日本財団 図書館


III 研究の成果
1. 米国ホスピスの基礎知識
 文化人類学ではフィールドワークで得た知見を通常一冊のエスノグラフィー(民族誌)として発表する。システムの一部の機能は、残る全体を地として初めて見えることが多いからである。紙幅の制限のためより詳細な記述は末尾の発表に機会を譲るが、本論の核となる教育的アプローチの理解に不可欠と思われる基礎知識を以下に若干示す。
 米国の全ホスピスの中で施設を有するものは187プログラム、率にして5.6%にとどまる。その他は全て訪問ケア・プログラムである。このような状況になった最大の要因は1982年に導入された「メディケア・ホスピス給付」(Medicare Hospice Benefit)である。1978年から医療財政庁が実施した「全米ホスピス調査」(National Hospice Study)の結果を受け1、終末期の医療コストを可能な限り抑制することに焦点を当てて作られた同給付体制により、施設ホスピスは経営困難に追い込まれて激減する。
 メディケア・ホスピス給付は、4つのケア・レベルに応じた定額見込み払い制度である(図表(1)参照)。我が国の保障体制と比較してまず特徴的なのは、一つの給付システムが在宅ケアと入院ケアの両方を射程に置いていることである。この結果、場所を問わず、同一のプログラムが一貫してケアを提供することができる。例えば、在宅ケアを受けていた患者の症状コントロールが困難になり、一時的に入院ケアが必要となった場合、契約施設に依頼してベッドを提供してもらった上で、在宅ケアを行っていたスタッフがそのまま訪問を続けるのである。また、金銭の授受はメディケア−ホスピス−各種関連機関(薬局、医療機器レンタル業者、入院ケアの提供施設)の間で行われ、利用者である患者・家族は基本的には金銭的負担がない(図表(2)参照)。
 ケアの中心はナースである。ナースは1日に4〜5ケースの訪問をこなすが、1ケース当たりの訪問は週に2〜3回が普通である。この状況の直接の契機は人件費の問題であるが、もちろんホスピス・ナースの高度な知識と実績への信頼が大前提となっている。我が国と比して特徴的なのは、「ホーム・ヘルス・エイド」(Home Health Aide)が標準的なスタッフとしてホスピスの多職種チームに組み込まれていることである。ホーム・ヘルス・エイドは我が国のホームヘルパーに当たるが、基本的には身体介護の専門家であり、家事サービスは提供しない。以上に加えて、医師(往診は稀)、ソーシャルワーカー、スピリチュアル・ケア・コーディネーター、ボランティア・コーディネーター、遺族ケア・コーディネーター等の専門職がチームを構成し、熱意あるボランティアと共にケアを支える。
 
2. 米国ホスピスの教育的アプローチ
 米国ホスピスの経済状況は非常に厳しい。しかし、我が国とは比較にならないほど激しい競争原理が働くヘルスケア・システムの中で、コスト抑制のみを重視し、クライアントや紹介者の満足度を蔑ろにするようなサービスは、簡単に市場淘汰されてしまう。つまり米国ホスピスは、(1)在宅中心で、(2)低コストで、(3)利用者に高い満足度をもたらすケアを提供することを要請され、それに応え続けてきたのである。本研究では、この過程で生まれた米国ホスピスの基本姿勢を「教育的アプローチ」として抽出し、モデル化した。
 米国ホスピスにおける教育は、患者・家族のケアの力を高め、自立を促進することを目指す。このアプローチを理解するための一つのメタファーとなるのは親子教育である(図表(3)参照)。子供の周りには、独力ではできないが親の介助があればできる行為の領域、いわば「可能性の領域」がある。子供はこの領域を内面化しつつ外に向けて拡張する作業を繰り返しながら発達するわけであるが、そのためには刺激を持続的に与え、安全な失敗ができるよう環境を整える親との社会的相互作用が不可欠である。米国ホスピスの教育はこの親の役割に近い。「患者・家族だけでできること」の周囲に「専門職が手を貸すことでできること」という可能性の領域を広げ、生活の可能性と自立を段階的に拡張するのである。
 教育的アプローチは米国ホスピスのシステム全体を通底する傾向性であるため、簡明な説明は困難であるが、以下の8点の特徴を示すことでその輪郭の素描を試みる。
(1)情報を共有する
 米国ホスピスの訪問ケアで最も長い時間がかけられるのは、徹底的なコミュニケーションである。例えばナースの訪問は通常30分から1時間程度だが、多くの場合、いわゆる医療行為としてはヴァイタルサインのチェックと簡単な視診、聴診、触診のみを行うだけで、大部分の時間は疾病の現状と将来生じ得る症状の説明に充てる。起こり得る変化は多くの人々が経験する自然な過程だということ、たとえ予想される最悪の状況になったとしても具体的な対策があることは、特に強調される。正確な情報は患者・家族が状況を主体的にコントロールするための基盤となる。漠然としているが故に際限なく膨らみ得る不安を、具体的で達成可能な目標(「夜眠れるようになろう」「服を着替えさせられるようになろう」等)に置き換えることは、ケアの継続に極めて重要な意味を持つ。
(2)選択を支える
 米国ホスピスで重視される徹底的な説明のもう一つの大切な役割は、将来決断を迫られるであろう問題状況を予め患者・家族に伝えることである。どのような選択肢があるか、それぞれを取った場合にどのような結果が予想されるかをはっきりと伝え、事前に熟慮し、相談してもらう。常に先手をうつ情報提供は、問題状況が生じた際のパニックや視野狭窄的決断を回避することに繋がる。一つの典型例はDNR依頼書である。大半の患者・家族は、危篤に陥った時粗末に扱われたくない、少しでも長く時間を共有したい、という漠然とした思いを抱いているが、「命を救う」という大義のもとに実施される処置の激しさや、全身衰弱のケースでの回復率の低さについては知らない。ケアの方針を最終的に決定するのは患者と家族であるが、ホスピス・スタッフはその決定作業自体を支えている。
(3)ケアの環境を整える
 自由で安全な時間と空間を確保することは、患者と家族がケアにおける能動性を発揮するために不可欠である。痛みや不快な症状のマネジメントは大前提であるが、その一方で、必要以上に生活に介入しないということも重要になる。米国ホスピスの多職種チーム会議を分析して明らかになるのは、患者と家族の生活に何らかのプラス・アルファをもたらすことではなく、生活の継続に支障を来たすような問題を取り除くことを目標にする基本姿勢である。また、自宅でのケアの継続自体にも大きな意義が認められている。暮らし慣れた空間が生活への高いコントロールをもたらすだけでなく、「家に入れる/入る」という行為そのものが一種の主客関係を作り、患者・家族がケアにおけるイニシアティヴを握ることを助けるからである。
(4)新しい見方を提供する
 長い時間をかけて蓄積され、迫る死をきっかけに表面化したような問題は、容易に解決できないことが多い。このような苦悩が患者と家族を打ちのめし、立ち止まらせようとする時、米国ホスピスのスタッフは、状況に対する新しい視角を提案し、問題そのものの解決ではなく、問題の受け入れ易さを変えることを目指す。例えば、患者−家族間関係に解消困難な溝があるケースでは、敢えて時間が限られていることを強調し、ケアの続行を励ます。患者が食事を取らなくなったことに心を痛める家族には、食事を取らないことが、どれだけ体の負担を軽減するか、納得してもらえるまで説明する。別れを前にした患者・家族が問題にぶつかることは自然なことであり、本当の問題は、問題自体ではなく、その前で立ちすくむことだと考えられているのである。
(5)知識差を認識する
 専門職−患者・家族間の知識・技術差の短縮は、その差を認めることから始まる。あるソーシャルワーカーは、インタヴューで仕事内容を一通りの説明した後、「今まで言ったのは、私のケアの三分の一。あとの三分の二は、それまで言ってきたこと、してきたことを、何度も何度も何度も、根気よく繰り返すこと」と笑った。専門職の常識の多くは一般市民の常識ではない。また、話として説明を聞くことと、生活の中でそれを実践することは、全く別の問題である。説明を受けた患者と家族は、自分なりの解釈でケアを実施し、その中で明らかになる不明点や問題点を再びスタッフと話しあう。この反復的過程を通じて、本当に必要な知識が身につき、ケアにおける自立性が拡大する。米国ホスピスの説明は、一度きりの指示ではなく、ある長さを持った時間の中で患者・家族と声を交換し合う、コミュニケーションのプロセスとして理解され、実施されている。
(6)教える側も学ぶ
 米国ホスピスにおける教育は、学校的なトップダウン式のものではなく、患者・家族と同じ高さで行う双方向的コミュニケーションである。そこでは、教えと学びが常に不可分に結びついている。教えるスタッフは、同時に学ぶ。何かを伝える時に返ってくる反応を敏感に受け止め、患者・家族の信念や立場を汲み取り、目標や支援のスタイルを順次修正し続ける。専門職として最良の選択と信じる提案が拒否されても、単なる感情的拒絶反応ではなく、十分な理由があってなされたのであれば、その意思を尊重する。「その人らしさ」と、ホスピスのマニュアルや尊厳・平穏といった大義名分がぶつかった時、優先されるのは前者である。理想的な別れの形の追求ではなく、そこに至る道を患者・家族がどれだけ納得できるかが重視されているのである。
(7)信頼と適切な距離のバランスを取る
 子供と親の間には無条件の信頼関係がある。命を預かるという意味で、スタッフと患者・家族の間の信頼関係はそれと本質的に変わらない。信頼を受け止めるには、誠意はもちろん、確かな知識と技術が必要になる。しかし、逆に適切な距離を保つこともまた、非常に重視されている。親が過剰に干渉すれば、子供の発達は逆に妨げられる。米国ホスピスでは「専門職としての距離」(professional distance)が強調される。例えば、時間外に個人的に担当ケースに電話をかけるスタッフや自宅の電話番号を教えるスタッフは、わが国では敬愛されるかもしれないが、米国では反面教師として紹介される。米国ホスピスは、患者と家族の生活に綻びができないよう全力で支えるが、生活そのものを提供するわけではない。敢えて一歩距離を取り、一種のセーフティ・ネットとして見守るのである。
(8)組織的に実施する
以上述べてきたようなアプローチの実現には、ホスピス全体の組織的努力が欠かせない。教育の意義について共通理解を作り、プログラムの運営形態をそれに沿うようコーディネートしなければならない。例えば、訪問ケアというスタイルの選択自体が、患者・家族の生活の可能性を広げている。週に2〜3回という決して多くはないナースの訪問も、訪問一回当たりの時間を増やし、当たり障りのない世間話以上の深いコミュニケーションを行うためには逆に効果的である。患者・家族の満足度は、ケアの技術の高さや投入される医療資源の量に必ずしも比例するわけではない。専門職による手厚すぎるケアは、逆に患者・家族をケアから疎外し、自信やコミュニケーションの機会を奪う恐れさえある。米国ホスピスは、患者と家族のケアの力を伸ばすという目標にシステム全体の照準を合わせることで、低コストで高い満足度をもたらすケアを実現しているのである。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION