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F マ・シ海峡の国際法上の法的地位
 
1. 現在の法的地位
 
 マ・シ海峡は、厳密には同海峡の地理的範囲とも関係してきますが、公海の一部分と公海の他の部分とを結ぶ、国際航行に使用されている海峡(Straits used for international navigation)(国際海峡)です。国際海峡の中でも、マ・シ海峡のように、ある一定の条件を満たすものについては、「通過通航制度」が適用され、通航船舶は害されない(not impeded)通過通航権(Right of Transit Passage)を行使して通航することができます。なお、インドネシア沿岸においては、インドネシアは群島国家(Archipelagic State)であり群島基線(Archipelagic Baselines)を採用していることから、マ・シ海峡の中と言えども同基線のスマトラ島側海域は群島水域を構成することになります。当該水域には群島航路帯(Archipelagic Sea Lanes)の指定は行われておらず、また、当該水域に接続するインドネシア領海部分には通常国際航行に使用されている分離通航帯が設置されていることを考慮すると、当該群島水域を航行する外国船舶は、無害通航権を行使して航行することになります(通過通航制度については、第VII章参照)。
 
2. 法的地位の変遷
 
 国際海峡としてのマ・シ海峡の法的地位は、様々な変遷を経て今日に至っています。ここでは、その変遷について、年代順に追ってみることにします。
 
II-17 海峡沿岸国における主要な動き
インドネシア マレーシア シンガポール 日本
1957年12月 ジェアンダ宣言により群島国家宣言
1958年
第一次国連海洋法会議、ジュネーブ四条約(領海条約等)の採択
1960年2月 群島法制定
1960年
第二次国連海洋法会議
1966年 Archipelagic Outlook in 1966
1967年(S42)
マラッカ海峡の通航帯設置に係る日本提案(IMCO-NAV 4)
1969年(S44)
1月〜3月
4国合同水路調査(予備調査)
1969年8月 緊急政令制定
1970年3月
マラッカ海峡領海確定協定
1970年(S45)
10月〜12月
4国合同水路調査(第1次調査)
1970年10月
マラッカ海峡会議設立の日本提案(IMCO-NAV 10)
1971年7月
国際海峡における通過自由を認める米国提案(国連海底平和利用委員会)
1971年10月
インドネシア・シンガポール会談、インドネシア・マレーシア会談
1971年11月
海峡沿岸3カ国共同宣言(16日)
1972年(S47)
1月〜4月
4国合同水路調査(第2次調査)
1973年
第三次国連海洋法会議の開始
1979年12月 Peta Baru (New Map)の公表
1982年4月
国連海洋法条約の採択
 
 1957年、インドネシア政府は同国が群島国家である旨のジェアンダ宣言(Djuanda Doctrine)を行いました。また、1960年には群島法(Archipelago Act)(1960年法律第4号)を制定し、群島(直線)基線(当該基線の内側海域の内水化)、領海幅12海里を採用しました。しかし、その当時、群島国家の概念はありましたが、広く国際社会に認められたものではありませんでした。また、領海幅についても、既に国際社会の趨勢が3海里を容認しない方向ではあったものの、統一した認識は形成されていませんでした。
 
広く国際社会に認められたものではありませんでした。
■1951年のノルウェー漁業事件判決において、国際司法裁判所(ICJ: International Court of Justice)は、沿岸群島と本土との間にある水域と、当該本土の陸域との間にある密接な関係を考慮し、当該沿岸群島に直線基線を採用し、当該基線の内側を内水とすることを認めた。大洋群島に係るインドネシアの主張は、群島と内部水域との密接な関係を主張にしている点では、ノルウェー漁業事件判決の影響がみられる(深町公信「国際海峡と群島水域の新通航制度」『日本の国際法の100年第3巻 海』〔国際法学会〕三省堂 97頁)
 
統一した認識は形成されていませんでした。
■1960年、領海幅員問題に焦点を絞って開催された第二次国連海洋法会議においては、6海里と12海里との対立となったが、最終的にはコンセンサスが得られなかった。ちなみに、「日本は一貫して3海里を主張して、領海幅はその国際法規則が確立されないかぎり、いずれの国に対しても主張しうるのは3海里であるとした。」(栗林忠男「海洋法の発展と日本」『日本の国際法の100年第3巻 海』〔国際法学会〕三省堂 8-9頁)
 
 インドネシアの群島国家の考え方は、1966年の「Archipelagic Outlook in 1966」として完成することになります。当時の中央政府は、西イリアンジャヤ(West Irian)に対するオランダの影響を排除し、西スマトラなどの分離独立を目指す動きを抑え、1万数千に及ぶ領土を統合することこそ、インドネシアという国家の保全に必要不可欠であると考えていました。インドネシアには、地政学的に2つの大洋と2つの大陸を結ぶ位置にあり外国からの侵略を受けやすい、という認識があり、特にマ・シ海峡はインドネシアの海峡の中で唯一他国と共有する海峡であり、自国の完全な管理のもとにはおけない、という意味で、この海峡の危険性を危惧していました。
 
 1960年代、マレーシアではサラワク州(ボルネオ島)やトレンガヌ州(マレー半島東岸)での海底油田開発が開始されており、領海12海里採用の必要性が高まっていました。1969年8月2日、マレーシアは緊急政令(Emergency Ordinance)を制定し、領海幅12海里及び直線基線を採用します。これは、マ・シ海峡におけるインドネシア、マレーシア両国間の領海を確定するにあたり、マレーシアが、群島基線、領海12海里を採用するインドネシアと公平な立場に立つ必要性から定めたものです。1970年3月、両国はマラッカ海峡の領海確定協定を締結します。この協定の裏には、二つの必要性があったとされています。一つは、マ・シ海峡の航行安全対策を効率的に実施する上で、領海確定が必要であったこと、もう一つは、マラッカ海峡に海底油田があると考えられており、その権益を確保する必要があったことです。当時、航行安全対策の必要性に係る両国の考え方は、通航船舶を守る、というものではなく、通航船舶の海難事故により付随的に発生する油流出事故などから自国の海洋環境を守る、というものでした。
 
領海幅12海里及び直線基線を採用
■マレーシアの領海12海里の採用に対し、1969年(昭和44年)10月9日、日本政府はこれを留保する旨の口上書をマレーシア政府に手交している(マラッカ・シンガポール海峡航路整備事業史〔財団法人マラッカ海峡協議会〕(1978)36頁)。なお、これが原因となって、海峡沿岸国と日本とによる4カ国合同水路調査(第一次)の開始が遅れることになる。
 
領海確定協定
■1970年3月17日、両国の間では、マラッカ海峡の領海の境界線を定める条約(Treaty between the Republic of Indonesia and Malaysia on Delimitation of Boundary Lines of Territorial Waters of the Two Nations in the Strait of Malacca)が締結されている。
 
 1970年頃、マ・シ海峡の国際化を試みる二つの動きがありました。一つは、1970年(昭和44年)初頭より、日本の運輸省を中心として「マラッカ・シンガポール海峡における国際航路の整備に関する条約案骨子」がまとめられ、海峡沿岸3カ国に提示されました。このようなマ・シ海峡の国際管理に関する問題は、1970年(昭和45年)10月の第10回航行安全小委員会、1971年(昭和46年)7月の第11回小委員会において議論されましたが、マラッカ・シンガポール海峡を国際化された海峡に導くような議論は適当でない、という沿岸国側の態度表明により、これ以上、この構想を推進することが不可能となりました(マラッカ・シンガポール海峡航路整備事業史〔財団法人マラッカ海峡協議会〕(1978)150-153頁)。このため、これ以後、マラッカ海峡協議会による協力方式が現在まで継続しています。また、もう一つの動きは、1971年に、米国が国際海峡における通過自由を認める提案を国連海底平和利用委員会に行ったことです。これは、「従来、国際海峡で認められていた無害通航権は、無害性の認定を沿岸国が恣意的に行う可能性があり、・・・12カイリ領海のもとでは不都合である、と発言して、領海条約に規定された定義の国際海峡で公海と同様の通過の自由を認める条文案を提出した」(深町公信「国際海峡と群島水域の新通航制度」『日本の国際法の100年第3巻 海』〔国際法学会〕三省堂 97頁)というものです。この提案は、第三次国連海洋法会議に受け継がれ、様々な妥協を経たのち、最終的に現在の海洋法条約の国際海峡制度に反映されることになりました。
 
「マラッカ・シンガポール海峡における国際航路の整備に関する条約案骨子」
■この条約案では、航行援助施設の維持管理費などを海峡を利用した自国船舶のトン数割合に応じて利用国が負担すること、また、当該負担金の決定、利用国からの徴収、沿岸国への交付などの業務を行う「マラッカ海峡会議(Malacca-Singapore Straits Board)」を設立することなどが規定されてある。
 
 このような海峡利用国のマ・シ海峡国際化の動きに対し危機感を持った海峡沿岸国は、1971年、マ・シ海峡は国際海峡でないこと、マ・シ海峡は無害通航の原則に従って国際海運に使用されること、などを内容とする共同宣言を行いました。なお、このような情勢変化に因り、4国合同水路調査(第2次調査)の実施が遅れ、調査が開始されたのは1972年(昭和47年)1月になってからでした。
 
