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◎3 歓楽地の萬華、本島人街大稲
台北市街図(一九一四年発行)
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 台北市を構成していた地域としては、城内の外にも淡水川沿いの「萬華()」(註18)(図[5]左下)と「大稲」(図[5]中央上)があった(註19)。この二つの地域には田村は足を運んでいないが、この地域の様子や地理的心象は、台北市在住の橋本白水が著した「島の都」という書物から窺い知ることができる(註20)。まず萬華については、城内すぐ西隣の西門市場一帯と、淡水川により近い萬華遊廓について以下のような描写がなされている。
 
台北の歓楽卿であり楽天地である西門市場付近を見物する。この地一帯は市民の遊び場所として三百六十五日肩摩轂撃人車絡繹の有様である。先ず楕円公園の前からこの地付近に来ると、今まで見た場内の気分は一変する。来る人、去る人、女が多い。朝の五六時頃この辺に来て見ると、腐った鯛の目のような遊冶郎が、車上恥かしげに、萬華方面から来るものがあると思へば、時にはなまめかしい職業婦人が、掻き上げたとは云へ尚二三本乱れ髪を朝風に嬲らせながら屋形返りの淫らな後姿も見へる。全くダークサイトである。

台北の不夜城といへば、淡水河畔の長堤に沿ふたる萬華遊廓のことである。この不夜城の数はすべて、二十七軒、これに鎮座する女菩薩は二百四十九人を有して居る。今から七八年以前には四百五十人も鎮座ましまして居ったといふ事である。…御常連はサラリーマンが多い、専売局、鉄道部抔が先づ優なるものであらう。総督府にも随分萬華に信仰者が多いといふ事であるが、大抵は独身者である。若い法学士さんもあれば、御医者もある。或る時には高等官三等位の人が忍び行くのもある。
 








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