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8月5日(土)
本日のスケジュール・内容
1)日本出国・フィリピン入国
2)懇親会とBarua先生の講義
3)Barua先生宅での夕食
 
1)日本出国・フィリピン入国
 早朝に宿泊先である国立保健医療科学院を出発し、一同成田空港へと向かった。2時間ほどで到着し、不足品の買い物や出国手続きも済ませていざフィリピンヘと発った。
 予定どおりの四時間半のフライトで、私たちは無事フィリピンでの最初の活動の場となるマニラに到着した。入国手続きを済ませて外に出ると、フィリピンは雨季ということもあって予想していたほどには暑く感じられなかった。そして、そこにはWHOのバンが我々を待っていた!皆感激しつつ乗り込み、宿泊先であるManila Pavilion Hotelへと向かった。道中はほとんどの者が初めて見るマニラの街並みやジプニー、物売りなどに興味津々で、これからの11日間の新鮮な出会いの数々を予感させた。
 
2)懇親会とBarua先生の講義 Manila Pavilion Hotelにて
 ホテルに到着し、読売新聞マニラ特派員の遠藤富美子さんも交えて懇親会とBarua先生の講義に入った。Barua先生は現在WHOで結核・ハンセン病対策担当官をなさっていて、また今回の現地フィールドワーク全般をコーディネートしてくださった先生でもある。先生からはご自身の現在に至るまでのお話や、医療者の目指すべき姿勢などをお話いただいた。(以下先生のお話に沿って記す。)
 
 「まず、皆さんに自己紹介をして貰いましょう。医療分野への進学動機と、今回のフェローシップ参加動機も教えてください。」(各自自己紹介。多様な動機が語られた。)「皆さんそれぞれの動機があるようですね。以前出会った学生に動機を持たない人が多かったので、お話ししてもらいました。自分が医学を学び、実践するにあたっては、各自がIdentityを意識することが本当に重要です。」そうおっしゃると、先生はスライドを交えてお話を続けられた。その始めの何枚かには以下の言葉が記されていた。
 ‘Who am I? Where do I come from? How did I come here? Where shall I go from here? What shall I do there?’
‘60億分の1−私にできること’
‘金持ちより心持ち’
‘白衣の壁を乗り越えて地域に入っていくには何をすべきだろうか?’
 
 また先生は医療とは人間が人間を世話するものであり、受験で使った数学などではなく、人間学、社会学、哲学こそが重要であると強調された。
 続いて先生の小学校、高校時代の写真が映し出され、医師になられるまでの道のりについてお話くださった。
 「私はバングラデシュの農村で生まれ、高校までをそこで過ごしました。私が12歳のときに近所のおばさんがお産で亡くなりました。これは村に医師がいれば防げた死でした。このとき母と姉の泣いている姿を見た私は、医師になり、地域の医療に尽くすことを心に誓ったのです。」
 先生はこの例から自分の心の満足はどこにあるのか、何かあったときに自分がどうするかをそこから考えることが重要だと教えてくださった。また、Dr. James Yen氏の「Go To the People」という非常に印象的な詩も紹介して下さった。
 続いて、先生はご自身の理想に適した学びの場を探すのに時間と労力をかけられ、そしてそれが本当に良かったと話された。
 「まずは当時兄のいた日本の医学部で学ぼうと考えたものの、日本の医学は専門性が高すぎたので、アジアで学ぼうと考えました。1973年に来日してから、日本にいる間はなるべく多くの経験を積むよう心掛けました。長野で土木作業をしてお金を貯め、他の国で医学を学ぶための情報収集として韓国やシンガポールの医学校の学長に会いに行ったり、トラックドライバーの生き方を知るためにヒッチハイクをしたりしました。そのうち、若月先生のことを知り、幾度もご連絡した末に会っていただいて夢を語り合う仲にまでなったりしました。これらの方々とのつながりは今も続いています。このような経験から、私は人々の中へ学ぶ気持ちを持って入っていくことの重要性を皆さんにもお伝えしたいと思います。
 こんな中、私は遂に自分の学びの場として最適な医学校を見つけることができました。フィリピン大学医学部レイテ校です。ここではまず助産師の資格をとり、次に看護師、そして保健師を経てようやく医師になることができます。また本校の特徴として地域実習が非常に多いこと、地域医療に携わる医療者の育成が目的であることも挙げられます。
 地域医療のキーワードとしてはAvailable、Accessible、Acceptable、Appropriateがありますね。何かを援助するにしても、物を与えるだけでなく、Social Preparation(大切さを受益者の理解できるレベルで教える)をしてからのSocial Mobilizationでなければいけないのです。皆さんもこのことを心に留めて、色々な出会いや経験をしながら医療従事者として、また一人の人間として成長していってください。」
 
