3.海難事件における責任追及論
3.1 三つの過失と海難審判先行の原則
船舶を運航することに伴って衝突事故を起こした者は、基本的には三つの法的責任(刑事上の責任、民事上の責任、行政上の責任)が問われることになる
12。刑事上の責任は、刑法に明文化されている刑罰規定を適用することによって追及される。船舶の海難事件の場合は、例えば、業務上過失往来危険(第一二九条第二項)や業務上過失致死傷(第二一一条)が考えられる。刑事上の責任は、刑事訴訟法に定めるとおり、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現するという観点から追及され、必然的に他の法令に基づく責任追及の観点とは異なる法的地平を有している。また刑事責任の追及プロセスについて刑事訴訟法は、公判請求に基づく正式裁判の手続のほかに、検察官の略式命令の請求に基づく略式手続も規定し、船舶の海難事件の場合、その多くが略式手続きとなっており、正式裁判の手続をとるものは相対的に少ない。
行政上の責任は、海難審判法(昭和22年11月19日法律第135号)に規定されている裁決(第四条)に基づいて追及される。海難審判法に定められている裁決には、原因究明裁決(同条第一項)、懲戒裁決(同条第二項)、勧告裁決(同条第三項)がある。すなわち海難審判庁は、海難が海技従事者や水先人の職務上の故意または過失によって発生した場合は、海難の性質もしくは状況またはその閲歴その他の情状に徴し、懲戒の必要がないと認めるときを除き(第六条)、裁決をもってこれを懲戒しなければならない。懲戒の種類としては、免許の取消、業務の停止(一箇月以上三年以下)、戒告が定められており(第五条)、その適用は所為の軽重にしたがって決められる。海難審判法の目的は、海難の原因を明らかにし、もってその発生の防止に寄与することにあり、海員を懲戒することを目的とする旧海員懲戒法(明治29年4月法律第69号)とは法的性格を異にする。すなわち現行の海難審判制度は、フランスに代表される海員審判主義(懲戒主義)ではなく、イギリスに代表される海難審判主義を採用している
13。
しかし現行法においても、原因究明裁決に付随して海技従事者や水先人を対象とする行政処分を行う制度を残している。また必要と認めるときは、海技従事者や水先人以外の者で海難の原因に関係のあるものに対し勧告するものとされ、勧告を受けた者はその勧告を尊重し、努めてその趣旨にしたがい必要な措置を執らなければならない(第六三条)。なお海難審判法は、審判官が独立してその職権を行うことを規定し(第一一条)、海難審判庁事務章程(昭和23年4月2日運輸省令第9号)では、高等海難審判庁長官、地方海難審判庁長、支部長の職務上の監督権が、審判官の審判権に影響を及ぼさないことを明文化している(第三条)。
民事上の責任は、民法第七〇九条(不法行為)に基づいて、衝突によって生じた船舶の損害を賠償するという形態で追及される。すなわち故意または過失によって他人の権利を侵害した場合、それによって生じた損害について加害者が賠償責任を負うものとしている。船舶衝突事件の損害賠償請求に関して裁判で争うことは少なく、そのほとんどが示談によって処理されている
14。その際、実務的には海難審判の裁決に基づいて、当事者間で責任の所在、割合を協定して示談解決している例がほとんどである
15。すなわち民事責任の分配に関して、例えば、事故の原因に主因と一因が認定された場合は、示談では二対一の割合とするのが通例であり、また行政処分で業務停止が二箇月と一箇月の場合も、同様に二対一の割合であるとされる
16。
しかし、懲戒の対象となり得ない者(例えば、海技免状を有しない無資格者)に法規違反行為があって、しかもそれが衝突の決定的原因となすと認められるような場合、両船船長に対する懲戒裁決のみを基準として両船の過失割合を評価することは著しく公正さを欠くことになる。換言すれば、懲戒裁決は海技従事者または水先人のみ発せられるものであって、無免許者はいかに重大な過失があっても懲戒処分をなし得ないのみならず、懲戒処分は特別権力関係内における秩序維持の見地から裁量決定されるものであって、必ずしも原因関係だけでなく人的主観的要素をも加味し、ときには永年勤続、表彰等の事由によって懲戒処分を免除することもあり得る。したがって基本的には、過失割合評価決定の参考として重視されるべき裁決の主文は、原因究明裁決であって懲戒裁決ではないことになる
