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8月8日(火)
本日のスケジュール・内容
1)JICAフィリピン事務所訪問
2)フィリピン大学医学部・付属病院訪問
 
1)JICAフィリピン事務所訪問
 まず、総務班の杉山茂さんから日比関係の歴史、援助重点分野についてのお話を伺った。
 江戸時代以前からフィリピンに渡る日本人は多く、現在では1万3000人以上の日本人がフィリピンで暮らしている。今年は日比国交回復50年にあたる。今後の両国関係は、経済協力や企業進出に留まることなく、知的財産や技術、人、文化の様々な面での交流を深め、相互依存型の結びつきを深めることが期待される。
 援助重点分野は大きく5つにわけられる。(1)持続的成長のための経済体質の強化及び成長制約要因の克服 (2)格差の是正 (3)環境保全と防災 (4)人材育成・制度づくり (5)ムスリムミンダナオ地域における平和構築支援である。(1)に関して、フィリピンは経済規模のわりに人口が多く、農業、漁業のみで賄っていくことはできないため、経済の発展が必要であること、また、(3)に関して、フィリピンは自然災害に対して脆弱であるが、防災対策にかけられる資金は限られているとのことだった。
 次に、企画・調整班の山岸信子さんから、フィリピンの保健医療が抱える問題と保健医療システムについて、さらに母子保健プロジェクトについてのお話を伺った。
 フィリピンが抱える保健医療分野の課題は大きく二つあり、一つは低開発途上国に見られる栄養不良、感染症などの問題と、生活習慣病の増大の両方が見られるという疾病の二重構造、もう一つは健康水準の地域間格差の問題である。さらにフィリピンの保健財政はそのほとんどが人件費と病院の運営費にあてられており、公衆衛生サービスに利用できる費用が限られている。また近年、フィリピンは地方分権を推進してきており、そのことがさらに保健医療分野にあてられる金額を減少させている。これに対してJICAは、保健省を頂点とし、地域の保健所まで広がるフィリピンの現在の保健医療システムに沿った形での協力活動を行っている。
 イフガオ州、ビリラン州で行われる母子保健プロジェクトは、妊産婦死亡率及び乳児死亡率を減少させることを上位目標に協力の計画をたて、今まさに動き出そうしているところである。現状では多くの出産は自宅で、専門的教育を受けていない伝統的産婆の立会いのもとで行われている。母子保健サービスの質と、住民の母体保護と新生児ケアに対する知識の両面に対応する必要があるとのことである。
(文責:中野)
 
2)フィリピン大学医学部・付属病院訪問
 まず、フィリピン大学医学部(College of Medicine, University of Philippines, Manila以下UPマニラ)を訪問し、学部長Dr. Alberto B. Roxasから医学部の教育システムについてお話を伺った。医学生は計160人で、その内120人は学士習得後、40人は高校卒業後に大学からの招待という形で入学する。前者は5年間、後者は7年間で卒業する。医師国家試験合格率は55%であり、受験は3回までに限られている。学部長が特に強調しておられたのが、“Brain Drain”である。卒業生の50%が国外に流出しているそうである。どこで働くかは個人の選択ではあるものの、医学生の教育に税金が使われていることなどを考えても、母国で働いてほしいと訴えておられた。
 
フィリピンの医療現状について、貴重なお話をしていただいた
 
 その後、Community-based Health Systemのワークショップ、医学部の銅像(生が死を制するという意味がこめられている)、解剖学教室、Center for Opthalmology(スペイン政府の援助により設立され、Eye-centerと呼ばれている)を見学した。
 また、今回はUPマニラ総長のDr. Ramon L. Arcadioにお会いすることができ、UPマニラ全体の構成や特徴についてお聞きした。UPは多くのCollegeを抱えており、それぞれ高い実績を残しているそうである。ここでも、医療スタッフの海外流出について触れられた。
 Philippine General Hospital院長であるDr. Carmelo A. Alfilerからもお話を伺った。この病院はUP全体の予算の1/3が使われている。1,500のベッドがあり、1,000床は無料で残り500床は有料である。治療を無料で受けられるかは、保険における四段階の収入評価による。昨年の患者数は630,000人に達し、その80%が外来患者、10%が救急患者、10%が入院患者であった。Training Hospitalとしての役割ももちろんはたしており、医学部を卒業した学生は国家試験に合格しGeneralistとなった後、3-5年のレジデンシーによりSpecialtyを、さらに最低1年のトレーニングによりSubspecialtyを極めていくという。
 
College of Medicineにある銅像
 
 最後に、無料病棟と有料病棟を見学した。無料病棟ではスタッフが足りないため、家族の付き添いが必要であり、食事の世話などを行っていた。清潔ではあったが、廊下にまでベッドが並べられているなど、設備が不十分なことは否めなかった。また、プライバシーがないことも問題に感じられた。一方、有料病棟は設備も整い、広々としていた。無料病棟との格差は明らかで、医療という切実な問題にまで大きな貧富の差が生じていることがうかがえた。
(文責:高谷)
 