3)Barua先生宅での夕食
 夕食はBarua先生のご自宅に招待していただいた。直前の講義で、親しみやすいお人柄の大先輩、Barua先生にすっかり魅せられてしまった私たちは、わくわくしながら先生の素敵なお宅へと足を踏み入れた。そこは非常に夜景の美しい豪華な高層マンションであった。先生の奥様や二人のお嬢さん達に迎えられ、翌日からお世話になりKanlungan Centreを中心にご案内いただく穴田久美子さん、読売新聞記者の遠藤さん、毎日新聞記者の大澤さんも交えて、奥様お手製の美味しいバングラデシュ料理をいただきながら話も大いに盛り上がった。
 夢を語り合う者、冗談を言い合う者、先生方に熱心お話を伺う者。参加学生同士も気付けばわずか数日前に出会ったとは思えないほど何でも語り合える仲になっており、笑い声の絶えない素敵な夜であった。
(文責:辻)
 
Barua先生ご白宅で。
 
8月5日 今日の一言
齋藤:「自分の大事なものを周りに配りなさい」とのBarua先生の言葉は、勉強の毎日であっても周りを思いやる大切さ、そして世界の状況にアンテナを張る大切さを教えてくれた。でも実践は難しい・・・
西:バルア先生。ちょっとこわかったけれど、いい出会いになる予感。先生の自分自身に対する妥協を許さない真摯な姿勢に心をうたれた。
内田:8月5日。機上。小さい窓から、日本にはない熱帯独特の密林をじっと見つめる。何十年も遠い異国の土地に取り残された戦没者のことを考えた。ずいぶん遠いところだな、と思った。
佐野:レントゲンや検査値では語り尽せない「痛み」。1人の人間と向き合うにはからだは勿論のこと、こころと向き合わなければならない。そればかりか地域の一員でなければならない。レイテにその原点を見たいと思う。そして、自分探しの旅になればなぁ。
白神:早起きしてフィリピンへ。初めてのアジアを堪能しながらホテルに到着後、Barua先生の熱い話を聞いた。地域に根ざし、地域の人々の為に働くことの魅力を実感した。明日からもよろしくです。
高谷:フィリピン到着。Barua先生のお話を聞く。大きくて華々しい活動にばかり目が行くふしが否めないわたしにとって、自分にできることからはじめるというメッセージが胸に響いた。
田畑:フィリピン到着。早速Barua先生の講義。自身のidentity、これから医療に従事していく上で改めて考えさせられた。夜は、Barua先生のお宅で暖かいおもてなしに感激です。
舛岡:国内組の皆さんおつかれさま。フィリピンへ予定通り到着。バルア先生宅の娘さん2人、先生以上の日本語の発音に舌を巻きました。
梶本:BARUA先生、どうして講義中に私ばっかりに質問をするの・・・先生宅での奥様手作りカレーと、フィリピン産ビールSan Miguelは最高においしかったなぁ。
:いよいよフィリピンに到着!すっごく親しみやすいバルア先生の講義の後、なんとご自宅にも招待していただきましたー。色々話せて楽しかった一日。
中野:Barua先生の熱い講義に感動。先生は、ご自分と本当に真剣に向き合って生きてきたのだなと思った。それはすごく難しいことだと思う。本当にすごい。
:朝4時の集合。成田までのバスは爆睡でした。マニラに着いてオリエンテーション。やっと海外に来たんだという実感がわく。夜はバルア先生のご自宅に招待していただき、おいしいバングラデシュ料理をいただいた。これが感激。これから1週間、がんばるぞー。
原田:Barua先生のお話の中で“His name is Today”の詩の紹介があった。私も大切にしているこの詩を先生から皆へ紹介していただけるなんて嬉しい。


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