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マグマがいろいろ噴き出している
 話をもとへ戻しますと、秋篠宮家に関連しての議論が盛り上がっています。先週あたりからの週刊誌やテレビ、皆さんもご存じだと思いますが、マグマが噴き出しています。
 マグマはどこに出てくるかわからないのですが、ああこれだと思うものが幾つかありました。たとえばあるテレビ番組が、皇室の経済状況を特集していました。そんなことは昔からある問題です。何で今、急に言うのか。それは、天皇家は大金持ちで、秋篠宮家はそうではないからかわいそうだと国民が思うようになったから、ざっくばらんに言えば「男の子を生んで偉いから、ボーナスを上げなくては」と言っている。
 これが日本教なのです。みんなそう思っているが、それを言えない。何で言わないのか。要するに、近代化した人、高学歴化した人、英米化した人は言えない。「男の子だからお手柄」とは言えないでしょう? そんなことでボーナスを上げたり下げたりなんて言えない。
 しかしマグマが噴き出している。この噴き出しに方向を与える人がいない。皇室ジャーナリストはたくさんいますが、はっきりとしたことは言いませんね。その他いろいろ肩書きのある人がいますが、マグマの行方をこの際論じてもらいたい。
 下世話なことを言えば、皇室典範を改正するなら昔に戻って、側室をおけばいいじゃないかということを、マグマではたくさんの人が言っています。昔から側室はいた。しかし表で誰も言わないのはなぜですか。言論の自由があるのに、誰も言わないのはなぜか。これも日本教なんですね。昭和天皇が偉い人で、自分は側室を持たないと言って通した。そうしたら無事男子が生まれた。だから、また神に祈っていればいいのでしょうか。その矛先が雅子様に向かっている。表立ってはみんな言わないようにしているけれども、マグマはいろいろ噴き出してきた。
 もっと言うとこういうのもある。靖国神社に行くと、若い男が二六〇万人ぐらい、祀られている。その二六〇万人の若い男が、天皇を恨んで死んだかどうかは知りませんが、「そのたたりでは」という言い方がある。天皇家に男の子が生まれないのは、きっとたたりだ、という。ではどんな鎮魂の儀式をすれば良いのか。
 
マスコミより奥さんの話のほうが進んでいる
 たたりは議論のしようがありません。日本教では、神社というのはたたりがある。この話は前にしましたね。恨みを持って死んだ人はたたるというのが日本教です。それで恨みを持って死んだ人がたたらないように、お社を建てて封じ込めてしまう。魂が出てこないようにと封じ込める。みんなで行ってお祈りをして、慰めたり封じたりするのが神社である。たたり封じが神社の本来の姿である。したがって、神社へお参りしてもご利益なんかはないという民間信仰。
 他方、仏教はどうか。お寺の中にいる人は全部仏様です。成仏した人がいる。だからこれはたたりません。みんなが幸せになるようにと仏様は思うから、お寺に行けばご利益がある。
 これはほんとうかどうかは知りません。とにかく日本の民間信仰では、そういうのがある。
 さて、靖国神社は恨みを持って亡くなった人が祀られているのだから、「神鎮まりませ、神鎮まりませ」と祈りに行く。だから一番たたられそうな人が行かなくてはいけない。それは誰ですか。天皇ですか? 東条英機ですか? それともアメリカ人ですか? 蒋介石ですか? 「東条英機が祀られるとは何事か。一緒になりたくない」と英霊は思っている。といった話は、聞けば皆さん「当たり前だ」と思う話ですよね。何も珍しい話ではありません。
 ところが、こういうのはマスコミの世界には出てこない。
 しかし、皆さん、奥さんに聞いてごらんなさい。奥さんやお嬢さんが美容院でどんな話をしているか。そっちのほうが勉強になります。日本教の勉強をしてください。あるいは自分のお母さんがシルバー何とかホームに入っていたら、そのシルバーホームの人たちがどんな話をしているか。たまには親孝行をして、ちょっと聞いてごらんなさい。喜んで教えてくれますよ。
 
特攻隊員の書かれなかった本心とは
 ここをもう少し詳しく言いますと、「国民の心を代表して来た」と小泉さんは言ったが、「国民」の中に英霊が入っていないと思います。しかし、小泉さんは「入っている」と言うでしょう。というのは、小泉さんは鹿児島の知覧へ行って特攻記念館を見て、そこにあった神風特攻隊の遺書をずっと読んで、感動したらしい。それは本人が言っています。だから「国民の心」の中に「英霊の心」も入っているんでしょう。
 しかしその話を私が聞くと、それは特攻隊の人の「遺書」を読んだだけじゃないかと思います。それには偏りがある。その裏まで読んだかということです。表向きは立派に書いてあります。それは素晴らしいものです。感動します。つまり二十歳前後の若い男がここまで立派な文章を書くのか。ここまで前後左右に配慮して、自分の心を一つに決めてそれを字にして残した。昔の教育はすごい。人物もすごい。二十歳でここまで自分の心をまとめ上げたのか、と、それは感動します。
 しかし、あれを見ただけではわからないものがあります。それはまず、自分の死を飾るという心境です。もはや死は逃れられない。死ぬと決めたのだから、その死をなるべく飾りたい、立派な姿で死にたいという遺書です。何割かはそれが入っている。うちの息子は立派な息子だった、雄々しい息子だった、けなげな息子だったと親にほめられたい、女房に思われたいというのは誰にでもある感情ですね。それから自分自身でもそう思いたいし、それを何らかの形で確認したい。
 こういうエピソードがあります。横浜のグランドホテルに昔からいた人と雑談をしますと、一番思い出に残るのはこういう話ですという。昭和二十年の四月になると、神風特攻隊が続々と行く。明日は厚木の航空隊から九州へ行って、そして沖縄へ突っ込んで死ぬ、という十九歳前後の少年たちが十人ほどグランドホテルに一泊したことがありました。「私たちは心をこめて晩ご飯をつくりました。当時はあまり物がないが、一生懸命ごちそうをつくって食べてもらいました。まだ他に、何か望みがありますか? できることならいたしますよと言ったら、その十八、九歳の少年たちが、白い絹のマフラーを首に巻いて死にたいと言った」。
 なるほど白いマフラーは格好いい。しかし、そのころは日本海軍もそれを配る力がなかったらしくて、もらっていないのです。あれを首に巻いて死にたい。ホテルの場所は横浜ですから、明治以来の生糸の商人がいる。手分けして聞いて歩いたら、「そういうことでしたら取っておきの絹布を出します」という人がいて、みんなにマフラーを配ることができた。それをたいへん喜んでくれた、という話を聞きました。
 死を覚悟したけれども、その死をなるべく飾りたいのは当たり前のことです。だから軍人の服装というのは皆きらびやかなのです。靖国神社もその一つです。
 というように、自分の死を飾るのに成功した遺書だけ展示されている、ということを忘れてはいけません。当然ですよね。「死ぬのは嫌だ」なんて書いた遺書は展示されません。そもそも書く気になれないという人もいたはずです。戦争批判は書けないし、讃美を書けばウソになるという人は、ただ家族への愛だけを書いたが、発表されたものには編集がある。それから残った家族、親戚、友人へのプラスになるようなことしか書かないという配慮がある。それはそうでしょう。遺族には名誉に加えて年金とか恩給が来るのですから。それが来なくなるようなことは書きません。やはり上の人に褒められるようなことを書いてある。もしもそうではないことを書いたら展示されない。


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