日本財団 図書館


一神教が入ってきても骨抜きになってしまう
 おもしろい話をすると、あるキリスト教の女学院の理事をずっとしていたことがあります。理事の中には牧師さんもいます。学校全部があるキリスト教団の持ち物ですから、理事長他、理事の中には牧師が入っています。その牧師さん同士で雑談をする。晩飯を食う、時には酒を飲むこともある。
 そういうとき、牧師同士のうわさをしている。A牧師は聖○○○教会を預かっているが、けしからんやつだというようなことを言う。「なにがけしからんのですか」と聞くと、「自分の母の霊がその教会にあって、そこで祀ってくれているが、三回忌に行ってみたら、母の名前の読み方を間違えている」という話です。日本では「よしこ」と読んだり「りょうこ」と読んだり、何通りもあります。
 「しかし、クリスチャンネームというのがあるでしょう」。キリスト教の道に入ったら、新しく名前を授かる。「それはある」「では、それをきちんと呼べば、生きているときの名前がなんであれ、いいのではありませんか」と言ったらその牧師が怒り出した。なんだクリスチャンになっていないじゃないか、日本人のままだと思ったわけです(笑)。ほんとうにクリスチャンになって、クリスチャンネームをもらったなら、昔の名前がなくなったっていいはずなんですね。
 同じような話をすれば、日本財団の会長をずっと曽野綾子さんがされていました。カソリック教の信者であることは有名です。あるとき私がご自宅にケーキを贈ったことがある。そのお礼状が来たので読むと、「日曜日の午後、修道院の人が集まって貧しい人のために何をしようかという相談を私たちはしていました。するとおいしいケーキが届きましたので、私たちは神に感謝の祈りをささげました」と書いてある。私への感謝ではない(笑)。
 これが一神教の世界なんですね。神様がすべてを支配していますから、だから神様がある人の心にささやきかけて、曽野綾子さんにケーキを贈れと暗示をかけてくれた。そう解釈するからお礼は神様のほうに行って、私には来ない。これは、正しいクリスチャンの態度なんです。私も子供のときから教会に行って暮らしていますから、懐かしいなと思い出しました。しかし、その話をご本人にしたら「そうだ」とは言わず、ちょっと困った顔をされました。やはり曽野さんも根は日本人でした。
 日本人の心は複雑怪奇で、時々一神教が入ってきても骨抜きにしてしまう。日本に来ると溶かされてしまう。「日本教」というのがあって、みんな角をとってしまう。角をとってしまうから、みんな丸くなって日の丸教になってしまう(笑)。
 というわけで、サイエンス信仰とか国連信仰というのも、ずいぶん角がとれてきましたね。もうじき、見る見るうちに変わるでしょう。特に国連がそうです。
 そういう日本教の根本は、人間による世界の統一を信じていることです。神様が世界を統治するのではない。神なんかなくてもよい。人間が世界を統一する。そういう「人間教」なんですね。
 わかりやすい例を言えば、日本の神話では神様が人間をつくったとはどこにも書いてない。イザナギノミコトとイザナミノミコトが降りてきたときは、もう人間がいたのです。子供を産んだ話は、神様が神様を産んだ話です。国民はもう前からここにいる。そのあたりから、ほかの宗教とは違っています。何もかも人間中心。
 この部分は普遍的だと思います。この普遍が世界を統一したほうが、人類は幸せになるのではないかなと思っています。
 
一万年さかのぼったときの日本人の考え方とは
 ところで、今度『一万年の天皇』という本が文春新書から出ました。大変おもしろい本ですからご紹介します。
 著者の上田篤さんは昭和六年生まれで、京都大学の建築を出た人です。専門は建築なのに、いつの間にかこんなほうへどんどん変わってきた人です。だから、専門家を超えていく人なんですね。京都大学の建築で、ちょうど上田さんの一つ二つ年下にいたのは黒川紀章さんです。黒川さんのほうが世の中に知られています。公共建築のほうに行くと好きなことができる。予算がたっぷり出ます。美術館とか、市役所とか、音楽ホールとかの設計をしたほうが格好いいし儲かる。
 そこで多くの人がそちらに行ったとき、この上田篤さんは大阪大学教授になって町家の研究をするんですね。京都、大阪の町人の家について、その住宅部分と商売部分がどういう構造になっていたかを、その生活から見ていく。こういう生活でこういう商売だから、こういう建物でという研究をして、みんなは感心した。
 それで町並みの研究をする人になるのかと思ったら、十年ぐらいして会ったら今度は神社の大家になっていました。京都、奈良、大阪にいれば神社は山ほどありますから、その建物の研究をしていた。しばらくすると今度は沖縄ばかり行くようになる。何をしているんだろうと思ったら、今度こういう本が出た。
 神社を研究していれば天皇の研究になります。天皇の源流をどんどんさかのぼると、日本人が天皇をいただく前、「前天皇制」というのがある。それはそうでしょうね。豪族に支配されて住んでいた。
 では、その豪族のボスはどういう原理で上にいただかれていたか。それがだんだんかたまってくると天皇制になって、これは不思議に続いている。まあ当たり前の話ですけれども、前天皇制を見ていくと一万年さかのぼることができるという。それはどんなものであったかと知る方法は、まず一つは『魏志倭人伝』のような中国人が書いた文書。そのころ、日本には文書はない。だからわからない。しかし、それを何とかわかろうとすると、神社を回ると言い伝えがある。神社のお祭りがある。それから神話がある。
 『日本書紀』ができた頃の神話よりも前がわかる。特に沖縄に行くとわかる。その頃の日本人のままの考え方をしている人が、沖縄にまだいる。というわけで沖縄に入り浸るわけです。それを全部まとめて、『一万年の天皇』という本が出ました。大変おもしろいですから、お薦めします。
 
