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絶対に「許し」がない中国の儒教
 心か形かという問題において、孔子は若干性悪説ですが、孟子は性善説です。だから「国民は人徳のない王様は取りかえる権利がある」と言っている。
 要するに、嫌な権力者は放伐していいのであって、嫌がられないのが君主の徳である。徳のある君主はみんなから愛され尊敬される。そういう政治は「王道」の政治、あるいは徳による政(まつりごと)、「徳政」ですね。「徳活」とも言います。
 この反対は「覇道」で、軍事で勝った。これが覇道の政治。それと王道の政治と二つあって、「理想は王道の政治である」と孟子が言いました。それはそうでしょう。聞いているほうも、そう言われたほうが嬉しい(笑)。
 それはそれでいいのですが、その後また千年も経つと、議論の上に議論が乗ります。政権の座についている人は、今度は因果関係を逆にしてしまう。「自分が政権の座にいるのは、人徳があるからだ」と、こうなってしまうんですね。
 論理的にはそう言うこともできます。だから、江沢民とか胡錦濤はそう主張する。「共産党が支配しているのは人徳があるからだ」と言うが、しかし普通、下のほうでは「もう人徳がなくなったからやめてくれ」と言う。しかしそれは取り締まってなくせば王道が続いているように見える。
 だから結局、これは結果論です。勝てば官軍という話です。取り締まりが成功していれば徳があることになる。失敗したら悪い君主だったということになる。
 そのとき、新しい君主は前の人を「悪かったから」と言います。要するに「軍事的に弱かったから前の人は逃げた」と言うよりも、「人徳を失い、悪いやつだったからだ」と言ったほうが、自分にとって都合がいい。
 ですからこの儒教の世界の政治では、絶対「許し」がないのです。
 これは政治の世界の話ですよ。庶民の日常生活ではともかく、政治の世界では前の人を許すということはない。絶対にないのです。前の人を許したら、自分が正しくないことになってしまう。だから「前は悪いやつだ」と言うしかない。これを許すということはあり得ない。中国の儒教の考えでは、そうなります。
 
中国がA級戦犯を許せない根本的理由とは
 だから、江沢民と胡錦濤の争いがいつまでもしつこく続きます。「小泉首相が靖国にお参りするということは、A級戦犯を許しているのか」と思う。許しては困る。だから小泉さんが「平和を祈りに行く」とか、何を言っても通じません。「A級戦犯の一味なのか」と向こうは思うだけです。ですから私は、向こうに通じさせる必要はない、無視すればいいと思っています。どうしても通じさせたければ、儒教の言葉で言わなければ通じません。
 こんな簡単なことを、今まで三十年間誰も言っていない。中曽根さんのころからもめていますが、相手は儒教で、政権は必ず天命によって代わるか、または民衆の決起によって代わるもので、したがって前の権力者を良く言うことはあり得ない。許すということもあり得ない。この考えは韓国にも入っている。和解しようとか、理解し合おうとか、許そうとか、これで帳消しとか、お金を払ったから終わりとか、そんなことは向こうから見れば全部寝言です。儒教以前の田夫野人の言です。
 だから「日本も儒教の国ですね」と言われて、「はい」と返事をするのはいけません。日本の政治家や学者が「はい。孔子、孟子を知っています」などと言うのは、話がかえってこじれます。私は絶対言いません。「孔子、孟子、儒教、全然知りません。教えてください」と言います。そのほうが議論は勝つのです。ここからスタートしたほうが有利です。知ったかぶりをするのは迎合で、それでは負けてしまうのです。日本人の議論はお互いにイエスからスタートしますが、外国ではたいていノーから始まるのです。
 
一般国民は朱子学に染まらなかった
 というようなことがありまして、官軍の人は武士で、儒教を藩校で教えられていた。その藩校の先生を養成していたのがお茶の水にある湯島の聖堂です。徳川幕府がつくり、そこの優秀な学生を各藩がもらっていった。
 儒教を教わった官軍は「自分は正義であって、徳川幕府は悪いから今滅びつつある」と考える。だから弔うとか、名誉回復とか、許すとか、平和回復とか共存共栄とかにはならない。
 しかしそれは、武士や学者が中国風に染まっていたという話で、一般国民は違います。一般国民には、仏教もある、神道もある。それから実は神道には、道教がたくさん入っている。聖徳太子の前から道教は日本に入っていますから。そこら中にある神社でもお寺にでも、道教は入っています。見ればわかります。簡単な見分け方は、方角を言うことです。方角を八つに分けている。これは道教が入っている。それは中国人の俗信で陰陽二元説とか、十二支とか、儒教以前からある思想です。
 日本人はそれらを全部混合して、自分たちの実生活にとって都合のいいのだけ取っている。とにかくその辺が、世界最高にでき上がっていると思います。八百万(やおよろず)の神でもいいし、外国から渡来したプリンシプルで割り切るようなのも一応はわかっています。リアリズムで考えた常識的なのもわかっています。しかもそれを適当に使い分けています。それが、日本人の宗教心です。それが官軍と清水の次郎長の衝突でした。
 
靖国神社は魂の「同窓会の場」
 さて、明治政府ができ、軍隊を持ちますと、兵隊たちが「もしかしたら今夜が最後で、明日は死ぬかもしれない」と言っているのが聞こえる。「おまえは仏教か」と聞くと、「いや、神道だ」。「そうか。では死んだらもう会えないな」となります。仏教徒は阿弥陀さんのところへ行ったり、地獄へ行ったりする。行いが悪かった人は犬畜生に生まれ変わる。日本の今の仏教は大安売りで、みんな仏様になる。犬畜生に生まれ変わるなんて言わない。そんなこと言ったら、お寺はもちませんからね。みんな仏様。わかりやすく言えば極楽ですが、神道の人は極楽には行きません。神道ではどこに行くかわからない。
 この話をするとまた長くなりますが、ともかく、もう会えない。それは寂しいね、となる。死んだらそれぞれの村へ帰って自分の実家で祀られる。もう会えないのかと兵隊たちが語り合っているのを聞いて、明治政府は「こんなことでは強い軍隊にならない」と考えて、招魂社をつくった。これが靖国神社の始まりです。魂を招く社(やしろ)をつくり、国へ帰って祀られている人でも、春と秋の例大祭のときにはもう一回靖国神社へ来い。みんなで集まって同窓会をやろう。信仰は神道でも仏教でもキリスト教でも何でもいい。ここへ集まれ。そのときは、天皇陛下もお参りするから、というのが招魂社であって、それが靖国神社になりました。これならよく分かりますね。
 ですから、「靖国神社は仏教か、神道か」などと今は言っていますが、あれは何でもないんですね。「同窓会の場」なのです。死んだらあそこへ集まって同窓会をしよう、時々は集まろう、と、そういう場所だととらえると皆さんの実感と一致するでしょう。
 このあたりが、靖国神社に関する一般の人の考えの一例ですね。この前、靖国神社へみんなを連れて行きましたら、わりと若い女性が「ここへ来ると思い出す歌があるんです」と言う。それは「上野駅から九段まで、杖を頼りに一日がかり、勝手知れないじれったさ、せがれ来たぞえ、会いにきた」という歌です。「見れば立派なお社(やしろ)に神を祀られかたじけなくも・・・」と続きます。軍歌ではありません。自然にできた歌で、これを歌うと兵隊が泣いたと、銀行にいたとき五歳くらい年長の上司が教えてくれました。場所は中国の大陸で、自分が死んだらお母さんが会いにきてくれると言ってみんな泣いた。「なんで若いあなたがそんな歌を知っているんですか」と聞きました。まだ四十歳くらいの女性です。「お母さんから聞きました」ということでした。「そういうふうに思っている人がまだいるのか。語り伝えというのはあるものだな」と思いました。だから、宗教法人法によれば靖国神社とは・・・などと言っていてもダメだということです。
 もう一つこういう話をしてみます。子供のころ、おじいさんが私に「神社にお参りするのと、お寺で仏様にお参りするのとはまるで意味が違う」と教えてくれました。誰か、そういうことを聞いたことがありますか? ない。そうですか。多くの人は似たようなものだと思っていますが、おじいさんは正反対だと言った。
 神社に祀ってあるのは、恨みを残して死んだ人。たとえば菅原道真がそうですね。恨みが残っているから、戻ってきてたたる。それが怖いから、鎮まってくださいよというもので、たたり封じ、たたりよけというのが本来の神社の姿である。生は楽しくて死ぬのはいやだというのが日本人の思想だから、死者はみんな生者を恨んでいるという考えもあります。
 反対にお寺のほうは、みんな仏様になって極楽へ行った人たちだから、たたったりはしない。幸せな人たちだから、その幸せを我々に分けてくださいというご利益がお寺にはある。神社にご利益はない。むしろマイナスがあるから、それをなだめに行く。
 こういう説明を聞きましたが、ばかにわかりやすい(笑)。
 こういうのが、靖国神社あれこれの一つです。靖国神社は、言うなれば、特別たたりそうな人がいるわけですから、これはしっかりお参りしないといけません。
【大槻】 お寺の境内にいるホームレスに、なぜ神社の方に住まないのかと聞いたら、神社は何となく怖いが、お寺は暖かい気がすると言っていました。深層心理がそうささやくのでしょうか。
【日下】 ご発言は多摩大学名誉教授の大槻博さんです。ありがとうございます。


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