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夢にむかって。
白神 一博(千葉大学医学部医学科5年)
 今回のフェローシップに参加したベースには、今は学生である自分だが、小児科医として働いているであろう将来、機会があれば、ぜひとも国境を越えた仕事をしたいと思っていたことが大きく関係していた。
 小児科医として働いていこうかと思っていた自分が実際に、どのようにして国際協力の世界に入っていけばいいのか分からないし、そもそも、国際的に働くとはどのような環境で、どのような仕事をするのか、まったく分からないような状況であった。
 そこで、是非一度実際のフィールドを見てみたいと思っていたし、また実際に働いている人たちと接してみたいと思っていたところで、このフェローシップと出会うことが出来た。
 このような経緯で参加したフェローシップで果たしたいことは3つあった。
 まず1つ目は将来的に国際的な仕事をしたいという意志だけは持っていた僕だったが、卒業後具体的にどのように行動していけば自分のやりたいことが出来るのか、その道筋をつけることだった。これは、初日の懇親会で国際医療センターの仲佐先生とお話することで一つの道を見つけられた。これはとても大きな収穫だったということは言うまでもない。これから約10年間、自分が医者としてどのように過ごしていけばいいのかアドバイスをいただけたのだから。
 普段の学生生活では、周囲に仲佐先生のように国際的な仕事をしているような人はいないため、今回のフェローシップで聞けたような話は決して聞くことは出来なかったのである。
 そして、2つ目の日標は医療後進国の実状を見てみたいということである。
 将来、国際的な仕事をと思うのであるが、では、どのような地域で働こうかと考えた時に、僕は日本と比べて医療後進国で働きたいと考えたのである。日本国内でも小児科医不足が叫ばれる中、日本から離れて海外で働くことが本当に良いことなのかは分からないが、自分が日本で働き培ってきたものが後進国ではきっと役立つと考えたからである。
 しかし、後進国の実情はまったく知らなかった。百聞は一見に如かずであるように、やはり将来働きたいと思う地域でどのような医療が実際に行われているのか見ておかなければならないと考えたし、また、現状を見てみれば日本から来た医者としてどのような働きぶりを求められているかも分かるのではないかと考えたのである。
 
マニラのスラム街
 
 今回のフィールドワークで医療の現状をしっかりと見られたと言うことは言うまでもない。さらによかったのは、富裕層ではなく、スラムで生活している人々がどのような環境で生活をしているかも見ることができ、医療システムに限らず、その国の実情が見られたことは大変有意義であったと思う。今回の訪問だけで、将来どのような協力形式が求められるのか、明確な具体案を編み出すことは残念ながら出来なかったが、これから考えていく中で、人々の実際の生活の様子がみられたことは、今後どのような形式で協力をしていくべきか考える上で、とても貴重な材料になっていくこと間違い無しである。
 最後の3つ目は国際医療に僕と同じように興味を持つ同士たちと知り合うことである。
 大学ではなかなかこのような仲間に出会うことはできないし、ゆっくり話すことも、同じ時間を過ごすこともできなかった。国際医療と言ってもいろいろな仕事があり、様々な立場がある。今回知り合ったみんなは価値観も違えば、考え方も違う。だからこそ、将来やりたい仕事も違う。でも、それがとてもよかったのだ。なぜなら、今回様々な価値観・考え方に触れ合えたことで、自分とは違うそれらをしっかりと理解することが出来たからである。今回のみんなとの出会いのおかげで、将来、仕事をしていく上で、他の立場の人達がどのようなことを考えているか考える際にきっと役立つはず。
 みんなから教えてもらったことはとっても貴重な財産だよ。これからも度あるごとに思い出して自分を奮い立たせるようにするからね!みんな、本当にありがとう。
 このように、今回のフェローシップでやりたいと思っていた3つのことは全てかなえられた。得たことはもちろんこれだけにとどまらない。11日間で経験したこと全てがとても、とても貴重な財産である。学生の間にこんなに素晴らしい経験が出来るなんて思ってもいなかった。
 この貴重な財産を必ず将来に継げていきたいと思う。
 このような貴重な機会を与えていただいた国立保健医療科学院の方々、笹川記念保健協力財団の方々、海外研修に同行してさまざまな経験をさせてくださり、またお話をしてくださった西村先生、Barua先生、松本さん(源二さん)、中住さん、本当にありがとうございました。みなさんから受け取ったものは決して無駄にはしません!
 
Kanluganのstreet children centerで兄弟達と。
この子達の笑顔のために働きたい。
 
 
これからの自分に
高谷 紗帆(北海道大学医学部医学科5年)
 先進国に暮らすわたしたちが途上国と呼ばれる国の惨状を目にした時によく言うこととして、“それでも彼らは素敵な笑顔をしているね”というのがあると思う。その言葉にわたしたちは救いを見出そうとする。自分自身にもそういうふしはあった。しかし、彼らの笑顔が素敵なことは、彼らの強さや明るさを表すものではあっても、彼らの生きる状況の過酷さとは別次元の問題である。それは当然のことなのだが、今回の研修の中でわたしが最も強く痛感したことである。わたしが出会うことのできたフィリピンの人たちは、とても親切で暖かかった。そんな出会いに感謝すると同時に、彼らの生活や社会の抱える問題を忘れてはならないのだと自分を諫める瞬間があった。外国からやってきたわたしたちに見せてくれる笑顔やもてなしは、ある意味彼らの生活の最も良い場面かもしれない。また、数時間彼らの生きる場所に身を置くことから、生涯そこに生きることを完全に推し量ることはできないはずだ。厳しい状況の中にあっても、人は客人をもてなし笑顔をうかべられるのだということに、わたしは人間のたくましさや健気さを垣間見たが、だからといって自分が何もできていないというふがいなさを忘れてはならないのだと感じた。
 
 さらに、もうひとつ今回の研修を通してわたしが痛感したことは、思っていることは行動に出さなくてはならないということだ。今のわたしは、世界で起きる多くのことを知ることはできる。それについて興味を掻き立てられたり、憤りを感じたり、心を痛めたりする。しかし、そこで止まっている。そこから、一歩踏み出し何かすることはとても難しい。国際保健協力というのは、その行動を起こすことなのだと思う。誰もが感じる不条理に対して、できることを模索することなのだと思う。もちろん、それは国際保健協力だけが担っているわけではなく、そのことも忘れてはならないことのひとつだろう。
 
 今回のフェローシップで何を得たのか? 自分なりに考えてみたが、まだ頭を整理しきれてはいない。ただ、これからの自分にひとつ言えるとすれば、それは“視野を広く持ち、想像力を持ち、行動に出る人間であれ”ということだと思う。そして、今の自分に必要なことをきちんとこなし、今の自分にできることから始めてみたい。今を誠実に過ごすことが、わたし自身の望む自分になることにつながっていくはずだ。
 
 最後になってしまったが、貴重なチャンスを与えてくださったすべての方々に感謝し、この経験を生かしていくことで恩返ししていきたい。
 
フェローシップを振り返って
田畑 敦子(鳥取大学医学部医学科5年)
 今回、本フェローシップに応募したのは、マクロ(GO)・ミクロ(NGO)双方の視点から多角的に国際保健や開発途上国の保健事情を捉えてみたいと思ったからだ。
 私は、教養学部を卒業後、医学部に入学した。医学を志す契機は教養学部在学中に参加したベトナムでのNGO活動だった。それは、貧富の差により医療が受けられる人と受けられない人がいる現状、そして人々の健康・環境に対する関心の低さを肌で感じた経験だった。‘病む’ということは、専門知識を持たない者にとって不可解で対処できない苦しみであり、その苦しみを傍観するだけでなく、状況をよい方向へ向かわせる手助けに、専門知識を用いて直接関わる権利を持つ者、それが医師である。目の前で助けを必要とする人の苦しみや不安の緩和に直接携わっていきたい。そう思い、医師を志すようになった。しかし、入学後、公衆衛生学の先生方のお話や様々な活動を通して、国・地域レベルで大規模な政策を行うGOの活動にも関心を持つようになった。将来、国際保健医療分野で従事したいという想いを漠然と抱いていたが、実際に自分はどのようなアプローチで関わっていきたいのか、その答えを探していた。
 
 11日間のフェローは、そんな私にとって大変意義深い経験となった。
 WPROやJICAと国・地域と大きな単位を対象とし、大規模な政策を扱う機関を初めて訪問した。一方、カンルーガンでのNGO活動では、個々の子供たちに対応し、地域に根ざした活動を行っていた。両者を訪問し、国際医療保健にはGOのマクロ的な、そしてNGOのミクロ的なアプローチ双方が互いに協力しあうことが必要だと感じた。両者、アプローチは異なるが、それぞれの政策の実行において歴史、政治、経済、教育、宗教といった地域の文化が深く影響することは共通する。したがって、アプローチに関わらず、政策が地域に根付き継続されていくためには、その地域を多角的に捉えることが不可欠であり、Barua先生がおっしゃっていた「地域を知る」姿勢の重要性を改めて感じた。
 
 RHU訪問では、1枚の紙にコピーされた母子手帳が衝撃的だった。以前、母子手帳普及のプロジェクトがその地域であり、その時のものを今も自分達でコピーして使用していた。母子の健康状態や予防接種の把握に重宝しているとのこと。国際保健医療協力において、物資や人材の援助期間中は政策が実行されても、援助期間終了後、現地の人たちのみで継続して活用されることが難しい現状が少なからずあるそうだ。これらの問題の改善として現地の人たちと対話し、互いの技術や知識を共有し、その地域に適した方法を見つけることが考えられる。しかし、物資が限られた中で、援助後も同様に継続していくことが可能なのだろうか、どのような政策が考えられるかと思っていた矢先の出来事だったので、なんだかとても嬉しくなった。もちろん、母子手帳は必要な物資がほぼないため、普及・継続しやすいものであるが、地域の人たちのニーズにマッチした知識や技術は引き継がれていかれると思う。
 
 また、バロンバロン(つぎはぎ住居)が立ち並ぶ貧困地域、マニラ市内のストリートファミリー、フィリピン大学、レイテ・ビリラン訪問など、フェローの全ての経験を通して自身の視野を拡げることができた。将来、どのように国際保健医療分野で携わっていきたいのか。その明確な答えはまだ出ていない。しかし、どの分野に進むこととなっても、Barua先生がおっしゃっていた「人々の中に入って学び、地域を知る」姿勢は不可欠であろう。このことを胸に刻み、医学・医療と真摯に向き合っていきたい。
 最後になりましたが、このような素晴らしい機会を与えてくださった、笹川記念保健協力財団、講義をして下さった先生方、同行してくださった西村先生、中住さんに心より感謝を申し上げます。


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