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ワーディー・アットゥール修道院遺跡の考古学的調査および保存処理作業
 2003年度には、主教会の細部発掘調査および形質人類学的調査、修道院内部の計寸作業、そして保存処理作業を実施した(図版20)。
 主教会ネイヴの床下に埋葬された人骨の発掘調査(図版21)は、2002年度の作業を継続し、ネイヴ東部の発掘を終了した。この結果、新たに数十体の埋葬人骨が存在したことを確認した。これらのうち、完全な人骨は少なく、棺が著しく破損している場合もあるので、墓が何度も再利用されたことが明らかである。
 本年度で、上層の埋葬人骨の調査は終了した。そこで、上層の状況を概観すると、ひとつの棺の中に複数の人骨が埋葬される例が多いこと、老若男女の人骨が存在すること、乳幼児の人骨が高比率を占めること、多数の子を産んだ痕跡を持つ老年女性の人骨が存在することなどが分かった。さらに、遺構の状況を見ると、アプスとネイヴを仕切るイコノスタスィスの石造基礎部が棺を作るために3箇所で削られていることが確認された。この事実は、修道院内主教会が使用されなくなった後に上層の埋葬が開始されたことを示している。また、アプスの南西部に見られる床面の破損状況に注目し、発掘したところ、新たに埋葬人骨を確認することとなった(図版37-1)。東方教会においてアプス床下の埋葬例は存在しないので、この埋葬も教会が使用されなくなった後に行われたものであると考えられる。
 なお、乳幼児人骨が多数確認されたネイヴ南東部の石棺内部の精査の結果、成人男子の頭骨が単独で発見された。この頭骨には緻密に仕上げられた布が巻きつけられており、特別の人物であった可能性が高い(図版37-2)。
 修道院遺跡からは120点の登録遺物と多数の一括取り上げ遺物が出土した。内訳は建材(タイル)2点、土器8点、ガラス器片17点、装身具類9点、陶器2点、布類4点、道具類65点、人骨以外の自然遺物(貝、獣骨、魚骨、松脂など)13点であった。これらの中で、特筆すべきことは副葬品が極めて少ないこと、木棺に使用したと考えられる鉄釘が57点6出土したこと、木棺の破片が4点出土したこと、典礼に使用された可能性が考えられる松脂が発見されたこと、などである。
 計寸作業は、外壁に接して建設された一室構造のセル群の内側にある街路を中心に実施した。この結果、初めに建立された東部の街路幅は1.7m台であるが、増設された西部の街路幅は22m台であった。詳細は修道院遺跡の正式報告書に掲載される予定である。
 保存処理作業は、タワー3の周辺とセル8〜11、タワー5と6の間のセル28〜32、階段1、2(図版37-3、4)、3、5および集会場兼食堂の北壁外面東部(図版37-5)に施された。
 
 2003年度は、保存処理すべき近現代家屋の最終決定と緊急性を要する部分の局部的補修を実施した。2002年度までは、1、26〜28、30〜32号家屋、計7家屋の保存処理を考えていた。しかし、再確認したところ、27号家屋と28号家屋は破損状況が激しいため、保存は不可能であろうとの結論に達した。そこで、この2家屋に関しては、写真、測量等の記録をとりつつ除去するとともに、発掘調査によって基礎部の構築法を明らかにすることとした。結果として、現時点では、1(図版37-6)、26、30、31、32号家屋に保存処理を施すこととした(図版22)。
 その後、破損の激しい部分を局部的に緊急補修した。1号家屋の北西コーナー部と北外壁中央部(図版37-7、8)、25号家屋の北東コーナーと北外壁東部、31号家屋の東外壁中央部(図版38-1、2)と南部、32号家屋の西部(図版38-3)などである。
 2004年には、除去するべき27号家屋と28号家屋の基礎部を発掘調査し、建造物の基礎部の構造を明らかにし、32号家屋ほかの保存補修の資料とする予定である。
 
 2002年に引き続いて、2003年8月30日から9月4日、12月29日から2004年1月10日まで、ナークース山の岩壁碑文群(図版23)の確認作業と計寸作業を実施した。碑文集作成のための確認・計寸作業は、2002年に碑文が集中する南区から始められ、2003年1月までに南I区から南IX区の大部分を終了していた。
 2003年夏期の確認・形寸作業は南IX区で残っていた南IXc区から始め、南X区から南XIV区まで、すなわち南区の全碑文を終了した。また、冬期に中区の全碑文の確認・計寸作業を終了した。これで、南区925碑文、中区482碑文の確認・計寸作業を完了し、碑文数が確定した。
 南区の碑文925点の内訳は、S-I区で9点、S-II区で0点、S-III区で5点、S-IV区で5点、S-V区で21点、S-VI区で12点、S-VII区で1点、S-VIII区で4点、S-IX区で259点、S-IXa区で138点、S-IXb区(カラー図版3-4)で60点、S-IXc区で56点、S-IXd区で58点、S-IXd.add.区で20点、S-IXe区で19点、S-IXf区で5点、S-X区(カラー図版3-5)で76点、S-XI区で52点、S-XIa区で21点、S-XII区で92点、S-XIII区で1点、S-XIV区で11点であった。
 また、中区の碑文482点の内訳は、M-I区で226点、M-Ia区で5点、M-II区で53点、M-III区で198点であった。残る確認・計寸作業は北区の碑文約280点である。
 ナークース山の岩壁碑文は祈願文が中心で、長さ1m以内の短いものが大部分を占めるが、中には2mから3mに及ぶものもある。南区と中区で最長のものは、S-XIV-004で、305cm×55cm、S-XIV-005がそれに次ぐもので、300cm×50cmであった(図版38-4)。
 碑文の中で、注目すべきものをいくつか取り上げる。図版39のS-XII-053碑文は、100有余年の忘れ去られた時期の後、2000年夏にこの碑文群を再発見した際に注目され、本格的調査のきっかけとなった碑文である。「アッラーよ、あなたのご慈悲をもって、ムーサー・ビン・マスルール・アッダバーグと彼の両親とすべての男女イスラーム教徒の罪を赦し給え。全世界の所有者を信じます。彼(ムーサー)は滅びない生を持つ方を信頼します。245年に書いた。」と書かれている。
 図版40-1、2は235年に書かれたS-IX-174碑文である。35年に書かれたS-IXa-132碑文の真偽をめぐる問題を解く鍵となる碑文である7
 図版40-3、4は北区の碑文であるが、美しいヒゲ飾りクーファ書体で書かれている。これも45年碑文(N-IV-102)の真偽の判断に関わる重要な碑文である8
 図版40-5、6はカイザーAlfred Kaiser(M-I-059)とフェアヴォーンVerworn(N-IV-404)の碑文である。前者は1800年代後半にトゥールに十数年間(1886〜1898年)住み着き、調査研究した自然科学者であった。彼の宿泊施設付き研究所は、当時の旅行案内書にも、トゥールの宿泊可能な施設である9と紹介されている。また、後者は1896年にナークース山碑文群をアラビア語岩壁碑文群として認識した唯一の研究者で、数碑文を調査した10。この他にも、多数のヨーロッパ人が1800年代に刻んだ碑文が存在する。これらは、「埋もれた教会」伝説11流布の問題と同時に、あらゆる興味からシナイ半島を訪れた19世紀ヨーロッパ人の貴重な記録である。
 2004年の夏期調査で、全碑文の登録・確認・計寸作業が終了する。できる限り早い『ナークース山岩壁碑文集』の刊行を目指している。
 
【訂正とお詫び】
川床睦夫編『エジプト・シナイ半島ラーヤ・トゥール地域の考古学的調査2002年度』中近東文化センターイスラーム・エジプト調査委員会、2003年、図版16に記載した絶対標高に誤りがありました。計算違いのため、11.0cm低く表示されておりました。表示の数値+11.0cmが正しい数値です。ご訂正下さい。ここに、記してお詫び申し上げます。
 

1 この他にも、第48章第28節、第61章第9節に同文が見られる。井筒俊彦訳によると、「彼(アッラー)こそは御導きと真理の宗教とを持たせて、使徒(マホメット)を遣わし給うた御神。この(宗教)をあらゆる宗教より上に高く揚げようとの大御心じゃ。多神教徒の人々には気の毒だが。」(『コーラン』上、岩波文庫、1957年、p.255)
2 同一金貨がカザン・コレクションWilliam kazan Collectionに収められている。Bank of Beirut(ed.), The Coinage of Islam, Beirut, 1983, pp.221-222.
3 Morton, A. H.,A Catalogue of Early Islamic Glass Stamps in the British Museum, London, 1985, no. 340, p.122 and Pl.17;Balog,P., , New York, 1976, pp. 201 and 212.
4 Balog, op. cit., no. 636, pp. 226-227 and Pl. XXXVIII.
5 Balog, op. cit., p. 187; pp. Morton, op. cit., no. 310, p. 113 and Pl. 15.
6 木片が付着している例もある。
7 2004年11月に出版される『三笠宮崇仁親王殿下米寿記念論集』(同刊行会編)所収の拙稿「シナイ半島ナークース山のアラビア語岩壁碑文について−35年碑文と45年碑文をめぐって−」参照。
8 註7参照。
9 Baedeker, K. (ed), Egypt: Handbook for Travellers, Part First, Lower Egypt and the Peninsula of Sinai, Leipzig, 1895, p. 272.
10 Sticked und Verworn, "Arabische Felseninschriften bei Tôr," Zeitschrift der Deutschen Morgenländischen Gesellschaft, Bd. 50, 1896, pp. 84-96.
11 註7参照。







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