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「供養」は英語にならない
 とすれば、それは人が集まって追悼したり、礼拝する場所です。もちろん墓地ではありません。
 またそこで思ったのは、靖国はもともとは日本人の民間信仰の集合ですが、明治政府が軍の施設としてつくる限りでは神道になります。神道では死は汚れ(けがれ)です。
 なるべく関係したくないのです。だから神道では人が死んだときのご遺体はどうするかと言うと、本居宣長が書いているのは、山へ持っていって捨てるという。亡きがらは山に持っていって捨ててしまう。それを山墓と言う。お祀りはまた別で、これは里墓と言って、村の中に木や石を建てる。遺体はなくてもいい。お参りに行くのにコンビニエンスなところでいい。それもまた面倒くさいと思ったら、家の中の神棚に祀ったり、位牌をつくって仏間に置いておく。ものすごく手抜きですね、日本人は。山墓があり、里墓があり、それから仏教徒であれば仏壇がある。神道の場合は神棚に位牌はなく、天照皇大神が総代表で祀られている。
 日本では、死者はたたる。汚れ。そこに仏教が入ってきて、お供養をするようになった。このお供養の話は前にしました。四十九日があけると、満中陰志というのを配ります。その四十九日間を中陰という。これが終わりましたから満中陰。「皆様、この四十九日間お供養してくださいまして、私の親は仏になったと思います。ありがとうございました」という志として粗品を配る。
 仏教にもいろいろありますから、ほんとうの教えは何だか存じませんが、とにかくこの行事の説明は、人が死んだら魂は閻魔様のところへ行って裁判が下るのを待っている。四十九日間よくよく審議をして、行いが良かった人はまた人間に戻してくれる。悪かった人は、畜生界に落とす。すると犬とか、もっと下へ落とされると虫になって生まれ変わる。行いがよかった人は、人間界からもう一段上がって仏様になる。
 審議に四十九日かかるというところで、お坊さんが手品をする(笑)。「今、審議中である。しっかりお供養しなさい。供養としてお供物や現金を持ってきなさい。そうしたら私からもとりなしましょう」。それで四十九日たったら「どうやら仏になったようです」と言う。ここでもまた遺体は亡きがらになってしまう。もう魂はない。亡きがらはどうなってもいいんです。自分の親の魂は仏になっているか、あるいはどこかへ生まれ変わって輪廻転生しているんですね。
 もう、この辺にはない。仏か、動物か何かですから。亡きがらを丁重に葬るということはないんですね。こういう仏教の解釈があります。が、しかし、日本人はそんなに深く考えません。人々は何となく共通の死生観を持っているだけです。
 広島の原爆記念館へ日本人がたくさん行きますが、書いてある文章は、何を書いてあるのかよくわからない。得体の知れない文章が書いてあります。長崎でもそうです。
 ほんとうの日本人の心は何だと聞かれたら、答えられない。特に、頭が英語的になっている人には答えられない。同情ではすまないものがあるし、冥福を祈るというと仏教徒になってしまうし、戦争を反省していることはしているが、そんなことをする場ではない。アメリカに対して抗議しているのでもない。みんな、いいかげんなことを言って済ましているんだと思います。私の想像を言えば、日本人の大多数は「お供養をしている」のです。長崎、広島で死んだ人をお供養する気持ちでやっている。しかし、お供養という英語はありませんね。誰か知っていますか? 聞いたことがない。では、つくらなければいけませんね。日本人の心にはお供養というのがあって、小泉さんは靖国神社へ行ってお供養している。しかしそう言うと、靖国神社は「ここは神社だ。お寺ではない」と言うかもしれない。ややこしい議論になりますね(笑)。もしかしたらカソリック教会の用語にお供養と同じ言葉があるかもしれないと思います。中世のことですが、地獄の一歩手前に「煉獄」があると言って、そこから先祖の霊を救い出すために献金をせよと説いたことがあるからです。宗教家の手品はよく似ていますね。
 
日本における「軍国主義」とは何か
 さて、お手元の資料に「鞭打つ」と書いてあるのは、さっき言った朱子学のほうですね。政権を失った人は悪い人だから、鞭打って処罰して、子供にこれを見せる。見せしめの教材にするわけです。
 だから天皇陛下に「来い」としつこく言うのですね。あちこちに頭を下げて歩けというわけです。一九九二年の訪中がそうです。そのとき、天皇を政治に使うなという意見はたくさんありました。しかし外務省の人は、天皇が行けば効果百倍ですと言って行かせて、中国人はもの珍しがっていっぱい集まってきました。外務省のその責任者は、私にとくとくと「誰も石をぶつけた人はいませんでした。大成功でした」と自慢するから、「ふざけたことを言ってはいけない。天皇をそんなことに利用して、何が大成功だ。それは自分がラクをしただけだろう」と言いました。特に美智子妃殿下はかわいそうです。頭を下げっぱなしでしたから。
 外務省が天皇を利用して、効果百倍などと言うのは冗談ではない。向こうの人が何を考えているのか想像がつかないらしい。孔子、孟子、朱子学、少しはそういう教養をつけろと言っておきたいと思います。
 そこで、軍国主義とは何ぞやということです。日本にはまた軍国主義が戻ってきたとか、昔の軍国主義を謝れとか言われています。これについて私が感ずるのは、各国のトップは同時に軍のトップですが、平安時代以降の天皇は、人殺しなどはしないものです。戦争などはしないものです。そういうのは、源氏と平家に言いつけてやらせるものです。天皇みずからの軍隊は持っていない。天皇みずからは警察を持っていない。
 こんな国は世界中にありません。それを明治になったとき、天皇親政といって官軍をつくって徳川征伐をした。しかしすぐに反省して、憲法をつくって補弼の責任という名称で戦争責任を内閣へ押しつけ、「天皇は神聖にして侵すべからず」としたんです。権力ではなく権威にしました。
 ですから軍国主義を、天皇のせいにしてはいけません。天皇みずから戦争することを、国民は喜んでいません。しかし兵隊は天皇から、股肱(ここう)と言われたんですね。「朕はなんじらを股肱と頼み」と軍人勅諭にある。股肱というのは、またのことらしい。天皇から、国民は自分の大事な両足のようなものだと言われたのはうれしかった。そんなに言われるならやりましょうという気持ちになった。天皇のために働こうという気になった。日本の軍国主義の中身はその程度のものです。侵略的かどうかはまた別の問題です。
 
「武士・役人になれた」というのが軍国主義の中身
 では、軍人たちは何を気取ったか。天皇のために働いて戦争をするといっても先例がない。平安朝よりもっと前に行かないと、天皇の軍隊というのはない。仕方がないから、国民は、源氏か平家のつもりになったんです。平家は負けたから、みんな源氏気取りになった。
 昭和になってからの軍国主義において、私は実際に見ていますが、年上の男たちはみんな武士気取りです。モデルは武士しかいないわけだから(笑)。兵隊はこう考えた。自分の家は農家だが、赤紙が来て兵隊になった。兵隊というのは、きっと武士のことだろう。我が家に伝わる脇差を、軍刀に仕立てて持っていこうとかで、みんな勇み立っていた。農民や町人にも道中差しと言って短い日本刀が江戸時代から許されていましたから、それを持ち出して喜んでいた。そういうのが軍国主義の中身ですね。武士になれたつもり、なんです。
 それから、役人になれたというのもある。ほんとうの役人は、伍長からです。軍人の位は、最初は二等兵になって、三カ月でたちまち一等兵になる。そのかわり三カ月間、無茶苦茶しごく。それで一通りのことができるようになると一等兵になって、星一つから二つになる。それから一年くらい経ったところで、二割だけ上等兵にしてくれる。星が三つになる。二割しかいないから名誉です。もう一年経つと、また残りから一割か二割が上等兵になって、それで二年間の義務を終えて田舎に帰るのです。
 満二十歳でお正月になると、男は軍隊へ行きます。そのとき村の人は「しっかり頑張れ、上等兵になって帰ってこいよ。いい嫁さんを世話するからな」と言ったものです。上等兵になって帰ってくるというのは、男たちの中の三割に入るという意味ですから、大変名誉なことでしたが、そこまではまだ役人ではない。パート採用で民間人が二年間だけ兵隊をやっているという話です。
 しかし、戦争が長く続くと、二年ではすまなくなる。延長されるとなれば、昇進が必要になる。そこで兵長をつくった。しかし、これはまだ兵です。その上は伍長で、そこから下士官になります。公務員になります。伍長になるときは「任官する」と言います。伍長になると、天皇陛下から辞令が来て官吏になる。なるときは志願する。兵隊になるのは「国民必任義務」でしたが、官吏になるかどうかは自由です。だから伍長は拒否できたのです。
 日本の軍国主義も、なかなか合理的なんですよ。上等兵になって、伍長になってくれと頼まれるけどならない人がいた。「私は二年たったら田舎へ帰りたい。こんなところで伍長になって出世したってしようがない」という人がいっぱいいまして、そこで志願しないとは何事だ、愛国心がないなんて、いじめられたりした(笑)。ともかく伍長から役人です。役人になると、待遇は規則で決まっています。特に失敗がない限り、二年経ったら軍曹にしてくれる。また二年経ったら曹長にしてくれる。というように規則どおりに上がっていく。余談を言えば、これが戦後日本の民間企業に入って年功序列制になります。最近は年功制は消えましたが、それでも国民の常識には残っていて、二年経つごとに何か肩書きを上げないと不満が広がります。
 一般庶民から見ると、「おお、役人の世界は話がわかりやすいな」という話です。農業をしたり、町へ出て職人になると、そんなはっきりした制度はありませんが、軍曹になれば給料はどれだけ、やめた後も一生涯年金がつくとか、いろいろなことが全部紙に書いてある。だからこれは近代的である、合理的である。天皇から約束をもらったと、やる気が湧いてくる。
 日本人の何百万人の男がそういう経験をしたのが、戦後、会社の中に入ってきた。会社の中が全部、軍隊式になってしまった。はっきりしていて具合がいいが、これがやがて大企業病になりました。
 しかし大企業らしい仕事をしていくときは、それでもいいのです。しかし大企業にはできないようなサービス産業とか、文化産業、先端開発、ハイテク研究とかでは、そういう官僚的な社員待遇ではうまくいきません。・・・というあたりが、この十年間問題になりました。かといって新しい成果主義とか何とかもうまくいかないんです。どっちにしろ、簡単にはうまくいかないんですけれど(笑)。
 時間ですから続きは次回にまたやりましょう。ご清聴ありがとうございます。


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