日本財団 図書館


6.航路の安全(港における航路の幅員を中心に)95
6.1 航路の目的
 警察法規である港則法においては、船舶交通が著しく輻輳する特定港においては、大きさや操縦性能の異なる船舶が多数混在しているので、地形や地域的特性等から船舶の集中する水域において無秩序あるいは不規則な船舶交通流が発生すると、港内における船舶交通に危険が生じる。したがって、そのような水域では船舶交通の流れを一定方向に整流化し、避航関係を単純化し、さらに航行可能水域を明示することにより、船舶交通の安全を確保する必要がある。そのような航路設定の目的から、例えば次のような水域に航路が設定されている。
[1]防波堤や暗礁等の障害物の存在により、可航水域が狭く限られており、一定の方向に航行する船舶が多数存在している水域(例えば、青森港、八戸港、高松港の航路)
[2]多数の船舶が航行する一定以上の水深を有する水路があり、かつ、その周囲の水深が水路より相当浅くなっている水域(例えば、千葉港椎津航路、和歌山下津港北区航路)
[3]周囲の状況から船舶交通の流れが多方向にわたって錯綜する水域において、一定方向の交通の流れにある船舶を多方向の流れにある船舶に対して常に優先させ、錯綜する船舶交通流に一定の秩序を与えるべき水域(例えば、広島港の航路)
 ところで港則法上の航路は、港湾法上の水域施設としての航路(港湾法第二条第五項第一号)と地形的に重複している場合が多い。港湾施設の一種である水域施設については、港湾の施設の技術上の基準を定める省令第三条第一項において、「水域施設は、船舶が安全かつ円滑に利用できるものとする。」と規定され、地形、気象、海象等の自然状況、船舶の通行等当該施設周辺の水域の利用状況に照らし、適切な場所に設置することになっている(同条第二項)。港湾法上の航路とは、船舶の航行に供するために設定された所定の水深と幅員を有する水路であり96、その技術上の基準については、同法第五六条の二の規定に基づく「港湾の施設の技術上の基準を定める省令(昭和49年7月16日運輸省令第30号)」および「港湾の施設の技術上の基準の細目を定める告示(平成11年4月1日運輸省告示第181号)」に詳細に定められている。
 港湾法上の航路の設定に関しては、安全な航行、操船の容易さ、地形、気象・海象条件、関連施設との整合性等を考慮するものとし、航行機能上、次のような四つの条件を満たされた場合に良好であるとされている97
[1]法線が直線に近い。
[2]航路の側壁と海底面の形状の影響、航走波影響等が考慮され、幅広く、水深が十分である。
[3]風、潮流、その他の気象・海象条件が良い。
[4]航路標識、信号設備等がよく整備されている。
 このように、第一義的には公物管理法としての性格を有する港湾法と交通警察法としての性格を有する港則法とでは、航路に対する視点が本質的に異なっていることがわかる。すなわち、港湾法では一定の位置をもつ敷地とその上にある水とをもって構成される統一体たる水域の施設あるいは物として航路を位置づけており、水域の物としての使用が行われる場合の水域の管理者と使用者の間の水域使用に関する法律関係を規定している98
 一方、港則法では航路について、水域の施設あるいは物としての使用に着目するのではなく、水域の船舶交通の場としての使用に着目し、船舶自体の行為あるいは船舶交通に影響を及ぼす行為を交通警察権に基づいて規制するものである。
 すなわち、港湾法では航路だけではなく船舶の離着岸を補助するための船舶である曳船についても港湾施設として位置づけており(港湾法第二条第五項)、また港則法は航法その他の交通規制の法的主体が船舶そのものとなっており、これらの視点の相違が公物警察と交通警察の作用の差異を特徴づけていると思われる。
6.2 航路の幅員の基準と意義
 港湾上の航路の幅員については、港湾の施設の技術上の基準を定める省令で、「航路の幅員は、対象船舶の長さ及び幅、通行量並びに地形、気象、海その他の自然状況に照らし、船舶が行き会う可能性のある航路にあっては対象船舶の長さ以上の、船舶の行き会う可能性のない航路にあっては対象船舶の長さの2分の1以上の適切な幅とする。ただし、航行の形態が特殊な場合においては、船舶の安全な航行に支障を及ぼさない幅までその幅員を縮小することができる。」と規定されている(第四条第一項)。この省令における「対象船舶」とは、港湾の施設を使用することが予定される船舶のうち、その総トン数が最大のものをいう(第一条第二項)。
 さらに港湾法の技術上の基準については、港湾の施設の技術上の基準を定める省令や港湾の施設の技術上の基準の細目を定める告示の考え方や思想を設計実務に的確に反映させるための解説として、また技術者が具体的な事例に対処できるようにするための参考資料として、約1000頁にも及ぶ運輸省港湾局監修の解説書99が発刊されている。この文献は、関連する学問領域の学識経験者や行政関係者等からなる委員会での技術的検討をふまえた内容となっており、いわば港湾技術の原典的性格を有している。そこには、航路の幅員の設定にあたっては、対象船舶の諸元、航路の通行状況および延長距離、気象・海象その他の自然状況等を十分考慮するものとし、一般の航路における航路の幅員について次のような標準値が示されている100
(1)一般の航路における航路の幅員は次の値を標準とする。ここで、Lは対象船舶の全長を示す。
(a)船舶の行き会う可能性のある航路については、1L以上の適切な幅とする。但し、
[1]航路の距離が比較的長い場合 1.5L
[2]対象船舶同士が航路航行中に頻繁に行き会う場合 1.5L
[3]対象船舶同士が航路航行中に頻繁に行き会う、かつ航路の距離が比較的長い場合 2L
(b)船舶の行き会う可能性のない航路においては、0.5L以上の適切な幅とする。なお、幅員が1Lを下回る場合には、航行を支援する施設の整備等安全上の対策を十分図ることが望ましい。
(2)特殊な航路(通行量の著しく多い航路、航路を横断する航行船舶が予想される航路、超大型船を対象船舶とする航路、気象・海象条件が厳しい航路等)にあっては、一般の航路において標準とした値を実態に応じてさらに余裕を含めた幅員とする。
(3)一般の航路および特殊な航路において、省令における「航行の形態が特殊な場合」とは、曳船の利用、待避水域の設置等の配慮をする場合または航路延長が著しく短い場合等であるが、ここで、航路延長が著しく短い場合とは、航路の全延長距離が著しく短い場合および航路全体の中での対象となる部分の延長が著しく短い場合である。
(4)漁船および500総トン未満の船舶を対象とする航路においては、利用実態に応じた適切な幅員とする。
 また、航路幅員に関する過去の研究・検討では、次のような数値を掲げている101