縄文時代、男は狩りをし女は火を継いだ
 この本の中身を、私の理解も加えて話します。やっぱり理科系の人ですから、思いつきを書いているようだけれど文科系の人より理屈が通っている。
 この日本列島に人間が入ってきたのは、大体一万年前であろう。一万五千年前でもいいのですが、そのときは陸続きで、ナウマンゾウという巨大動物をとって食べる狩猟民がだんだん象と一緒にシベリアから日本に入ってきた。
 そのときの男は狩りをする。女性は縄文時代の古い家、草か葉っぱでつくった三角形のとんがり屋根の下に穴を掘って、その真ん中でたき火をして、一番天辺から煙が出て行くような、縄文時代のそんな住宅に住んでいる。男が象をとってくると女性はそれを料理する。火で煮たり焼いたりする。そのために土器をつくる。これも女性の仕事です。大事なことは火が絶えないように見張って、火を継いでいくこと。
 この火継ぎというのが、やがて太陽の日継ぎに変わるんですね。ヒツギノミコというのはどうもここから来る。この辺は科学的根拠は怪しいが、ヒツギというのはファイアー(火)であり太陽(日)であり、それを継いでいく。今でも天皇のことを「ヒツギノミコ」というわけです。「ヒツギ」はもともとは女の仕事であり、天皇は女性だったという画期的な新説です。男のほうは荒っぽい狩りに行って、ゾウに踏みつぶされてよく死んでしまう。だから、結局伝統を継いでいくのは女性だった。
 
気性の異なる「海民」の渡来
 それから五千年ぐらい前になりますと、今度は日本海という海ができてしまうから、大型動物はもう入ってこない。その後は黒潮に乗って「海民」が渡来した。海民という言葉は知っていますか? この十年ぐらい急に日本中で有名になりました。網野善彦さんという人が日本人全部が農民だと思ったら大間違いである。それは農民たちが書いた日本史である。そのほかに日本には水産業の人が浜辺にたくさん住んでいて、これに名前をつければ「海民」だと言った。
 この人たちは徳川二百五十年間の藩幕時代では、下に見られていた。年貢を取る大名が偉くて、払う百姓が偉い。そのほかの商工業や水産業の人はきちんとした税金を納めない。年貢は米ですからね。それで地位が低いわけで、農民は彼らを下に見て結婚しません。それから農民の中から武士が出てきて政権を立てると、海民たちは農地を持ってはいけないとした。海辺の狭いところで住んでいろ、平野に出てきてはいけないという規制をします。
 これは日本中を旅行すれば一目瞭然です。このごろNHKテレビがよく田舎探訪というのをやりますが、それを見てもよくわかります。海っぺりの小さな土地に三〇軒、四〇軒と固まって住んでいます。家と家との間が通れないぐらい。これが海民の村です。今でもありますから、見たければ見られます。そういう集落が海沿いにいくつもあります。
 そういうところに住んでいる人、あるいはそこから出てきた男は、だいたい気が荒い。やることが、いわゆる日本人のイメージとは異なっている。農業地帯から出てきた男とは全然違います。海民の男のわかりやすい例を言えば、野茂英雄です。本人は大阪出身ですが、先祖は五島列島の出身で、祖父が漁師です。それから「神様、仏様、稲尾様」の稲尾和久です。舟をこいでいたから足腰が強いと言われましたが、それ以外にもう人間の気性が全然違う。「やったろうじゃないか、だめだったら死ねばいい。それはそのときのことだ」という感覚です。野茂投手もいっちょアメリカに行こうじゃないかと、日本選手のトップで出て行きました。全然度胸が違う。そういうところが海の民です。
 東京財団は競艇の売上の一部を収入としていますが、モーターボートのレース場があるところはみんな海民のいるところです。桐生から北にはありませんから、あそこが北限ですね。桐生から北のほうは、競馬場になる。海民は、西日本にたくさんいた。
 この人たちは、何かで儲かったら「ようし」と言って使ってしまうタイプです。「明日は明日の風が吹く」とも言います。そういう人をみんな学校に行かせてインテリにしてしまったから、日本中ばくちの精神がなくなったんですね。それを文明化したと言っていいのかどうかです。バイタリティがなくなって、男がいなくなった。それで停滞時代に入ったのではないか、と、そんなふうに思っています。


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION