦状を書いて下さった東京大学大学院医学系研究科公衆衛生学分野の小林廉毅先生に、この場を借りてお礼を言いたい。最後になりましたが、日頃からどんなときでも私を支えてくれる父と母、そして身近な友達に心から感謝したいと思う。皆さん、本当にありがとうございました。
 
フィリピンでの懇親会にて、Barua先生を囲んで


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