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居住区
 城塞の南西約600mに設定した居住区発掘区(図版3、31-1、2)では、5グリッド×5グリッド(1グリッドは5m×5m)、25グリッド625m2を発掘した(図版10、31-3)。この結果、城塞区とは異なる様相が明らかとなった。ここでは、今回の調査で明らかとなった事実を列挙し、2004年度以降の発掘調査によってそれらの事実を確定、修正、付加することとする。
・建造物の材料はサンゴ・ブロックと日干レンガである。(1)サンゴ・ブロックが単独(図版31-4)、(2)日干レンガが単独(図版31-5)、あるいは、(3)下部にサンゴ・ブロック、上部に日干レンガ(図版31-6)が使われる例がある。例えば、建造物ブロックK1では、(1)は部屋K1-3の南、西壁、部屋K1-4の東、北壁、部屋K1-5の東壁、部屋K1-6の西壁、部屋K1-7の東壁、部屋K1-8の東、西、南、北壁、部屋K1-11の西壁、(2)は、部屋K1-2の東、西、南、北壁、部屋K1-3の北壁、部屋K1-4の南壁、部屋K1-5の南、北壁、部屋K1-6の東、南、北壁、部屋K1-10の東、南、北壁、(3)は部屋K1-1の東、西、北壁、部屋K1-7の西、北壁、部屋K1-10の西壁、部屋K1-11の東、南、北壁であった。
・レンガのサイズは、長さに対して幅は2分の1というのが一般的である。しかし、建造物ブロックK1の北外壁、建造物ブロックK2の南外壁と西外壁では、45cm×32cm、43cm×30cmなどの寸法の異形レンガが確認された。また、長さは43cmを中心に、40cm台が多いが、38cmあるいは54cmの長さのものも確認された。
・発掘区北東コーナーの壁体はタイル状の日干レンガと三角形の日干レンガを組み合わせて作られており、北に向かって幅広くなっている(図版31-7)。
・発掘区北西コーナーには、30cm×30cmのタイル状日干レンガによる壁体が確認されている。ビザンティン時代に用いられたレンガで、ワーディー・アットゥール修道院遺跡でも発見されている(図版31-8)。
・部屋K1-9では・22cm×9cmの焼成レンガが出土した。ただし、これは建造物の一部をなすものではなかった。
・5本の二重壁が確認された。特に、発掘区中央部の部屋K1-2〜6、K1-13〜15は北、西、南を二重壁(図版32-1)で囲まれ、街路に面した東壁のみが単一の壁である。このように、二重壁に囲まれた空間がひとつの住居ユニットを構成するものと考えられる。
・二重壁を根拠に判断すると、発掘区には6以上の住居ユニットが存在した。
・発掘区では2本の街路が東側と西側で確認された。東の街路K1は部屋K1-9の東に幅1.6m〜3.2mで走っている(図版32-2)。また、西の街路K2は部屋K1-11の西に幅1.85mで走っている(図版32-3)。
・発掘区からはタンドール型かま(図版32-4)15基と3連かまど(カーヌーン、図版32-5)1基が発見された。また、多数の地床炉と灰の堆積が確認された。この数と灰の堆積の量は、部屋の内外で煮炊きが頻繁に繰り返された事実を示している。因みに、前述の住居ユニットK1では、約75m2の中に4つのタンドール型かまがあった。
・発掘区全域で貝類の殻が多数発見された。特に、部屋K1-2では巻貝の集中、部屋K1-7では二枚貝の集中が確認された食用と蓋利用のために貝が採集されていたことを示している(図版32-6)。
・部屋K1-7(図版32-7、8)とK24(図版33-1)の一部を深く掘ったところ、発掘された住居の下に異なる時期の建造物が存在することが明らかとなった(図版33-2〜4)。
・発掘区からは8世紀後半から末に属するコイン、グラス・ウェイトなどが発見された。城塞区から出土した年代が明らかな遺物の中で最古のものはヒジュラ暦198年(西暦813/4年)のものであるが、居住区からはヒジュラ暦181年(西暦797/8年)に鋳造されたアッバース朝金貨(カラー図版3-1、2、図版33-5)、ヒジュラ暦162年(西暦779年)に製作されたディスク・ウェイト(カラー図版3-3、図版33-6)、ヒジュラ暦179年あるいは180年(西暦795年あるいは796年)に製作されたグラス・ウェイト(図版17-2、36-9)が発見された。
・出土遺物の中で、土器類が2,115点であるのに対して陶器は92点であった。城塞区では、土器類が370点であるのに対して陶器は528点である。陶器1に対する土器の比率は、居住区では23:1、城塞区では0.7:1である。すなわち、居住区が生活空間として機能していた痕跡が明瞭である。
・また、イスラーム時代以前の特徴を示す土器が多数出土した。
 今後の発掘調査は、居住区の様相をより明らかにし、港市ラーヤの全体像が等身大に描写されることとなるであろう。
 
