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◎6 南国都市の都市文化◎
 西洋と東洋、そして南国や日本の風景。このような近代日本人が異質な他者と出会う中で構想し、特定の意味付けを与えた心象地理が、南国都市台北の都市空間には選択的に投影されていた。すなわち城内・萬華・大稲・郊外といった清朝期以前の空間形成の影を引きずった異なる地域に、特定の意味付けが与えられ、そしてより他所に開かれた心象地理を結びつけるなかで、差異化され、より他者性を孕んだまさに異質ないくつかの地域を生み出していたのである。このようにして南国都市の台北は、異なった文化を持った人々が共に居住するばかりでなく、異他なる心象地理を喚起するいくつかの地域を包含し、まさに異種混清の都市となっていたのである。
 南国都市台北を生み出した帝国主義という時代背景、日本による統治、そして幾つかの地域の特定の意味付けや投影された心象地理は今は亡き影となっている。その後、既存の場所の意味や心象は、読み替え、置き換え、時に再活性され、物理的空間の一部は破壊され、あるものは再利用されている(西門町界隈は映画館の乱立する歓楽街として継承され、既存の物理的都市空間の多くが再利用され、台湾神社は取り壊された)。すなわち南国都市は、このような動的な過程でさらなる他者性をはらんだより一層の異種混淆の都市となっていったのである。それ故に数多の他者性が沈殿した南国都市は、時空間的にいくつもの他者と出会い、混じり合わせ、新しい文化、空間、景観を想像/創造する可能性の空間となっている。他なる空間を潜在的に指し示し、異他なるものを混淆させ、動き続ける南国都市には、新しい都市文化の地平が見えるように思われる。
〈大阪市立大学大学院後期博士課程・地理学〉
 
1 田村剛「台湾の風景」雄山閣 一九二八
2 サイード、E 今沢紀子訳「オリエンタリズム」平凡社 一九八六
3 志賀重昂「日本風景論」政教社 一八九四
4 志賀重昂「南洋時事」丸善商社 一八八七
5 伊能嘉矩「台湾史 巻一」文学社 一九〇二年
6 この期間は、スペインが台湾北部を、オランダが台湾南部を統治していた。
7 殷允編 丸山勝訳 「台湾の歴史 日台交渉の三百年」藤原書店 一九九六
8 陳石煌「楽園台湾の姿」鹿島出版社 一九三六
9 松澤聖「台湾および内地観光案内」台北活版社 一九二九
10 鶴長嘉仲太「観光と産業の台湾」精秀社 一九三二
11 台北市役所「台北市政二十年史」台北市役所 一九四〇
12 前掲11
13 前掲9
14 前掲11
15 前掲11
16 林肇「台湾を語る」殖民時代社 一九三三
17 前掲11
18 清統治期には、の名で呼ばれていたが、日本統治期にはその読み方を日本語の漢字に当てはめた、萬華の名が広く流通するようになっていった。
19 これらの三つの地名は、行政上は一九二〇の市政実施に際して消滅していたが、それぞれ特徴を持った地域であったため通称として使用され続けていた
20 橋本白水「島の都」南国出版協会 一九二六
21 前掲[11]
22 又吉盛清 「台湾 近い昔の旅〈台北編〉植民地時代をガイドする」凱風社 一九九六
23 山本春川「台湾興行界不振論」「演芸とキネマ 創刊号」台湾芸術娯楽社 一九二九
24 「機闘」と呼ばれる原籍地別の抗争があり、州人に敗れた泉州人が、既存の対抗勢力の居ない地に移住したのである。
25 水谷天涯 「台湾 附台湾旅行地理案内」不明 一九二八
26 台北市役所「台北市案内」台北市役所 一九二八
27 前掲9
28 前掲25
29 中島春甫「台北近郊の礁渓・北投・草山・金山温泉案内」台湾案内社 一九三〇
30 佐藤政蔵「大屯山彙と温泉」台湾産業評論社 一九三七
31 この時には、田村と共に国立公園計画に深く関わった本多静六が「御大典記念 大屯山公園設計概要」として、一九二八年に草山を中心とした公園設計方針と設計図を発表していた。
32 台湾国立公園委員会「第一回台湾国立公園委員会議事録」台湾国立公園委員会 一九三六
33 また城内南の植物園においては、田村の来台後すぐに台湾の靖国神社である建功神社か建立されていた。
34 「始政四十周年記念 台湾博覧会ニュース」昭和10年6月17日
35 前掲34
36 陳石煌「躍進台湾記念博 台湾風景紹介誌」台湾風景紹介誌発行所 一九三五
37 「始政四十周年記念 台湾博覧会ニュース」昭和10年9月21日








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