ねり場というのは船尾の左舷に有り、・櫂専用の場所で15尺位の櫂を繰る台ですから、あさだ、かばなどの堅材を使います。大きな海折釘で固着します。(北洋の海岸は浪が荒いためか、之等の和船には艪を付ける個所はありません)
此処までゝ船はどの様な形となっているかを振返りますと、
(1)敷、又は無玉を矧合せて、盤木上に据えた。
(2)乗せ盤を付け戸立、舳を建てた。
(3)上棚の矧合せを終った。(土海船の場合、海具の矧合せが終った)
(4)下棚の矧合せを終った。
(5)下棚の取付を始め、中央辺の通釘を打ち終った。
(6)船首、船尾の棚板の曲げが終った(土海船では海具の取付が終った)
(7)舵床を付け終わった。(土海船では更に外舳の取付も終った)
(8)抜棚の取付が終った。
(9)船梁類の取付が終った。(下かんぬきを含む)
(10)小縁の取付が終った。
これ丈の作業が終わりました。之からは小さな仕事ですので分散作業です。
(11)肋骨、板肋、戸立肋骨、腰当当板、腰当曲木、床曲木・・・などを取付
(12)中央部縦通材を取付ける。(起船には取付かず)
(13)梁下縦通材を取付ける。弯曲部厚板を取付ける。(三伴船のみ)
(14)全てのボールト類の固着を併行して進める。
(15)曳立、・立、ねり場、櫂摺、廻渕を取付ける。
(16)板子受を付け、船首、胴の間、船尾の板子を張る。
(17)・化粧板(土海)船尾化粧板、化粧三角囲板、敷木口化粧板、亜折・船尾下棚木口当板、櫂摺の孔開け、丈の目(排水口)の取付。
(18)各補強金物の取付、化粧線入、滑りの取付。
之等であらましの仕事が終わりますが、索類の孔開け(船巻揚用)などを加えてほゞ全てが終わります。小さな町工場であれば、起工式も船おろしもの神事が有りますが、年間40隻以上の建造ですから、之等の祭事は行いません。只正月休み中は、やりかけの船にも〆縄などは張り巡らします。
三伴船、起船 土海船
上図の様な完成姿となりますが、今迄の説明では、内部の構造物は付いておりません。肋骨の話からと存じますが、残っている資料を見ますと昭和1桁初期は全ての肋骨は天然材であった様です。上図の如く変化したのは構造する船の種類(曳船−三伴船−起船−土海船−仲舟−川崎船−磯舟−伝馬船)を合せて年間300隻を越えたと申しますから、山からの曲材の伐採が間に合わなかった様で、次々と改造改良を加えて上図の様になったと申します。でも私の頃では町の小さな造船所では多くの天然曲材を使用しており、多量でなければ確保は充分に出来た様です。図の形になる迄には色々と思考錯誤も有った事と思います。資材倉庫には天然曲材用の函金も残っておりました。1つ1つ簡単に説明しますが、その前に天然曲材(肋骨)の固着方法を説明します。
磯舟程度は皆 船底材共に函金でした。40尺以上の起船は、私には函金の経験は有りません。大方はボルトでは無かったか・・・とおもいます。今迄に見たものは上図の様な方法です。函金は平鋼製で亜鉛メッキも有り、木目に打込み易い様、肋骨の深さから先は90°捩ってあり、先端は通り釘様の細い鍛造となっており、尾の返しも仕易い様に出来ております。厚味は6m/m〜3m/m、巾32m/m〜12m/m程度の様です。其の都度発注制作された事と思います。尾を返した跡は、ウルシを塗付しております。
さて、組立形の肋骨の話に移ります。
材料は全て厚2寸5分の椈材で全て型板で挽いたものを、内面を鉋がけの上、それぞれの個所にくじ引で墨付をし削って合せます。
土海船の肋骨(アバラ)、板肋(イタアバラ)の構成
起船、三伴船の肋骨、板肋の構成
|