 出土遺物は、数万点の一括取り上げ遺物と6,989点の一点取り上げした登録遺物であった。城塞区の登録遺物は2,426点で、その内訳は土器370点、陶器528点、道具類427点、装身具・化粧具類368点、ガラス器486点、建材81点、コイン2点、フィルター2点、石製品1点、布類11点、文書類14点、ランプ8点、金属片110点、中国陶磁器類7点、自然遺物11点、居住区の登録遺物は4,563点で、その内訳は土器2,115点、陶器92点、道具類978点、装身具・化粧具類50点、ガラス器1,111点、グラス・ウェイト6点、建材10点、コイン9点、フィルター11点、布類11点、文書類8点、ランプ4点、金属片65点、中国陶磁器1点、自然遺物92点である。
 城塞区出土遺物で注目すべき点は、土器(図版11-1〜4、34-1〜5)よりも陶器(図版11-5〜8、34-6〜8)の登録点数が多いこと、装身具類368点中、ビーズが340点を占めること、手廻し石臼が48点出土したこと、ステアタイト製容器が154点出土したこと、鉄釘が136点出土したことなどである。
 城塞区出土遺物で特筆すべきものは、10〜11世紀の越州窯青磁、ステアタイト製の容器および蓋(図版11-9〜11、34-9、10)、骨製家具あるいはマシュラビーヤの一部(図版12-1、2、34-16、17)、骨製装飾板(図版12-3、34-15)、石製鋳型(図版12-5、34-11)、ガラス製香料ビン(図版12-12、13、34-20、21)、アラバスター製容器(図版12-4)、石製香炉の把手(図版34-12)、木製紡錘車(図版12-6、34-13)、パイプウニを利用したクフル・スティック(図版12-14、34-14)などである。
 一方、居住区出土遺物で注目すべき点は、陶器(図版15-7〜9、36-1〜3)が92点であるのに対し、土器(図版14-1〜15-6、35-1〜14)が2,115点を数えたこと、9〜10世紀を中心とするガラスが1,111点出土したこと、城塞区で340点出土したビーズが16点に過ぎなかったこと、手廻し石臼ラハーヤが35点出土したこと、ステアタイト製容器が464点出土したこと、鉄釘が378点出土したことなどである。
 居住区出土の土器は、城塞区の土器と様相が異なる。大型の壼(図版14-1〜3、35-1〜3)、ミニチュアの壺類(図版14-5〜7、10、35-4〜7)、赤色磨研土器(図版14-9、35-8)、彩文土器(図版15-1〜5、35-9〜13)が多いのが特徴である。また、型押刻線文が施された土器(図版15-6、35-14)、凸面フィルター付飲料水用小壼(図版36-5、6)などもある。
 このほかに、8世紀頃の型押文陶器(図版15-7、8、36-1、2)、淡い緑色と紫色を配したアッバース朝陶器(図版15-9、36-3)、龍泉窯青磁(図版15-10、36-4)、種々のステアタイト製容器(図版16-1〜17-1、36-7)、ビン・マジーディーと読めるクーファ書体の墨書が認められるオストラコン(図版36-8)などが重要である。
 また、居住区からは年代が特定できる遺物が数点出土した。RGW-K6は779年に作られたディスク・ウェイト、RGW-K1は795年または796年に作られたグラス・ウェイト、RC-K6は西暦797/8年にイラクで鋳造された金貨である。
 なお、ガラスについては真道報告を参照されたい(53〜55、図版12-7〜13、18-1〜13、34-18〜21、36-14〜19)。
 
金貨・グラスウェイト
 
 
 







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