日本財団 図書館


「奥さんが命令する伝統」のルーツとは
 さて、この海民が集まって水辺に住んで、そこに定住する。
 ゾウを追いかける狩猟民ではありませんから、同じ場所に定住する。アサリ、ハマグリ、シジミや海草をとるのが一番楽です。だから巨大な貝塚ができるわけですね。そのとき女性はどういう仕事をするのか。当然、出産と育児、それから食品加工と調理と衣服づくり。それからハマグリだけでは生活できませんから、男は船に乗って魚とりに出かけていく。すると時々嵐が来て全滅する。村の男たちがみんな死んでしまうということが、当然ある。
 そういう時どうするのか。村の中に男は高齢者と少年が少ししかいなくて、これを女性がみんなで共同利用する。そうでもしなければ、村が絶えてしまうのですからね。そうなるに決まっているわけで、昔の話ですが瀬戸内海沿岸から高知県、愛媛県、宮崎県とか、大分県あたりを歩くと、あの辺はほんとうに売春が盛んでした。それも売春していると思っていない。通りがかりのいい男がいたら寄っていらっしゃいです。非常に開放的です。夜ばいは公然と存在した。
 戦記物をよく読むのですが、兵隊が戦争に負けて日本へ帰ってくる。「故郷はどちらだ」というとき、四国や九州、沖縄の人は、「一緒に大阪に行ってひとつ商売をやろうじゃないか」と誘っても来ない。というときの理由に、「いや、故郷には夜ばいというのがあって、あんな楽しいことはないんだ。だから都会になんか行かない」と言って戦友が別れ別れに帰っていったと書いてあります。どうもそうらしい。
 そんなわけで、女性は留守を守る。それから気象観測をして、「今日は危ないからやめておけ」と男に言う。同じ場所に住んでいますから、あの山に雲がかかったらどうとか、気象観測のエキスパートになります。コオロギが増えたら大雨とか、そういうのを発見したのはそこに住んでいる女性に違いない。
 すると、その先どうなるか。この女性が指揮をするようになる。今日はやめておけとか、今日は早く帰ってきなさいとか、奥さんが命令するようになります。それが確かに日本の伝統です(笑)。
 さて著者の上田さんは、なんで沖縄に行ったかというと、そういう巫女が今でもいるわけですね。神様のお告げを聞く超能力があるという女性がいる。その人を「ノル」と言うと本に書いてあります。「ノルばあさんのところに行って聞いて来い」と言うんですね。すると、ハッと思いませんか。ノルというのは、「言う」ということです。神主が神様に言うのを祝詞(のりと)と言いますね。それから「みことのり」といいますが、天皇がお言葉を発するという意味ですね。
 ノルというのは、要するにしゃべるということであり、みんなかしこまって聞くことです。沖縄にノルという女性がいるということは、ああ、それが卑弥呼かなと思います。卑弥呼は中国の文献にあるが、沖縄には実在する。
 
縄文時代は「ヒメ・ヒコ制」、そしてヒメが上
 日本の家庭でも奥さんがだんだん威張って、こうしなさいと言うようになる(笑)。すると、わりと男が聞くのはご承知の通りです。この辺はどうも伝統らしい。女性が全責任を持つようになる。男は外をほっつき歩くから、家庭や地域のことにはあんまり責任がない。上田さんは「ヒメ・ヒコ制」と書いています。女性をヒメといい、男をヒコという。「姫」「彦」とも書かれるが、原義からいえば「日女(ひめ)」「日子(ひこ)」と書くべきかもしれない。
 その「ヒメ・ヒコ制」というのが、縄文時代ぐらいのころの日本の社会制度だろうと思われます。するとヒメのほうが上である。ヒメが命令するとヒコは「はい」と言って、荒っぽい危険なことをする。それが今でも沖縄にあり、あるいは天照大神の言い伝えの神話の中にもあると思います。
 そういうところで結婚はどうなっていたか。「妻どい婚」といいますが、男のほうが娘のいるところへ行く。それで朝になると帰ってくるわけですね。平安時代まで続いています。
 上田さんが書いているのは、歌が証拠である。天皇のことを言っているのですが、今夜行ってもいいかというのを歌で詠む。すると、来てもいいですよというのをまた歌で詠む。これが、万葉集にたくさんある。万葉集には恋愛の歌が多いというのは、そういう理由だというわけです。
 私のいとしい彼氏が今夜はそろそろ来るはずだ、クモが一生懸命巣をつくっている、という歌があります。和歌山県のほうに囲われていた女性です。天皇は方々に女性を囲っていた。クモが一生懸命巣をかけているという意味は、自分も網を張って待っているぞ、来たら捕まえてやろうという二重の意味みたいですね。
 思い出すのはマルコポーロの『東方見聞録』の中に、南中国の農村を彼は旅行するが、よそ者の男が来ると、御種拝領というのがある。血族結婚ばかりしていると弱くなりますから、旅人からお種をもらおう。これは日本でもありますが、南中国にはそれがあって、大変楽しかったという。ただし、何か品物をちょっと渡す。記念の品物を渡すと、結局それが「これをくれた人がお父さんだ」という証拠になるんですね。子供が生まれたとき、お父さんはこれをくれた人だ、もういなくなったけれども、という証拠の品です。ちょっとしたものを渡せと『東方見聞録』に書いてあります。だから日本に限ったことではないようです。
 
当時の日本は女系社会?
 話を本に戻せば、つまり当時の日本は女系社会になりますね。奥さんはその家にずっといるのですから。それで、男は通ってきて、そこから先はどうなるのか。この本には書いてないのですけれど。
 さて天皇は何をしていたかというと、豪族のお嬢さんをどんどん愛人にする。それで、豪族を手なずけて支配していく。だから豊臣秀吉でも徳川家康でも、おまえの娘を人質に出せと言いますね。娘を人質にとったら裏切らないだろうという、そういう習慣が昔からある。天皇も方々の娘さんを集めてきて、自分の家に置いておくが、それは利用しても良かったらしい。質や担保に対しては使用権があったらしい。古来の習慣です。そして子供ができたら、そこからが不思議なんです。男の子供ができたらお母さんと一緒に実家に帰してしまう。だから、天皇には家族がいなかった。天皇はいつも一人でいた。あとはまだ男の子を生まない女が周りにたくさんいたわけですね。というのが昔の天皇制であると書いてあります。御種拝領の変型ですね。
 昭和天皇は二十歳でヨーロッパを旅行したとき、イギリスの王室とお互いによく似ているねという話をする。イギリスと日本は日英同盟で、それがなくなった直後ぐらいですが、「日本とイギリスはよく似た国だ、仲よくやろう」という話をさんざんして帰る。
 さて帰国してみると、周囲には女性がたくさんいる。これはちょっと説明がつかない。向こうはキリスト教だから、一夫一婦制にしないと文明国とは思ってもらえない。そうしないと日本とイギリスのきずなが怪しくなる・・・と思ったかどうかは知りませんが、ともかく帰ってきて昭和天皇が宣言したことが二つあるわけですね。一つは側室を置かない。皇后陛下ひとり。もう一つは死ぬまでそのかわり、・・・そのかわりと言ったらしいのですが、私はゴルフをするぞと言ったらしい(笑)。それで、皇居の中にゴルフ場をつくった。空中写真を見ると、今でもその形跡がわかります。一八ホールはなくて、九ホールです。しかも狭いところにつくっていますから、途中でコースがクロスしている。しかし、やる人は自分しかいないからボールが当たる心配はない。
 そんな話がありまして、側室を置かないぞと昭和天皇が言ったというのは大変なことなんですね。家族を持つぞと言ったわけです。一家団らんが自分には必要だと言った。
 そして次の平成天皇も、この一家団らんを続けるぞと言った。天皇制はほんとうにあのときに変わったのかな、と思います。今度、雅子さまになると、藤原家のようにどうも実家のほうが威張ってきました。これから一体どうなるのか。昔の伝統というのはずっと残っていて、やはり復活するのでしょうか。なぜか残っているのが不思議なのです。そして不思議なことに、伝統は突然復活することがあります。
 例えば、先ほどのフランス人の例でいくと、ローマ帝国がガリア地方に拡大して、そこにいたケルト人がラテン語を話すようになり、ローマカソリックの教会に行くようになる。すると目の前にあるのは十字架です。キリストがはりつけになったむごたらしい像です。それ以外のものは、偶像は禁止ですから無い。
 と一度はなったが、南フランスではいつの間にかマリア様が出てくる。マリア様の彫刻とか絵です。ローマカソリックでは、マリアはただの人間です。拝んではいけない。しかし南フランスの人はやめない。スペインの人もやめない。マリア様のほうが人気がある。
 するとしようがないから、ローマカソリックのほうでも認める。お母さんも偉いと、聖人君子の称号をマリア様に与える。
 ではどうして、ケルト人がマリア様のほうが好きだ、マリア様を拝もうということになったのか。やはり昔の信仰が復活したんですね。そういうことがある。日本にも同じことがあって、靖国神社の問題が起こると、突然眠っていた遺伝子が動き出して、ガラッと世の中が変わってしまうんですね。


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION