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3. 我が国の実践との比較考察
 
 米国ホスピスの教育的アプローチを検討した上で我が国の規範的アプローチを相対化すると、ホスピス・ケアに関する二つの基本的モデルが得られる(図表(4)参照)。
 第一の「教育モデル」は、専門職−患者・家族間の知識・技術差を短縮し、ケアにおける自立の拡大を助長する方向性である。患者と家族がケアを理解し、その中に自分をしっかりと巻き込んでいくことは、コミュニケーションの可能性を広げ、高い満足に繋がる。ホスピスの側も、潜在的な介護力を十全に活用し、過剰な介入が省けることで、ケアのコストを抑制することができる。患者・家族がケアのイニシアティヴを握り、自分の生活をコントロールし易くするためには、在宅でケアを行うことが大きな意義を持つ。
 第二の「向上モデル」は、できるだけ高度で手厚いケアを目指し、専門職が自らの知識と技術をひたむきに洗練していく方向性である。この方針に立てば、人材、技術、情報、設備、薬剤等の医療資源が集中し、ケアの環境を専門職が管理できる専門病棟での施設ケアが最適な形態となる。向上モデルに基づくホスピス・ケアは従来の病院医療との相似点が多いため、多くの医療者は、自分の親しんだ価値観と環境を保てるこのモデルを支持するだろう。また、家族に迷惑をかけたくないという患者、在宅での看取りに不安を抱く家族にとっても、トータルなケアは非常に魅力的である。
 我が国の施設ケアは基本的には向上モデルに対応するものである。この方針を今後も維持するためには、コストの問題をどう解消するかを議論する必要がある。一方、近年注目を集めつつある在宅ホスピスについては、まだはっきりとした方向性が現れていない。その背後には、我が国の施設ホスピスの目覚しい発展が、却って向上モデル以外のホスピス・ケア像をイメージし難くしていることがあるように思われる。
 我が国で著者が調査した介護福祉の立場から終末期の患者・家族の生活を支援しているプログラムでは、教育的な介入は随所に見られた。その典型として、ALSが進行し、発話ができず、一つのボタンを押す筋力のみが残された患者に対して、パソコンと特殊なソフトを導入し、根気よく説明とカスタマイズを繰り返すことを通じて、文書によるコミュニケーション能力や絵画を描く楽しみを回復させた事例が挙げられる。しかし、実施されているケア全体が教育モデルの上で完全に調和しているとも言い切れない。大きな障害は、胃ろうを通じた経管栄養摂取や気管切開を介しての人工呼吸など、米国ホスピスではほとんど見られない高度な医療的支援が在宅で提供されていることである。時として病室をそのまま自宅に搬入したようにさえ見える環境を、患者・家族が十全に自分のコントロール下に置くことは容易ではない。このような状況の改善には、現在ばらばらに分散する開業医、訪問ナースステーション、介護福祉が、本当の意味でチームとして統合される環境を早期に整え、目的とアプローチを明確に共有してケアに当たることが不可欠である。
 教育モデルと向上モデルにはそれぞれに特長と課題がある。しかし、単一システム内部で両立を求めると、様々な摩擦が生じ得る。その理由を一言でまとめれば、ケアに投入される知識・技術が高度になればなるほど、患者と家族はその理解と体得に時間と手間を要するようになるからである。恐らく一つの理想形は、教育モデルと向上モデルがそれぞれ在宅ホスピスと緩和ケア病棟に住み分けるように実現し、利用者の手にその選択が委ねられるような状況である。その実現には、ホスピス・プログラムの増設、在宅ケア−施設ケアを繋ぐ統合的な報酬制度の策定に加えて、専門職・利用者双方のホスピス・ケアに対する意識改革を急がなければならないであろう。
 
IV 今後の課題
 本研究の一つの限界は、フィールドワークという手法の採用に起因するデータの限局性である。本文中の「米国ホスピス」は調査対象とした二つのプログラムを指し、米国のホスピス一般を意味するものではない。しかし、両プログラムが利用者と周辺ヘルスケア・システムから支持を集め、持続的に運営されている事実は、そこから抽出した教育モデルが選ばれ得るケアの基本方針として一定の普遍性を持つことを示すと考える。
 米国ホスピスからの従来の報告は断片的なものが大半を占め、文化の違いという言葉と共にその応用可能性を切り捨てられることが多かった。しかし、「文化」という語の濫用は、単純なステレオタイプを量産し、より厳密な分析の可能性を閉ざしてしまう2。全体の文脈の把握は、ケアの各部分の理解を助けるだけでなく、その応用の可能性を開く契機となる。諸外国のホスピス・ケアを包括的に記述し、学ぶべき点を示唆すること、さらにその応用可能性を実践の現場で検証することが、今後の研究の大きな課題になると考える。
 
V 研究の成果の公表予定
 成果の一部を著書(服部洋一著、黒田輝政監修『米国ホスピスのすべて:訪問ケアの新しいアプローチ』ミネルヴァ書房)として2003年4月に刊行予定。また、日本生と死を考える会第79回セミナー(2003年4月12日)でも発表を予定する。
 
参考文献
1 Mor, Vincent, et al (eds.), 1988, The Hospice Experiment. The Johns Hopkins University Press.
2 福島真人、1998「文化という概念とけりをつけるために」日本児童研究所(編)『児童心理学の進歩 1998年版』金子書房.







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