8月8日 今日の一言
齋藤:育ちの良いフィリピン大学の学生の人柄に触れ、また一層フィリピンの国や人々が好きになった。今回に始まったことではなく、日本にいる「××人」に対する思いは、その国に来ると一掃される。私は何を見て、聞いて、考えを植えつけられているのだろう。
西:UPの学生と友達になった。UPも見学できた。これで旅の目的もWHO訪問に引き続き達成!!
内田:フィリピン大学にて。快晴。白壁をバックに、2人の女学生。それぞれピンクとブルーのエプロン(実は解剖着)を着ていた。絵になるな、と思った。おやつにもらった揚げバナナを左手に持ちながら、ホテルで今これを書いている。どうも腹が減る。そんなマニラの日暮れ時。
佐野:UPの学生さんは熱心、そして気さくな感じでとっても楽しい夕食ができました。ありがとう。
白神:JICAの事務所、すっごく立派な建物にあった。窓・屋上からの風景は最高だった。UPでは昨日の学生と再会し、ゆっくり話しながら大学・病院を見学した。病院では日本との大きな差に驚いた。
高谷:フィリピンの中の豊かな一面も見られた一日。一国だけで抱える貧富の差に驚いた。
田畑:医療従事者の海外志向は強く、海外で求人の多い看護学部が人気とのこと。JICA等、国際援助を要する状況なのに、自国の人達は海外へ流出する現状。なんだか切ない気持ちになった。
舛岡:医学生は白衣で通学するようだ。夜呼んだレストランに来てくれてホッとした。みんなで喋りかけたので彼ら食事はできたろうかと少し気になったが。
梶本:自分の大学で病棟を回ったことが無い。病棟見学のデビュー戦がPhilippine General Hospital。ポリクリ前に貴重な経験ができた。UPの学生に一言、懇親会の集合時間はちゃんと守ってや!
:フィリピン大学医学部付属病院で入院患者さんが廊下にあふれていたことには驚いた。医学生と話していてもフィリピン内での貧富の差を感じてしまいました。
中野:フィリピン大学の学生と交流会。みんな笑顔がすてきだった。スープにバナナが入っていたのにはちょっとびっくり。
:JICAでは、日本人として国際協力のあり方を考えさせられた。午後のフィリピン大学では、最高の医学部の付属病院なのに、そこらに野良猫がいたり、オープンすぎる雰囲気にびっくり。
原田:UPの学生が案内役。学校生活から普段の過ごし方まで、学生にしか聞けないこともたくさん聞けた。過ごし方は日本の学生と似ていて親近感。
 
8月9日(水)
本日のスケジュール・内容
移動(マニラ→レイテ島)後、レイテ島現地保健省公衆衛生プログラム見学(PHC関連見学)
 
 
 9日の前半は移動であった。その前に一部のメンバーは午前中WHOの図書室を見学させていただくことにしたが、これは任意であった。マニラからフィリピン航空を利用しレイテ島のタクロバン空港まで飛び、15時頃にマッカーサー記念碑の近くのホテルに到着した。
 一つめはDr. PaulaによるGeographically Isolated and Disadvantagesと題されたEastern Visayaの基本的な概要のレクチャーであった。二つめはDr. Adelfo Labnaoによるハンセン病レクチャーであった。三つめはDr. IdaによるSchistosomiasisのレクチャーであった。そして最後にDOH Region 8のRegional DirectorであるDr. Benita Pastorからスピーチがあり、現地の保健行政に対する姿勢と行政官の活発さを肌で感じることができた。あわせて在フィリピン日本大使館の荒木先生やJICAプロジェクトの担当者などの紹介があった。その後、ホテルに戻り、バルア先生を含めて全員でゆっくり夕食をとった。このホテルは海辺にあり、幸いなことに天候がとてもよく、海や月、星を眺めながらのすてきな食事会となった。以下、3つのレクチャーの内容をまとめる。
(1)Geographically Isolated and Disadvantages (Dr. Paula)
 今回私たちが訪れているEastern Visaya地域の保健状況の概説であった。この地域は、6つの地域にさらに区分されており、Northern Samar、Eastern Samar、Western Samar、Biliran、Leyte、Southern Leyteの各地域である。TaclobanやOrmoctoといった中心都市はLeyte島に位置する。Southern Leyteが昨今洪水でニュースになったところである。合計すると390万人がこの地域で生活しており、140の地方自治体があり、4417のBarangayが存在する。ちなみに、これから訪れるBiliran地域に関しては、15万人が住んでおり、8の地方自治体があり、132のBarangayが存在する。Ruralに61.7%、Urbanに39.2%が住んでおり、人口密度は18.2、世帯数は781368、識字率は90%、平均寿命はLeyte地域で男性64.65(フィリピン全体:67.83)、女性68.79(フィリピン全体:73.08)である。フィリピン全体のデータよりも悪いことが分かる。ちなみに合計特殊出生率は4.43(フィリピン全体:3.23)である。疾患としては急性呼吸器疾患、下痢、心疾患、インフルエンザが多く、死亡の原因としては、心血管系疾患、肺炎、新生児関連、結核、交通事故が挙げられる。乳幼児の死亡原因としては、肺炎、未熟児、敗血症などが挙げられる。さらにこの中でもBiliran地域は最も妊産婦の死亡が多く、ワクチンや栄養状態に問題がある。現在取り上げられている問題として、結核、住血吸虫症、マラリア、ハンセン病などがある。また、医者や登録されている看護師の数も十分ではないとのことである。
 