17。海難に関する権威者からなる審判官によって訴訟手続に類する慎重な手続のもとで下される原因究明裁決は、その損害賠償請求の訴訟において事実上尊重される
18。このように海難原因を明らかにすることによって海難発生の防止に寄与することを目的とする海難審判の裁決は、単に行政上の責任にとどまらず、実務的には民事上の責任とも深くかかわっている。
民事上の責任と刑事上の責任の関係については、民事責任の客観化と刑事責任の主観化という方向のもとで、民法理論および刑法理論の立場からそれぞれ論じられており、基本的には両者の間には性質上の相違があるとする。すなわち民事責任は被害者に生じた損害の公平な分担を目的とするが、刑事責任は社会秩序の維持あるいは反社会的行為の抑止を目的とするので、前者においては主観的事情に差を設けず故意と過失によって責任の軽重がないが、後者においては主観的事情を重視して故意犯だけを罰するのが原則であり、過失犯を罰するのは例外である
19。
刑事責任は行為者の非難可能性を追及するものであるから、故意と過失とでは責任の大小を異にすることとなり、さらに謙抑主義の原理から、軽微な違法行為については過失責任の追及を放棄する結果となるが、民事責任の追求する損害の公平な分担の理念は、故意と過失を同一に取り扱わせる結果となり、これが民事責任と刑事責任の本質的差異を生じさせた。また民事では過失の範囲が拡大する傾向を有するのに反し、刑事では微細な非難可能性は無視され、かなり程度の高い過失だけが処罰されることになり、過失の範囲は縮小される傾向をもち、過失責任に対する民事と刑事との基本的態度に関する差異は、民事過失と刑事過失の範囲を画する上にも影響を及ぼすとみるべきであろう
20。
一方、行政上の責任と刑事上の責任の関係について論じるものは少ないが、海難審判法では「故意又は過失に因って」(第四条第二項など)という規定の形式になっており、懲戒裁決は秩序罰であって民事責任の延長線上に位置すると解されることから、実体面での過失の認定は民事過失責任の判断に類似している
21。また違法性の判断(構成要件としての客観的注意義務の措定)に微妙な差があるため、一般には海難審判の過失の認定の方が、客観的注意義務違反(不注意)の違法性を厳格にしている(違法性が軽度であっても過失を認める)とされている
22。海難原因の真相究明あるいは真実発見を目的とする海難審判における過失は、行政法規、経験則、技術的規範等に照らして認定されるので、訴因を特定して審理する刑事裁判における過失や不法行為の構成要件としての過失とは異なっている。
したがって裁判所は、同一事件について海難審判庁の裁決に拘束されることはなく、また海難審判庁としても裁判所の裁判の存否内容に拘わりなく裁決をすることができる
23。また海難審判法上の過失の有無の判定標準は、海難の原因究明と海難防止という目的から一般的平均的注意能力であると考えられ、特定人の主観的注意能力ではないとされている
24。このことから、海難審判の原因究明裁決における人の注意能力の標準に関しては、基本的には客観説の立場をとっていると思われる
25。
ところで刑罰の早期の実現による法的安定性と海事専門的判断のどちらを重視すべきかという問題に関連して、いわゆる「海難審判先行の原則」の存在が議論されてきた。歴史的には、西洋形船船長運転手機関手免状規則(明治14年太政官布告第75号)で、「前条審問中検察官又ハ被害者ヨリ裁判所ニ出訴スルトキハ農商務卿其審問ヲ中止シ裁判確定ヲ竢テ之ヲ処分スヘシ」(第一一条)と定め、刑罰の早期の安定を優先していたが、海員の審問において支障が生じたため、逓信省と司法省が協議し、明治26年3月、「刑事証憑ノ充分ナルモノノ外、成ル可ク海事審問ヲ先ニシ公訴ノ提起ヲ後ニスル」(司民刑甲第67号)ことが確認された。しかし旧海員懲戒法では、「刑事裁判手續中ハ被審人ニ對シ審判ヲ開始スルコトヲ得ス被審人刑事訴追ヲ受ケタルトキハ其ノ事件ノ判決ヲ終ルマテ審判ヲ中止シヘシ」(第三四条)と規定され、懲戒審判に対して刑事裁判が先行することとされた。その後、司法省は海難審判の懲戒と刑事裁判の判決に関する不権衡に鑑み、大正4年5月司法省法務局刑甲第90号によって、再度「成ル可ク海員審判ヲ先ニシ公訴ノ提起ヲ後ニスヘキ」と通達した。
また国会審議における政府委員の答弁としては、海難審判が長期化する場合は刑罰権の不安定な状態を生じるおそれがあるので刑事裁判を先行させるが、海事専門的な知識と経験を必要とする海難の原因究明は海難審判所の方が適当であるという考えのもとで、原則として海難審判を先にして刑事裁判を後にするよう運用する旨の発言