共同宣言
■共同宣言の内容は下記のとおりである。
・3カ国政府は、マラッカ・シンガポール海峡における航行安全は、関係沿岸国の責任であることに同意する。
・3カ国政府は、両海峡における航行の安全に関して、3か国間の協力が必要であるとの合意に達した。
・3カ国政府は、マラッカ・シンガポール海峡における航行安全に対する諸努力を調整するための協力機構を、早急に設置すること、及びそのような機構は沿岸3か国のみから構成されるべきであることに同意した。
・3カ国政府は、また、航行安全の問題と両海峡の国際化とは、互いに別の問題であることに同意した。
・インドネシア政府とマレーシア政府は、マラッカ・シンガポール海峡を無害通航の原則に従って国際海運に利用することを全面的に認めてはいるが、両海峡は国際海峡ではないという点においては合意した。シンガポール政府は、この点に関するインドネシア政府及びマレーシア政府の立場に注目した(The Government of the Republic of Indonesia and Malaysia agree that the Straits of Malacca and Singapore are not international straits, while fully recognizing their use for international shipping in accordance with the principle of innocent passage. The Government of Singapore takes note of the position of the Government of the Republic of Indonesia and of Malaysia on this point.)。
・この了解に基づいて、3カ国政府は水路測量の継続を是認する。
 
 以上のような国際情勢の中で、1973年、第三次国連海洋法会議が始まるわけですが、インドネシア及びマレーシア両国は、一連の交渉の中で、マラッカ海峡を航行する船舶の航行を妨害する意図はないが、あくまでも沿岸国の領海を通航しているという認識が必要である、という主張を行なっています。そして、1982年、9年にも及ぶ交渉の結果、国連海洋法条約が採択されます。この結果、領海幅12海里、群島国家概念、国際海峡における通過通航制度など、マ・シ海峡に適用される国際的な法制度が確立しました。その後、1986年、インドネシアは同条約を批准、1994年、同条約が発効するとともに、シンガポールが批准、そして、1996年、マレーシアと日本が同条約を批准し今日に至っています。
 
 シンガポールの立場は、インドネシア、マレーシアとは若干異なり、一貫して、どの国の船舶も沿岸国の干渉を受けることなく自由にシンガポール港に到達することに国益を見出していました。そのような観点では、シンガポールは海峡利用国の利害と共通するものを持っていると言うことができます。このようなシンガポールの立場は、1968年のシンガポールの前々首相であるリー・クアン・ユーの発言にも現れています。
 
1968年のシンガポールの前々首相であるリー・クアン・ユーの発言
■Singapore is ever willing and ready to help Japan maintain the safety and freedom of navigation of the high seas which include the Straits of Malacca. (Japan Times (1968.8.30))
 
 上記発言の中の「公海上の」という部分については、当時は、マレーシアもシンガポールも領海幅は3海里であり、インドネシアも12海里を一方的に主張しているだけであり、国際的趨勢は3海里であったことからすると、もっぱら、国際協力が必要となる国際航路は公海上に位置していたと考えられる。
 
G その他の特徴
 
 マ・シ海峡は、安全保障や治安維持の観点からも重要な役割を果たしています。現在、マ・シ海峡を挟んで、北側がマレーシア、南側がインドネシア、その中間にシンガポールが存在しています。この地理的関係は自然の防御線を構成し、特にシンガポールにとっては、外部からの軍事的干渉や、密輸品の流入、密航者の侵入を困難なものとするなど、非常に重要な役割を果たしています。一方、米国など軍事力を世界的又は地域的に展開する国にとっては、大量の軍事戦略物資を迅速に他の地域へ移動する場合の必要不可欠な海上輸送路となります。
 
シンガポールのマングローブ林
 
 マ・シ海峡の海洋環境は、オーストラリアのグレート・バリアー・リーフやアマゾンの熱帯雨林などのように、その存在自体に重要な価値が認められるまでには至っていません。しかし、マ・シ海峡の沿岸地域に群生するマングローブやマ・シ海峡の水産資源については、沿岸国にとっては貴重な海洋環境であると認識されています。マ・シ海峡では、過去に大規模な油流出事故が発生していますが、流出油がマングローブ群生地に漂着した場合、砂浜などに漂着する場合に比べ、その除去作業は困難を極めるとともに、マングローブ自体もおおきな被害を受けることになります。このように、マ・シ海峡を海洋環境の観点から見る場合、油流出事故など船舶起因の海洋汚染事故を極力防止することが必要になっています。


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