 研究提案者・著者等 往復航路 片側航路       文献等
本田啓之輔 7.2- 8.2B 4.6- 5.1B 操船通論
岩井聡 8-10B 5-6B 港・港内操船の基礎 −操縦性と泊地への進入操船−
United Nations Conference on Trade and Development 7B+30(m) 5B Port Development A Handbook for Planners in Developing Countries
The joint Working Group PIANC and IAPH,cooperation with IMPA and IALA 4.2-14.2B 1.9-7.2B Approach Chanels A Guide for Design
Gregory P.Tsinker 6.2-9.0B 3.6-6.0B Handbook of Port and Harbor Engineering
注1)B;対象とする船舶の型幅
注2)比較のための試算値を示しており、各文献で具体的にこの数値が示されているのではない。
 
 一方、港則法上の航路の幅員については、港湾法上の航路のような設定基準はみあたらず、過去に港内における交通管制システムを検討する日本海難防止協会の委員会(「航行安全システム研究委員会」:委員長東京商船大学豊田清治教授)において、管制水路の対象船舶の大きさを決定する方法のなかで、船の長さをL、船の幅をBとした次のような水路幅に関する具体的数値が示されている102
 同じ大きさの船舶が行き会う場合の航路幅 =L+2(1.8B+1.7B)
=L+7B
≒2L(∵7B≒L)
z0001_08.jpg
 また海上保安庁は次式を目安として、管制水路を通過する船舶の大きさを決めているので、港内航路の幅も次のように得られるとする文献もある103
 
   1レーンのとき 2×1.8B+1.7B=5.3B=0.9L
   2レーンのとき 2×1.8B+2×1.7B+L=2.2L
   [但し、船の長さは同じとし、6B=Lとした。]
 