26や、海難審判が先行するという法律上の保証はないが、司法省との申し合わせにより、海難審判を刑事裁判に先行するように実際上運用する旨の発言
27がある。しかし昭和23年7月8日付の14海事団体の法務総裁に対する質問書の回答(検務局長国宗栄)では、海難審判先行主義はあくまでも原則的なものであり、特別の事情がない限り海事審判先行主義の方針を堅持することに変わりはないが、海難審判の審理が遅延するときは刑事裁判自体が著しく効果を減殺することとなるので、刑事裁判を先行させるとしている
28。
近年でも、平成8年6月24日に来島海峡西方で発生した貨物船第二光洋丸貨物船クレストユニティー衝突事件のように、刑事事件の判決(平成8年10月14日および同年12月9日)
29が海難審判の裁決(平成9年3月28日)
30に先行する事例もある。すなわち海難審判先行の原則は、あくまでも法律事項ではなく、一片の通達をもって海難審判を刑事裁判に先行するよう実際上の運用を行うことには限界があり、この原則が絶対的なものでないことは当然のことといわざるをえない
31。
3.2 刑法理論と海難審判法理論
船舶の海難事件の場合は、前述したように基本的には各々の法律に定められた法目的のもとで責任が追及されるが、ここでは海難の中でもっとも発生件数の多い衝突事故をとりあげ、刑事上の責任追及と行政上の責任追及の違いに着目して論究する。海上交通法規は、船舶間の衝突を回避するための操船者の行為規範や技術的な基準その他の船舶交通の安全を図るための法規範を定めている。海上衝突予防法では、第二章に多船間の見合い関係を二船間の関係に還元した航法を定め、第三章に船舶が表示しなければならない灯火および形象物、第四章に船舶相互の意思疎通を図るための音響信号および発光信号をそれぞれ規定し、第五章においては切迫した危険のある特殊な状況における交通ルール、責任等についての規定を設けている。
これらの規定は、基本的には船舶の衝突を防止する上で要求される注意義務を明文化したもので、行政上の目的に則して操船者に作為・不作為の義務を命じている。すなわち海上衝突予防法は、業務に従事する場合に必然的に生ずるおそれのある危険な事象を防止するために、一般的に経験則上必要と認められる作為・不作為の処置を類型化したものである
32。しかし刑事裁判と海難審判とでは、海上交通法規の義務規定のとらえ方や過失の認定方法に差異があるように思われる。
一般に刑事裁判では、法令規則上の注意義務に違反したからといって、直ちに過失認定上の客観的注意義務の違反があったとはいえず、船舶衝突事件についても、刑法第一二九条第二項の業務上過失往来危険罪などの成立要件という観点から海上衝突予防法の義務規定をとらえている。したがって場合によっては、海上衝突予防法に定められた各種の航法に違反していたとしても、その義務違反の行為自体が刑事上の責任の対象となるとは限らない。すなわち客観的注意義務の措定における予見可能性や結果回避可能性の検討の中で、海上衝突予防法に規定されている操船規範(操船者が遵守すべき行為規範)が機能することになる。
刑事裁判では行政法規違反が直ちに「結果回避義務違反」となるわけではなく、当該具体的な状況下における一般人に結果回避義務を課しうる場合であり、かつ、結果の発生の具体的危険を起こしうる場合に限り、最終的に刑法上の「過失の実行行為」として認定される。結果を発生させる原因となった同一人の過失による行為が二個以上段階的に存在している場合(段階的過失)、当該過失犯の構成要件に該当する行為(実行行為)の認定の問題が、刑事裁判の実務で訴因の特定の問題と関連して論議されてきた。すなわち行為者の過失と認定すべき注意義務違反に関する考え方には、二個以上のすべての行為が過失犯の構成要件該当行為とする過失併存説と、最後の直近行為だけを過失犯の実行行為とする直近過失一個説がある
33。船舶衝突事件においては、捜査実務上、直近過失一個説に基づいて過失の実行行為を特定する傾向にある。したがって結果たる船舶の衝突を起点として、因果の連鎖を遡りながら過失責任の有無を検討していき、もっとも衝突に接着した時点での過失のみを実行行為としている。
一方、海難審判では、不注意とは法規によって命ぜられた注意義務の欠缺を意味し、過失と法律上の義務とは互いに表裏をなすものであるとする考え方が存在し、海上衝突予防法に定められた義務の違反を行政上の責任に密接に関連させる傾向にある
