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フェローシップを終えて
舛岡 伸高(名古屋大学医学部医学科5年)
 初めに今回の国際保健協力フェローシップを可能にしてくださった、笹川記念保健協力財団の皆様この場を借りて今一度お礼を申し上げたいと思う。ならびに、日本国内およびフィリピンにレクチャーをしてくださり、また様々な企画を立案・手配してくださった諸先生方、各担当の方、そして先期をはじめ過去のフェロー参加の方々のご理解と熱意に感謝することを、ここに述べさせておいて頂きたい。
 
 フィリピンというアジア地域の1つの場を借りて、10日ほどの期間にも亘って約15名が密に時間をともにしながら過ごすことができた。私たちの多くは近い将来かなり多忙な職業訓練に没頭するであろう。なかなか貴重な経験であった。ある意味非日常的な環境において、自らと異なる見方考え方にふれることができたのみならず、そのような仲間たちと力を合わせてグループ活動を行なう機会を持ったからだ。
 今回は世界保健機関の事務所、JICAを初め、国際的な保健医療協力の機関を訪ねることもできた。それだけでなく、マニラではフィリピン大学医学部生の視線を通して1つの発展途上国の保健医療の現状をみることもできた。また、彼の地での学業エリートと見られる彼らの置かれた状況というものをある程度理解したように思う。さらには貧しくとも自然豊かな農村部での現状、それから都市のストリートチルドレンや彼らに差し伸べられようとする手も見ることができた。実際には10日間といっても移動もあり短期間とも言えるかもしれない。忙しくはあったが、総合的に学ぶにはとても良いスケジュールを頂いたようであると振り返って感じる次第だ。
 
 今回フィリピン国内で目にしてきたように確かに、平均というものはあってない、ものだ。レクチャーの中で耳にしたこの表現には納得を深めた。私事ではあるが、岡目八目的効果が強く作用しているだろう。一億総中流社会とかつて言われたわが国の現状についてよく把握しているか問われれば、自国人ながらYESと答えにくい部分があることを認める。しかし、日々病院に通って学び、知識を身につけていく立場にあって、日本というアジア代表の先進国が何を発信しているか、どんな課題を実に有しているかと問われて、的確に即答するには厳しい部分があるのは、現在おそらく私だけでもないように思う。
 そのような中、自国を取り巻く状況に目を向ける大きな機会を、今回のフェローシップがメンバーに提供してくれたことはとても幸いなことであった。相互の理解を深め、これからもまた奢ることなく各自研鑽することができる状況に今の私たちが置かれているということは、改めて思うに大変ありがたい事である。地域社会において、あるいは国際社会においてでも、私たちが仕事をなすには、それにふさわしい技能を身につけている事が必要だ。勿論、個々の存在には得意について個性があり、そうした個性を生かすことも大事なことだと思われる。今回のフェローのメンバーについては、それが医療であろうし、保健行政かもしれない。また、各々の性格や適性もさらに細かくあるだろう。このような考えを抱きつつ、またメンバーの顔ぶれを振り返りつつ、筆をおこうと思う。
 
 齋藤さん、西君、内田君、佐野君、高谷さん、田畑さん、辻さん、中野さん、原田さん、原さん、白神君、梶本君、勿論 西村先生、松本さん、中住さんもである。皆さんと一緒に、フェローという1つの旅を最後まで無事行ないえたことに感謝する。何所から来て、いま何所におり、何所に行くのか。どうやってきて、どうやって行くのか。辿り着いた所で何をするのか。受け売りではあるが、時々は思ってみようではないか。末尾に、いま挙げたみんなと、私の参加に応援をくださった関係者の方々、そして今回のフェローをきっかけに出会うことのできた皆さん、また日本とフィリピン両国について、真の平和と繁栄を今一度想う。そしてまた今回の企画をきっかけにさらに活力を得て、これから歩んでゆこうと考えたことを最後に確認しておきたい。
 
JICAフィリピン事務所にて
 
三つの財産
梶本 隆夫(弘前大学医学部医学科4年)
 この旅を通じて得た財産は三つある。海外で働く日本人医師の業務内容を理解できたこと、現地の医療施設を見学できたこと、大切な仲間達と出会えたことである。
 物心がついた時から海外で働きたいと思っていた。その夢を医師という立場で実現するためにWHO、JIC、NGO、日本大使館といった選択肢がある。情けない話であるが、この旅に出るまでは各々がいったいどのような組織であるかさえ十分に理解できていなかったし、現地で働く日本人医師はどのような仕事をしているのかについてはまったく分からなかった。この旅でこれら全ての団体と接する機会があり、各々の特色を理解できた。プラス面だけでなく、マイナス面も教えていただいたことは今後の進路を決めるにあたって大きな指針になると思う。
 
 日本にはたくさんの医療施設があるし、小さな診療所でも医療設備が充実している。フィリピンの地方ではこれらが整備されていない。14万人以上の住民が住むビリラン島には病院が一つしかない。そこにはベッド数が常設で25床しか無く。常勤の外科医はいないという状態だった。一番印象的だったのは生後2ヶ月で1.6kgの未熟児が保育器に入れられずにベッドの上で泣いている姿である。保育器の数が足りないためこれが当たり前の様子だった。生きるために最低限必要な医療を世界中の人が享受できるようになって欲しいと強く感じた。
 
 一番得られて良かったのはこの旅に参加したメンバーと出会えたこと。初対面の時はこれほどまで個性が強いメンバーとうまくやっていけるかが心配だった。リーダーと共にサブリーダーとしてこのメンバーをまとめることは試練であったが、無事に旅を終えられたことは非常に良い経験となった。進む進路はそれぞれ違うと思うが、お互いに刺激し合ってよい関係を築ければと願っている。簡単だけど全てのメンバーに一言だけ記させてもらう。『レイちゃんへ、酔っ払ったらリンゴやね。サホちゃんへ、間違えてごめんな。アッちゃんへ、もっと関西弁を使おうぜ。ツージーヘ、ほんまに天然キャラだよね。サヤカヘ、琵琶湖の花火大会はなかなかええよ。ヒデミちゃんへ、携帯電話、常に気にしていたよね。マキちゃんへ、ミス日本だよあなたは。西君へ、尊敬するよ真面目なとこもおちゃらけたとこも。内田くん、最高のリーダーやわ。佐野君、そんなに蚊が気になるかぁ。ガッちゃん、面白天然行動を今後も続けてや。舛岡さん、朝も昼も夜もアホなことに付き合ってくれてありがと。みんなへ、これからもずっとよろしく。』
 
 関係者の皆様、特にご同行いただいた国立保健医療科学院の西村秋生様、WPROのBARUA様、笹川記念保健協力財団の松本源二様と中住純也様のご支援によって、貴重な経験をさせていただきました。末筆で申し訳ございませんが、ここに厚く御礼申し上げます。
 
フェローシップに参加して
辻 麻理子(慶應義塾大学医学部医学科4年)
 講義初日、バルア先生が私たちに問い掛けられた言葉。“Who am I? Where do I come from? How did I come here? Where shall I go from here? What shall I do here?”−自身の経験から国際保健(というものがあるかどうかはさておき)をやりたいと常々思ってきた私にとって、既に前3つの答えは明白なはずで、今回のフェローシップでは残る二つの答えを見つけるつもりだった。そんな私にとって、WHO・JICA・現地保健関係機関・NGO・フィリピン大学医学部、と、保健や保健協力を実施する上での多様な立場を見せていただける本フェローシップは応募の時点からじつに魅力的に感じられた。今回はこれら機関の相互関係とそれぞれの現場への影響力を実際に見ることで、自分が将来このフィールドにどのように関わるかを考えるきっかけにできたら、との思いから応募し、幸運にも参加させていただくこととなった。実際、今振り返ってみても、様々な機関の見学により自分の中での比較基準を作ることができたのは非常に有益であったと感謝している。また、滅多に行くことのできないWHOでの数々の講義やレイテ島の保健施設見学を通して、専門性の重要性と需要の多様性を再認識できた。本プログラムで本当に自分が興味のある分野をじっくり見極めようとの思いが強まり、次の一歩を踏み出す契機を得たことも特筆すべきだろう。
 
 しかし、この研修から何を掴んだかを問われれば、まず筆頭に挙げられるのは他の参加者一人ひとりから多くの刺激をもらったことだと思う。今回の参加学生13人は、この道に進むことを決意して既に多様な活動をしている人から、このようなものに触れるのはほぼ初めて、という人まで様々であった。そして私はというと、一見全く異なるいくつかの夢を持ち、明確にこれと言えるものをまだ提示できない状態であった。それゆえ、会話の中でも白分から発信するよりみんなから聞かせてもらうことの方が多かったし、夢が一つに定まっている人が羨ましくすらあった。そんな中で、興味の方向性が近いこの同世代の13人と共にこのフェローシップを受け、生活を共にし、語り合ったことから得たものは非常に大きかった。話の中では夢だけでなく普段から思い悩んでいたこと、このフィールドヘの関わり方についてのそれぞれの持つ選択肢などを聴くことができた。それにつれ、以前は同世代の取り組みを見て、積極的に活動をしている人に気後れすることもあったのが、自分なりの形で取り組めばいいと思えるようになり、ふと肩の力が抜けたのを覚えている。また、経験豊富なバルア先生と西村先生、松本さん、中住さんが全体を取り持ち、私たち一人ひとりにフィードバックをして下さったことも大きいだろう。これらの結果、気づけばバルア先生の問いの前者三つ−“Who am I? Where do I come from? How did I come here?”を再考する機会まで与えられていた。そして、帰国後もしばらく時間を要したものの、自分の中の相異なる‘やりたいこと’がその基を辿ることで一つになり、長年わかっているようでわかっていなかった新たな“Who am I?”の答え―まさにアイデンティティーそのもの―に気づくことができたときは本当に嬉しかった。きっと、私以外のメンバー一人ひとりもこのように周りから何かを得たり、自分の持つ何かを引き出してもらったりしたことだろう。1+1+1+・・・+1が17どまりではなく、100にも1000にもはじけゆくきっかけとなるようなこの貴重な機会を与えて下さったことに、本当に感謝したいと思う。
 このフェローシップでは、上記以外にもたくさんの経験をさせていただいた。印象に残ったものについて、メモ的になってしまうが記しておきたいと思う。
 まずは、実は海外では初めて見たNGO活動。今回の私たちのような‘見学’団体が一度きりの来訪をしては帰っていく時、彼らはどう思っているのかな。そんな私の心配をよそに、彼らはとても楽しそうに慕ってくれた。折り紙を教え、踊りを披露してもらい、とても楽しい交流のひと時をもてた。そこで見ることのできた彼らの日常の顔は私の心に焼きついていて、きっと折に触れて思い出されることだろう。
 また、レイテでは住民が生きていくために生活パターンを変えられず、住血吸虫に繰り返し感染してしまう実態を知った。その事態解決の難しさを肌で感じ、教科書で学んでいるときとは関心の度合いも全く違うものとなった。
 そして、レイテではもう一つ忘れられない出会いがあった。病院で生後3ヶ月にして体重わずか1600gの双子の赤ん坊。看護師の向こうに細いけれど手首ほどではないものが見えたので何気なく覗き込むと、赤ん坊の太腿だった。衝撃だった。
 病院の二階に行くと、双子のもう一人のほうが、廊下の机に布だけかけたものの上に寝かせられていた。付き添っていた母親は10代の、まだ少女ともつかぬ人であった。病院の人に赤ん坊の替えの服がないというほどの彼らの生活苦を訴えられ、いたたまれなくなった。この子に、そしてこれから生まれてくる私には何がしてあげられるのだろうか...病院で出会った未熟児4人のうちただ一人保育器に入ることのできる経済的に恵まれた子を見たとき、気付けば私は双子のことを考えていた。将来自分が彼らのような人々を救いたくて何かをやったとき、それは果たしてどのくらいの効力をもって彼らに届くのだろうか。
 今回のフェローシップで、いろいろな形やレベルで同じ目標のために働かれているたくさんの方々と出会ったことで、少しだけ答えが見えた気がした。
 
 最後になりましたが、期間中終始暖かくご指導下さいました西村先生、プログラム内容から生活面に至るまで、きめ細かい気配りをして下さいました笹川記念保健協力財団の松本さん、中住さん、そして今回の楽しい旅を一緒に創りあげてくれた13期のみんなに心からお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
 
バランガイの子供たちと一緒に


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