板子は松板とし、土海、起船は一寸、三伴船は一寸二分で板巾は1尺〜8寸が殆んどでした。板面は鉋がけは行わず、面取り丈で使用しております。胴の間は、取外されるものですが、船首、船尾の盤は丸釘止です。1尺6寸×1尺6寸の角型艙口を設けます。
之をなべ蓋と云っておりました。丈の目=排水口は8ヶ所あります。(おもて盤上×4. おもて船底×1. ・船底×1. ・盤上×2)
丈の目木栓は桂材が主で船底部、盤上 共に木工施盤で削ったものです。
盤上の孔経は1寸5分程、船底は1.寸8分〜2.0寸位で船底は手もみの1寸8分位の錐は、小さい私には、全力を上げても動かない程でした。
この錐で開けた后、引廻しで削り上広の勾配の付いた孔とします。
亜折は化粧板と共に最終の仕事です。上棚と下棚の通り前など吃水下となるダメ廻りをシッカリと終えてからの工事となるからです。亜折は上棚下縁の保護材の役目で楢材を使います。海折釘を用いますが、通り前を傷めないためにも、なるべく小さな釘を使っておりました。材料が小さいので蒸し曲げをしません。
昔からの名称が有った筈と思いますが、一対一の師匠と弟子の関係ではなく(仲間は同時入所の10人の見習工)大量生産の工場の中ですから化粧板丈の言葉で終って仕舞い、本当の名称を聞いた事が有りません。(舳の化粧板ホベラ丈は聞きました。)この辺が町の造船場といわれる小さな所と200人以上の大工職などの居る木船工場との違いでしょう。化粧の仕方は、その造船場の前からの仕来り、屋号、紋など色々と有る筈なのです。(特に舳の化粧は船主の希望も有ったものと察します。)
A 舳の化粧 三伴船、起船は無かったと記憶しておりますが、戦前の写真では上部を黒く塗ったりしております。(75 頁の様に)只一つ イナズマと称して80°位の角度とし中を60m/mの巾とした彫刻化粧が有りました。土海船では登りの釘部分に巾130m/m位の かぶせ板(84頁)の化粧をしております。(老棟梁はホベラと云うんだ・・・と申してます。)個人造船所では唐草模様や家号など色々と飾られる所です。(網繰、盤、廻渕は前記の通りです。)
B 船尾の化粧 化粧板への浪型彫刻、唐草彫刻、塗りつぶし・・・と多々有る筈です。この造船所に於ては次頁の様若干のもの丈で殆んど化粧らしきものは有りませんでした。この事は次の機会に各地の職人の方々からお聞きしてまとめてみたい事の一つです。次頁に数少ない化粧の事など画で説明したいと存じます。
起(おこし)、三伴船(さんばせん)
土海船(どかいせん)
起、三伴の
下棚木口受の詳細
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