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5 出版物
 MAIBは、すべての調査結果を調査報告書として公表するとともに、事故の要約と教訓を収集したSafety Digest(資料1)を出版している。
 また、MAIBは、Annual Reportのほか、折に触れて安全性の問題、安全性の動向、その他海運界に対して必要な注意事項に焦点を当てて、その報告書を発表している。
 
 運輸大臣は、社会的に極めて重大か、あるいは、複雑な性質を有する海難事故(Accident)やインシデント(Hazardous Incident)が発生した場合で、海難関係者に対する懲戒の必要性があるときには、MAIBが調査を行っているか否かにかかわらず、海難審判(Formal Investigation)の開催を指示し、本件を司法(Judiciary)を管轄する司法長官(Attorney General)に移管しなければならない。
 これは、Herald of Free Enterprise号事故で、運輸省が原告と被告の二面性を持つと指摘され、同時に同省の管轄下にあった海難審判もその矛盾点を追求されたことから、Merchant Shipping(Formal Investigation)Rules 1985が、1990年に改正され、海難審判が司法省の担当(Court of Enquiry、Formal Court)になったことによる。
 (従前は、運輸大臣が任命したWreck Commissionerによる運輸大臣のFormal Investigationで、MCAがAdviceに当たっていた。)
 この海難審判は、イングランド、ウェールス及び北アイルランドでは大法官(Lord Chancellor)によって任命された海難調査委員長(Wreck Commissioner)が、また、スコットランドでは州長官(Sheriff)が、それぞれ審理を主導する。
 海難調査委員長は、通常、上席裁判官(Senior Judge)が任命されるが、その際、1名以上の裁判所補佐人(Assessor)が補佐(Assistance)に当たる。
 ただし、海技免状(Officer's Certificate)の停止(Suspension)又は取消(Cancellation)等が問題となる事案では、少なくとも2名の裁判所補佐人が補佐に当たる。
 なお、裁判所補佐人は、船長、機関長、漁船の船長、海軍士官、造船技師、その他特別の技術又は知識を有し、管理者としての経験を持っている者とされている。
 一方、海難審判の審理に当たって、MAIBの主席検査官(Chief Inspector)は、海難調査委員長及び検事総長を、技術的な立場よりも(Rather than in a Technical Evidence Nature)むしろ指導や教訓といった行政的な立場(In an Administrative Nature)で支援する。
 審判の目的は、第1には、海上における人命と財産の安全のための合理的な基準(Reasonable Standard)を維持することについて支援(Assist)すること、第2には、事故の原因を確定し、査問(Inquiry)による調査研究的及び懲戒的機能(Investigator and Disciplinary Functions)を併せ果たすこと(ただし、当事者間の民事責任(Civil Liability)を定めるものではない)、そして、第3には、事故が不正な行為(Wrongful Act)又は僻怠(Default)によるものか、仮に、過誤(Fault)によるものであれば、懲罰を課す必要があるかどうかを決定すること、にある。
 審判の客体は、MAIBが行う調査の客体と同一であり、船舶の国籍又は航行海域と事故の態様との二つの条件によって定められている。
 海難審判が開催されるのは、事故がMajor Accidentで、かつ、その海難関係人に対する懲戒が必要な場合に限られ、年に1回開催されるかどうかというほど稀有なことで、1989年のMAIB創設以来3件のみである。
 それは、Reopeningを含むFormal Investigationには、多大な費用と時間が掛かり、下手をするとMAIBの年間予算を突破するおそれがあるからである。
 (なお、プレジャーボート事故に係わる海難審判は、開催されたことがないという。)
 審判は、調査委員と海難関係人及びその弁護士の対面・対峙方式(Adversarial Style with Cross Examination)で行われ、海難関係人は、弁護士の帯同が許されている。
 海難審判は、調査を終了した段階で報告書を公表することになるが、補佐人(Assessor)は、これに署名する必要があり、反対であればその理由を付記する。
 大臣は、海難審判(Formal Investigation)が行われたのち、新たな、かつ、重要な証拠が発見されたとき、あるいは、公正さを疑うに足りる根拠があると思われたときには、海難審判の再開、または、高等法院(High Court、スコットランドでは Court of Session)に再審理(Re-opening、Re-hearing)を命じることができ、その審理は司法省に移管される。
 再審理については、前項「(5)海難調査の手法」において述べたとおり、小型遠隔操作艇ROVの発達に伴う沈船の捜索、調査技術の進歩に従って、行方不明となっている乗組員の家族の感情やメディアの報道により、最近、海難審判の再開を求める圧力が強まってきているが、このような事故の調査再開について、MAIBは、海難審判のAdvisorとして過度の人手と時間を取られるうえ、将来の海上安全面で得られるメリットは少ないか又は全くないので困惑しているとのことである。
 そして、来年は、2件の海難審判の再開(Reopened Formal Investigation)が見込まれているので、各検査官は、その対応に引き続き忙殺されることが予想されるとして苦悩の色を濃くしている。
 なお、海難審判が再開された最近の事例としては下記のDerbyshire号沈没事故がある。
 本件は、Iron Ore Concentratesを満載し、Quebecから日本に向かっていた英国籍船のOil/Bulk/Ore Carrier(OBO)のDerbyshire号(総トン数 91,654トン、全長294メートル、9船倉)が、建造4年目の1980年9月10日、沖縄東方沖合の太平洋上で台風Orchidに遭遇し、4,200メートルの深海に沈没して、乗組員42名と乗組員の妻2名の計44名が全員死亡したという事故である。
 本件は、1987年に海難審判(Formal Investigation)が開催され、1989年に調査報告書が出されたが、確たる証拠が得られないまま、本船は有義波高10.86メートル、風速56ノットの波と風に横たわる状態となって沈没したと結論付けられた。
 これに対して、遺族会は、姉妹船のフレーム65の隔壁あたりの亀裂を引き合いに出してDerbyshire号の構造上の欠陥を指摘し、再調査を求めたため、国際運輸労連(ITF)はその要望を受け入れて、しんかい6500による海底調査を実施し、同船の映像を含む報告書を英国運輸大臣に提出した。
 英国政府は、同報告書に基いて再調査の必要性を確認したのち、UKとEUの費用負担で1996年に予備調査、1997年に潜水調査船を使用した詳細調査(14万枚近くの写真とビデオ撮影)を実施したのち、1998年に報告書を出し、上記隔壁あたりの構造には異常が認められず、本件発生は前部のボースンストアのハッチ蓋を固縛していなかったことによる浸水が主たる原因であるという結論を出し、乗組員の過失を示唆した。
 この報告を受けた副首相は、海難審判の再開を命じたため、本件は改めて、かつ、初めて高等法院(High Court)で審理されることになり、多数の科学者、技術者、船長等の証言及び水槽実験を基に法律論を抜きにした技術的、工学的に検証され、原因は、隔壁の欠陥やハッチの固縛不十分ではなく、長時間にわたる前部甲板への連続した波の打ち上げによるベンチレーションやエアパイプの破損、それに基くボースンストア、機器室、バラストタンクなどへの浸水、更には船首トリムの増加に基く1番船倉ハッチカバーの破損、浸水と進み、最終的には2番船倉、3番船倉も同様な運命をたどって沈没したと結論付け、ハッチカバーの強度基準を見直すように勧告している。(COLMAN Report)。
 
7 海上保安庁との関係
 海上保安庁(Maritime and Coast Guard Agency)は、MAIBと同じく、DfTに所属する機関で、かつ、本部もサザンプトンに置かれているが、MAIBとは全く別個の独立した組織である。
 すなわち、MCAは、主として海上の安全に関する法令(Marine Safety Legislation)を執行する機関(Executive Agency)で、港湾や沿岸の警備・整備、あるいは、人命や船舶の捜索・救助等のほか、海上交通に関する故意又は過失による刑事事件を捜査(調査)し、これを検察庁へ告発する手続きを行っている。
 因みに、最近の被告発者は、1987年3月のHerald of Free Enterprise号横転事故を契機とした1988商船法の施行以来、国民の要望もあって、船長のほか船主も刑事訴追され、裁判で罰金、懲役を科されるというケースが増加しているという。
 前述のとおり、MAIBは、同一海難をMCAとともに調査することもあるが、MAIB・MCA両者間のProtocol(Agreement)によって、MAIBに優先調査権が与えられている。
 また、調査の中味は、MAIBが事故原因に係わる広範な組織的問題を取り扱っているのに対して、MCAは起訴する人物の行動のみを調査しているのが現状であり、それが両機関の特色である。
 なお、MCAは、船員に対する海技免状の発給や船舶の検査も取り扱っているが、海技免状の停止や取消を行う権限は有しておらず、それは、海難審判(Formal Investigation)等の審理に拠らなければならない。
 一方、MAIBは、海難事故を効率的に調査するため、MCAの海上作業局(Maritime Operations Directorate、MOPD)と接触することが多く、取り分け調査実施地域を管轄する地方海事事務所(Local Marine Office)のマネージャーやサーベヤーと接触することが多い。
 それは、地方海事事務所が当該地域に関する貴重な資料や知識を豊富に持っているうえ、何かにつけて地方海事事務所の施設や設備を利用でき、また、捜索や救助等に関する情報の提供を受け易いからである。
 例えば、ドーバー海峡通航情報サービス(The Channel Navigation Information Service)から、同海峡の船舶通航状況等に関する監視記録の提供を受ける、などがそれである。
 
 MAIBは、常にヒューマンファクターの解析手法について最新の情報を得ることに努めるとともに、事故の原因をヒューマンファクターに基いて特定することに集中している。そして、調査官に対してヒューマンファクターに関する多くの訓練を実施しているほか、ヒューマンファクターの専門家チームとオンコール契約を結び、助言を得ているという。
 また、調査官に、講演やプレゼンティション、討論会、執筆を行わせ、自己研鑚とともに船員に対して安全メッセージを普及させることもしている。
 一方、社内セミナーや外部セミナー、或いは、ヒューマンファクター調査員とのOn the Job Training(OJT)も行っている。
 教材としては、調査手引書、調査指導書、調査用チェックリスト、調査手法のメモ、証人への事情聴取専門テクニックに関する研修メモ等がある。
 取り分け、MAIBは、海難関係者は仮に免責制度が確立していても、真実を語るかどうか疑わしいので、3 Days CourseでもってInterview技術の訓練を行っているという。
 
 Hazardous Incidentとは、Merchant Shipping(Accident Reporting and Investigation)Regulation 1999に、「Any event, other than an accident」と定義され、また、Accidentは、「Any contingency caused by an event」と定義されている。因みに、Incidentとは、それらを総合した出来事であるという。
 MAIBは、Hazardous Incidentの調査を義務付けられているが、海難関係者は、その報告義務を課されておらず、報告を奨励されているのみである。
 したがって、匿名性を保証した海難事故報告機構というシステムを採用しているMARS(別題「英国航海学会(The Nautical Institute)における海難調査」参照)には報告があっても、MAIBには報告がないといった事案が多々見られるようになった。
 そこで、2003年6月、Hazardous Incidentを取り扱うために、MAIBから完全に独立した、公益信託(Charitable Trust)としての、危険インシデント機密報告制度(Confidential Hazardous Incident Reporting Program、CHIRP、チャープと呼ぶ、資料8)が設けられた。
 CHIRPの目的は、安全は全ての海事関係者にとって有益であるとの判断から、他の方法では得ることのできないインシデント報告を入手し、そこから安全情報を分析し、その結果を提供することによって、被雇用者その他の海事関係者の海上分野における安全を促進することにあるとし、その際、報告者の秘匿性(匿名性(Anonymous)ではない。)は、これを厳守することによって同人の権益を確保するとともに、同人らに対する警告制度(Whistle Blowing Programme)は採らないという。
 そして、主席検査官が、委員の一人となっている理事会(Board of Trustees)の下に、船主協会や航海学会等の海運業界各界から召集したSpecialistによる海事諮問委員会(Maritime Advisory Board)を設け、このAdvisory Boardが、データベースに収められたデータから、個人が特定できないように作られたレポートを取り出し、機密裏に(on a Confidential Basis)かつ公平に(Impartiality)検討したうえ、実行できる一連の安全行動をアドバイスすることになっている。
 因みに、航空部門におけるCHIRPは、米国で1976年にNASAの管理、支援の基に設立されたAviation Safety Reporting System(ASRS)を参考にして、1982年に設立されたもので、民間航空局からの資金援助を受けているが、いずれ英国航空業界から支援を受けることになっている。
 一方、海上部門におけるCHIRPの運営費は、運輸省(DfT)から支出されることになっている。
 CHIRPの報告者は、報告書式(Maritime Incident Report、MIR 資料9)によって報告するよう要請されているが、電話やE-mail等によっても良い。
 ただし、報告書の信憑性を確かめるため及び必要に応じて追加情報を入手するために、氏名を明らかにするように求められている。なお、この氏名は公表されることはない。
 一方、英国の航海学会(The Nautical Institute)は、CHIRPと類似のシステムとしてMARSを運用しているが、CHIRPは、MARSとの競合を意図したものではなく、また、競合することはないという。
 いずれにしろ、CHIRPは発足したばかりで、報告対象を商船から漁船、そして、プレジャーボートに拡大していくことを意図しているが、これまでの実績は誕生間もないこともあって上がっていないようである。
 なお、航空分野におけるCHIRPは、調査対象をHuman Factors Incidentという名称のもとで、Man-Machine SystemにおけるすべてのHuman Elementとし、機器や作業場のデザインやレイアウトのみならず、人手、組織、管理、責任分担、自動操作、コミューニケイション、技能、訓練、健康、安全、エラー防止等を挙げているが、海上分野のCHIRPは、それをHazardous Incident(Human Hazards Incident)としていて、調査対象範囲を航空よりも更に拡大していることに特色がある。







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