 しかしながら、この式は特に船舶の通航が頻繁な水路や狭い水路において、港則法第三六条の三に基づく交通整理を実施する必要が生じた場合を前提としており、しかも管制水路の幅が所与のときに管制対象船舶の大きさを決定するためのものなので、必ずしも港則法第三章に規定する航路の幅の基準そのものであるということにはならないと思われる。
 これらの計算式の背景には、決定論的な方法として提案された操船上の要素であるManeuvering lane(Wm;保針に必要な水路幅)、Bank clearance(Wb;航路端との離隔距離)、Ship clearance(Ws;航路内で他船と接近するときに必要な離隔距離)という概念があり、海上交通工学の分野の研究成果によるところが大きい104。しかしながら、具体的な数値の提示という側面で大きく貢献したと思われる理論105は、港湾工学に基づく港湾法上の航路を前提としており、その意味で従来の研究成果は港湾法上の航路と港則法上の航路の違いに学問的意義を見いだしていないといえる。換言すれば、工学の分野においては、航路を水域の施設としてとらえる港湾法と船舶交通の場としてとらえる港則法の法的性格に着目することはなく、船舶の通り道としての航路を操船論106の立場から論じる傾向にあると思われる。
 すなわち、Maneuvering laneは操船者が偏位に気付く限界、保針中の蛇行幅、変針中のキックの量などの要因や風や潮の圧流などに基づいて決められ、Bank clearanceはBank effectの影響を打ち消すのに必要な舵角に一定の限界を決めて必要な離隔距離を求め、Ship clearanceもBank clearanceと同様に航路内で他船と接近するときに生じる吸引反発作用を打ち消すのに必要な舵角に基づいて離隔距離を決めている。これらの概念は、基本的には運用学における操船論に基づいており、前述の数値はあくまでも船舶の平均的な操船者が航路を通航する際の必要最小限度の基準としての性格を有すると思われる。したがって、平均的な操船者と異なる固有のヒューマンエレメント、前提としている気象や海象の条件と実際の現象との差異、船舶の標準船型に起因する誤差、同行船や漁ろう船などの存在、航行実態、地域的特性その他の航行環境等は基本的には考慮されにくい状況にある。さらに近代技術の学問的発展のなかで、水槽実験結果の再考察、船種別標準船型の再考察、船舶の長さと幅の換算率の再考察等、既存のモデルにおいて検討すべき事項も多いと思われる。しかしながら、航路の幅員について抽象的に論じることは容易であり、その意味で航路幅に関する各種モデルの学問的意義は大きいといえる。
 一方、すべての港湾法上の航路と港則法上の航路の幅員を数値的に厳格に比較した研究はみうけられないが、港則法上の特定港のうち13港を選出し、37の航路について両者の幅員を分析した結果、三池港を除き港則法上の航路の最小幅は港湾法上の航路の最小幅と同じか、あるいは狭隘であることがわかった。具体的には、24航路で両者の最小幅が同一であり、12航路が港則法上の航路の幅員が港湾法上のそれよりも狭隘になっていた。さらに、航路の最小幅が同じ24航路のうち、15航路については港則法上の航路と港湾法上の航路が重なっており、防波堤のある航路、浚渫して設定した航路の多くがそれに該当している。
 次に港則法上の航路が港湾法上の航路に比較して最小幅が狭隘になっている12航路について、両者の最小幅の比率を計算したところ、港則法上の航路の最小幅は港湾法上のそれに対して67%から97%(平均90%)の割合になっていた。これらのことから、限定的な港の分析ではあるが、公物管理法たる港湾法上の航路の幅員を超えて交通警察法たる港則法上の航路の幅員を定めている港は存在しないことがわかり、港湾法と港則法の目的あるいは法的性格の差異を別の視点からとらえていると思われる。すなわち、水域施設としての航路については、港湾の施設の技術上の基準を定める省令によって、静穏性の確保(同省令第三条第三項)あるいは土砂等による埋没を防止するための措置を講ずるものとされており(同省令第三条第四項)、いわば陸上交通における道路に相当するものである。したがって、まず海上交通の法的主体たる船舶が物理的に通航可能であるということが前提でなければならず、法的客体にあたる港湾法の航路の幅員を超えて港則法の航路を定め、海上交通ルールで規制することは、現実的にみてもフィージブルではない。
 さらに交通警察の立場からは、港則法の航路の幅員を決定するにあたり、港内における船舶交通の安全や港内の整とんを図るために一定の安全率を見越すことは当然であり、場所によっては浚渫の法面や地域的な特性も考慮して、港湾法の航路の幅員よりも港則法の航路の幅員を狭く設定することも合理性があると思われる。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION