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統一と永遠を信じられる日本の強さ
 そこでもう一つ、英霊についてです。つまり英霊を慰めるために靖国神社があるのなら、英霊は何を考えて死んだかをもっと考えなければいけない。
 英霊は戦争に行くとき、自分は靖国に入れる、入らせてもらえると思っていた。さて、今、自衛隊がサマーワヘ行くとき「我々も大丈夫ですか」と聞いたら、宮司が「だめだ」と言った話はしましたね。
 つまり祀る人はどんな人に限るかという定義によって、英霊たちは何を恨んだり誇りに思ったりして死んだかが、また変わるわけです。そういう議論は誰もしていません。
 日清戦争のとき清国政府によってチャーターされたイギリス船を、東郷平八郎が艦長だった浪速が沈めたことがあり、その乗組員だったイギリス人が祀られていますが、彼らはいったい誰を恨んでいるのでしょうか。彼らも英霊です。
 ともあれ靖国には誰が参拝してくれるのか。誰が自分の死を飾り、覚えていてくれるのか。家族、これは来るだろう。お母さんは必ず来てくれるだろう。
 それから天皇が来てくれれば、一番話がはっきりしてくる。戦争が終わってからでも天皇はずっと靖国に行っていた。このごろ行かないのはなぜか。それは問題だと思います。けれども、英霊も心が変わって「もういいよ」と言っているなら、行かなくてもいいでしょう。いや、その可能性があるのです。だから日本の民間信仰の研究をしなくてはいけません。神道は教義がないのですからね。それから国民が「神様だったらこう考えているだろう」というのが、東北地方と関西地方と違うんです。民間の信仰ですから、違います。日本教も何種類もある。そういう議論は誰もしていません。
 しかし一般的に言うなら、死んでいった人を気の毒だと思うなら、遺族は子々孫々までお参りしなくてはいけない。それが一番喜ばれる。そのとき子々孫々は、アベックで行って「おかげさまで幸せです。ありがたく思っています」と見せたほうがよい。これは前回にも話しました。英霊が一番喜ぶことだと思うからです。日本の次世代がこういう幸せを手にするために戦ったからです。
 家族が来る、子々孫々が来る。しかし子々孫々もやがてどうなるかわからないとき、天皇がいて、万世一系で永遠に続く存在で、国民全部を代表して時々お参りに来てくれる。そうすると英霊というか、神様は鎮まります。そういう天皇という存在がある国は強い。
 やはり統一があって、永遠を信じる統一が保たれて、心を合わせて、戦争をやれば強いし、自動車をつくらせても良いクルマをつくるし、テレビをつくらせても最高のものをつくる。それが日本国の強さであり、その強さの恩恵は一人一人に来ているわけです。ほんとうに、そう感じます。特に外国に行って働いてきた人はそれを感じていると思います。外国人に話してもまったく伝わらないが、日本人同士だったら「はい、そうですね」と言って話が済んでしまうことが山ほどある。これはありがたいことだと思います。
 
内部コストが高くなれば日本は没落する
 その話をしますと、会社で外国人を使うのは大変です。何もかも書き出さなければいけない。書き出せばそれでいいかというと、必ずその裏をかいてくる。議論をしているとやがて弁護士がやってくる。そんなところではいい仕事ができません。
 内部コストがものすごく高い。だからアメリカ経済なんて全然怖くないと思っています。内部コストが高いのは、弁護士とビジネススクールの卒業生がいっぱいいるからです。これはアメリカ人のほうが最近気がついた。日本経済の強さは、弁護士がいない、ビジネススクールの卒業生がいない、大学院へ行った人が少ない。「よし、それでは日本をアメリカと同じにしてやろう。同じ体質にしてしまえば、日本経済を壊せる」というわけで、弁護士の門戸開放。ビジネススクールに行け、大学院へ行け。成果主義で、労働市場の流動化。それから人材の客観的評価や、何でも金銭換算、時価評価やM&A、自由競争で市場開放等々を日本に半強制して、「日本はだいぶ弱くなった」と喜んでいる。
 それに気がついたのがトヨタやキヤノンで、もとの日本型経営に戻ろうとしている。口がうまい、プレゼンテーションだけの社員なんかもう採用しない。現場から叩き上げるほうが大切な人材だとまた揺り戻ってきた。
 これもまた、アメリカのおかげだと思っています。クリントンその他のおかげで、日本人にも日本のよさがやっとわかってきた。ほんとうにわかってきた。そういうのがわからない若者が、今から弁護士になろうと思って勉強しています。司法改革は、何もかもアメリカと同じ制度にすればよくなるという方向だが、アメリカ人は内心ではそう思っていません。しかし我々には「よくなる」と言う。それを真に受ける日本人が一時たくさんいました。けれども、そろそろ信用失墜です。
 例えば法科大学院というのをたくさんつくりました。法学部の助手が助教授になれて喜んでいます。しかし集まってくる学生は、なかなか司法試験に受からない。親は授業料を払ったが、司法試験が受からないのでは文句たらたらだから、司法試験の合格者を二倍、三倍と増やしています。それで弁護士になって、さあ、食えるんですか?
 事件がなくてはいけない。事件を増やさなくてはいけない。だから事件が増えるように法律を改正しようとなる。つまらないことでもすぐ法律違反になるように、法律や世論や裁判を変えればよい。業界の繁栄ですね。
 これでは今から十年先には、司法もまた信用失墜です。すると日本国民はどういう反応を示すか。弁護士には頼まない、裁判所には持ちこまない、和解で済まそう。または暴力団に頼もう(笑)。これが一番安くて早い。一番コンビニエントなのは暴力団に頼むことですが、すると新型暴力団という商売が必ず発生します。皆さんが若ければ、今から始めれば儲かる。モダンでソフトで紳士的な暴力団。
 理屈はそうです。皆さんが始めなければ、司法関係者がそういうソフトな暴力団にこれから変容していく。ニーズがあるところ、必ずサプライがあるのですからね。そんなことをやっていると、内部コストの高い日本になって、アメリカは大喜びです。日米ともに没落する。ありがたいことに中国も同じですが、すると同じでない国はどこに出現するのでしょうか。
 そう思って考えると、戦前の日本には「世話役」とか「元締め」とか「村役人」とか「本家」とか「顔役」とか名称はいろいろですが、共同体の中のもめ事をまとめる人がいましたが、今はそういう人がいません。裁判所か、暴力団か、世話役の復活か、と考えるとおもしろいですね。
 
理想主義より現実主義が上なのが中国
 国民の気持ちから言うと、国民の気持ちは平和と安全と安定です。現状が続くのを願うと「保守派」になります。革新のコストは高いから、軍事国家でも平和国家でもどちらでもいいから、一度決めたらそれをずっと続けてもらいたい。変わらないでほしい。ということは、今の日本は国民から信用されています。
 もしも国家が信用を失ったら、団結が失われて、喜ぶのは周りの国だけ。それでいいんですか。革新的、進歩的な勢力はこれまで日本国に対して部分的な改善策を説くのではなく、国家の根本への信頼を壊すような活動をしました。日本より外国のほうが立派だとする考えがその一つです。それは本当かどうか。
 そこで日本精神と外国の精神の比較研究が必要になります。靖国神社については中国側の思想を研究しなくてはなりません。
 中国は根本的には非常に現実主義です。だから中国人に向かって「金ばかりだ、口ばかりだ。約束を守らない、信用できない」と日本人は思っているが、これを遠慮して言わない。
 しかし、言っても中国人は怒りませんよ(笑)。日本人は理想主義者で、現実主義者より理想主義者のほうが上だと思い込んでいる。ところが中国人は、現実主義のほうが上だと思っている。理想主義者は謀略にかかった阿呆だと思っている。だから日本人が向こうに行って清らかなことや高尚なことを言うと、向こうは「おお、そうだ。よくぞ騙されてくれた。日本は阿呆だ。謀略は成功した」と思う。私が行って「中国人は約束を守りませんね。法律をつくったって、全然自分では実行しませんね。あなた方が信用しているのは実力だけでしょう、金だけでしょう」と言うと、その場では反対しますが、しかし終わって廊下に出たら寄ってきて、やっと話のわかる日本人を見つけたと言う。あなたは話がわかるから、今後つき合おうと言います(笑)。
 中国の人にずけずけ言っても向こうは本当は怒らない。日本人に対して反論しても、それはポーズです。向こうは失礼なことを言われたと思っていない。むしろ褒められたと思っている。
 例えば中国人はもともと人間を食べる。だから臓器売買ぐらいは当たり前のことで、驚くには値しない。どこかでやっているだろうと思っていました。三十年ぐらい前のことですが、そのとき案内してくれた人は、紅衛兵革命では何百万人か死んだという。共産党の公式文書でも、二五〇〇万人が死んだと書いてある。反革命分子は容赦なくつるし上げて、殺したと書いてある。「しかるに、これだけ私が中国を旅行させてもらったけれども、お墓が全然ない。なぜだ?」と言ったら、返事をしません。食べたに決まっている。当時は食糧難で、何も食べるものがない時代です。だから食糧にするために、反革命分子をつくって無理やり殺して食べたのだろう・・・と、そこまでは言いませんが、二人だけの時に「お墓がないんだから食べたんだろう」と言ったら、しばらくして廊下に出たら、「そのとおりです。よくわかりましたね。日本人にしては珍しい」と言いました。全然怒っていません。人を殺して食べて何が悪いと思っているからです。そいつが弱いからだ、と。弱肉強食は中国では世の習いです。
 孔子の『論語』の中にも書いてあるのです。孔子の家に、人間の肉の酢漬けがあったに違いない。子貢という一番弟子が議論しに行って、議論に負けたら相手を食ってやるという決闘をしたら、食べられてしまった。議論に負けて、酢漬けにされて子貢が食べられてしまった。それで孔子は深く悲しんで、自分の家にあった肉の酢漬けは全部捨てさせたと『論語』に書いてある。
 私が中学二年生のときに習いました。そして「先生、孔子が捨てた肉は何の肉ですか? それもやはり人間の肉だったのではないですか? だからあわてて捨てたのでしょう」と言うと、「そんなことを言うものではない。なんの肉でも見るのが嫌になっただけだ」と言っていた。それが日本人のセンスですね。
 理想主義に生きると、現実主義なら見えるものも見えなくなる。見てはならない、言ってはならない、自分はそういう人間だとポーズをとるようになる。これが中国につけ込まれます。


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