 
(2)Leprosy(Dr. Adelfo Labnao)
 この地域におけるハンセン病の疫学に関する概説を受けた。感染者の新規発生率(CDR)は2001年の5.8(対10,000)から、2005年は4.6に、有病率(PR)は2001年の0.69(対1000)から2005年は0.51に減少している。地域別のPR(カッコ内はCDR)は、N.Leyte: 0.42、Tacloban: 0.47、Ormoc: 0.38、S.Leyte: 024、Biliran: 1.25(CDR: 13.7)、West Samar: 0.53(CDR: 2.6)、East Samar: 0.49(CDR: 5.8)、North Samar: 0.67(CDR: 5.0)である。
(3)Schistosomiasis(Dr. Ida)
 住血吸虫症の概説で、この疾患の歴史や寄生虫としてのライフサイクルに関する概説であった。ポイントをまとめると、この寄生虫は農夫が農場でかかることが主な人への感染形態になっており、社会経済的な問題の要素を大きく持っているということである。水を介してSnail(かたつむり)によって感染し、男性の5歳から14歳の人口帯に多い。1851年に発見され、200万人が世界では感染し、120万人が症状を持ち、20万人が苦しんでいる。フィリピンでは、80%がミンダナオに在住しており、18%がBiliranに在住している。19種類が現在確認されており、S.japonicum、S.mansoni、S.haematobiumなどが人に感染し有名であるが、このうちS.japonicumが中国、インドネシア、フィリピンなどで主に見られるものである。鑑別疾患としては、皮膚炎、急性の住血吸虫症、慢性の住血吸虫症などがあげられる。皮膚炎は徴候がそれほどない。急性の住血吸虫症は、発熱、悪心、嘔吐、倦怠感、下痢、赤痢などの症状が見られ、慢性では、閉塞性疾患の様相を呈する。すなわち肉芽腫形成や肝膿瘍形成を起こし、門脈圧亢進症の原因となる。ライフサイクルについての説明があったが、こちらは成書を参考にしていただきたい。
(文責:西)
 
8月9日 今日の一言
齋藤:荷物のカウンターすら無い、レイテの小さな空港にびっくり。だがこの形が原点なのだろう。豊かな社会に生まれ育った私たちが当たり前と感じることが、当たり前でない世の中があると感じた。
西:記録日だったのでがんばった!マニラとは違ったレイテの風景にびっくり。1ペソによる暴露ゲームは笹川フェローにきっと語り継がれるものになるでしょう、ね、西村先生!?
内田:レイテ。今にも雨がこぼれ落ちそうな曇り空。朧月が幻想的な趣を晩餐に添える。夕飯時には、進路について、大学についていろいろ話せて良かった。
佐野:レイテに移動。「ああアジアだ。」街の雰囲気も人も、匂いもまさに「アジア」だ。夜は西村先生ご推薦、懐かしのドピンチャンゲームです。
白神:レイテ島へ移動。マッカーサーの銅像の近くで宿泊。夜中にやったコインゲームで興奮したことは忘れない。ドキドキしたし、驚いたなぁ。でも、みんなとの距離が一段と近くなったように思う。
高谷:レイテ島と日本人の関係をまったく知らなかった自分が恥ずかしかった。歴史おんちを何とかしなくては!
田畑:レイテ島上陸。マッカーサー銅像、迫力。
舛岡:暖かい風の吹く夜の海がとても静かでほっとした。皆でとった食事もgoodだった。
梶本:波の音が部屋まで聞こえてくるホテルに滞在ってのが南国っぽくて良かったなぁ。夜のゲーム大会は修学旅行みたいな盛り上がりやったね。
:レイテ上陸?!現地保健担当の方々にすごくもてなしていただいて、夜も波の音のBGMの中(ステキ!)皆でいろいろ話ができました。
中野:代謝の悪い私は、日本でも良く感じることなのだが、フィリピンに来てより強く思うこと。冷房がきつい・・・。フィリピンの人は体質が違うのかな。それとも何か別の理由があるのかな。
:レイテ島に移動。マニラでは見られなかったフィリピンらしい雰囲気を味わえて嬉しかった。
原田:レイテ島へ移動。マニラと違って、自然いっぱい静かなところ。夜、ホテルの部屋に巨大な虫が!!!あまりの大きさに、不安で夜眠れず。


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