34。また海上衝突予防法あるいは国際海上衝突予防規則は、特別の事情の存在する場合を除き、過失の有無大小を判断する際の最高の準則(paramount rule)であるとされ、法律上の正当な理由が存しない限り、法律上の義務違反は責任原因たる過失となり
35、多くの場合、海上衝突予防法の航法違反は同時に船長の過失を推定する
36。したがって平成11年の衝突事件(岸壁係留船舶等と衝突した事件を除く。)に関する裁決330件すべてに海上交通法規が適用され、裁決に示された適用法令をみると、全体の約95%にあたる314件に海上衝突予防法が適用されている
37。
海難審判における過失認定は、基本的には相手船を初認した時点から衝突に至る指向性を有しており、両船の衝突プロセスで明らかになった海上交通法規上の作為・不作為義務の違反の中から、海難原因となった注意義務違反を特定する方法をとる。したがって刑事事件における直近過失とは異なる法的思考をする場合が多く、時系列的には衝突から相当遡る時点で過失を認定するのが一般的である。例えば、典型的な見合い関係における注意義務を、海上衝突予防法の航法の規定に基づいて時系列で表現すると次のようになる。まず海上衝突予防法に定義されている船舶(第三条第一項)が、その適用海域(第二条)を航行する場合は、一般に当該船舶に対して海上衝突予防法の航法(第二章)が適用され、常時適切な見張りをすること(第五条)と安全な速力で航行すること(第六条)が義務づけられている。船舶が相手船を探知した場合は、他の船舶と衝突するおそれがあるかどうかを判断するために、その時の状況に適したすべての手段を用いなければならない(第七条第一項)。また他の船舶と衝突するおそれがあるかどうかを確かめることができない場合は、これと衝突するおそれがあると判断しなければならない(第七条第五項)。
接近する船舶の法的地位が同じ場合で、かつ狭い水道や航路筋(第九条)などの特殊海域ではない一般海域を航行している場合は、基本的には狭義の航法が適用される。両船が互いに視野の内にあるときの代表的な航法は、追越し船の航法(第一三条)、行会い船の航法(第一四条)、横切り船の航法(第一五条)であり、各々の船舶に対して操船上の作為・不作為の義務が規定されている。また航法上、避航船としての立場にある場合は、他の船舶から十分遠ざかるため、できるだけ早期に、かつ、大幅に避航動作をとらなければならず(第一六条)、衝突を避けるための動作を履行する義務も生じる(第八条)。また保持船としての立場にある場合は、避航船との接近状況の段階に応じた行為規範(第一七条)を遵守しなければならず、基本的には針路・速力の保持義務の発生(第一項)、避航動作をとる特権の発生(第二項)、最善の協力動作をとる義務の発生(第三項)が定められている。なお定型的な航法に馴染まないような事象については、その時の特殊な状況により必要とされる注意や船員の常務として必要とされる注意に基づく非定形的な航法をとることが要求される(第三八条、第三九条)。
以上のような海上衝突予防法に規定された注意義務と具体的行為との関係は、海難審判では衝突の原因究明という観点から検討されるが、刑事事件における過失の実行行為の認定とは基本的差異があると思われる。刑法理論における段階的過失のように、過失の認定にあたって、まず時間的に最終の行為から検討を始め、結果の予見可能性や回避可能性が否定される都度、順次時間的に遡って予見可能性や回避可能性を伴う過失行為を求めていく手法では、時系列的には結果回避不能領域との境界を意味する結果回避可能限界点から具体的危険の発生した時点まで、過去に向かって具体的危険領域の注意義務違反を順次検討していく。したがって直近過失一個説のもとでは、結果回避可能限界点に近い具体的危険領域上の注意義務違反が過失の実行行為として認定される傾向にある。
しかし海難審判における過失の認定では、時系列的に最終の行為から検討を始めることはなく、前述したように初認から衝突に向かう法的思考のもとで、海上衝突予防法に定められた衝突回避動作に照らして判断される。したがって衝突直前の過失については衝突原因の一因として補助的に認定されることはあるが、主因は当該見合い関係を律する海上衝突予防法の航法に定められた注意義務の違反に求められることが多い。例えば、海難審判の裁決の中では、「衝突を避ける措置が十分でなかったこともその一因をなすものである」という文言で衝突直前の過失を認定している。