●マンガの起源をさぐる
高松―日本という国が出来たのは壬申の乱以後、天武天皇誕生と考えて、約1500年前の聖徳太子の頃から語ればいいと思います。聖徳太子図は宗教画という色彩をもつかも知れませんが、当時は、中国文化を大量に取り入れて日本を維新して、聖徳太子図をあのように描いたのだから、日本の一番古い美意識、美表現ではないかと思います。そのあと絵巻物の世界になっていって、どこかでガクンと変わってマンガの起源となったと想像しますと、それはその一つは江戸時代ではないかと思うわけです。浮世絵にある色彩感覚、構図、瞬間の捉え方は、すばらしいと思うし、何かガクンというものがあったのではないかと想像します。
高橋―京都の友人と検討したのですが、浮世絵というのは着物の絵柄になりません。それはパッと見た瞬間にわかるように絵の影に柄を大きくして違和感なくおさめるという異常なことをしているからなのです。マンガの誇張省略、デフォルメと同じように、絵のための大きさにしていて、実寸にすると全く合わないわけです。顔とか、プロポーションとか、角度とか実際よりも大きくして、全身をいれて表情が分かるようにしてあるのです。マンガ的な処理なのですね。当時の流行の表情で(今のマンガでいうと三角顔のような)、角度がお姉さんが一番きれいに見える7:3で、グラビア的仕上げになっています。山口幸男さんと一緒に僕が編集した「笑いって一体なあに?」という本の中で、ある構造の下に笑いがあるのではないかというテーマを取り上げました。僕自身はある滑稽な文章にはアジア人の笑いがあり、アジア人が何かでニヤッとしたり、仙人がトラを抱いてニコニコしているのは、一体何だということが非常に奇異に思いました。そういう感覚に似ているものが、マンガを描かせている背景に何かあるのではないか、意識の底に何かあるような気がしています。つまり、道徳とか宗教とか偉い人とか、そういう価値観が一斉になくなった瞬間に、人間はどこかへ行く、何かを感じるというところがあります。そこに行くと、あるものだけが残るという、笑いの層というものがあるのではないかと考えたわけです。子どもが笑いを失ったり、コミュニケーションが取れなくなったりするのは、そういう笑いの層が欠落しているのかも知れません。江戸時代に庶民文化のなかで、何かガクンというものが起こったというヒントになるかどうか分かりませんが、ご紹介しました。
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