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第二部
基調講演−「コミュニケーションとしての聴覚」
埼玉県立小児医療センター耳鼻咽喉科副部長 坂田 英明先生
 
はじめに
 難聴は目に見えない障害であり、周囲に気付かれずに放置されたままであると言葉が遅れコミュニケーションに支障をきたし人格形成に影響を及ぼすこともあります。
 1997年新しい検査装置(自動ABR)が日本に導入され、スクリーニングとして全新生児を対象とした難聴の検査が可能となりました。この問題には厚生労働省も1999年から取り組み始め、現在各地でスクリーニングが行われています。
 新生児聴覚スクリーニング(Universal Newborn Hearing Screening: UNHS)の目的は、全新生児を対象にスクリーニングが行われ難聴を早期に発見し適切なコミュニケーションの方法を模索していくことにあります。しかしいくつか問題点があります。検査は産科、精密検査は耳鼻科で行い、難聴が確定した場合は療育ということになりますが、療育が整備されていないと、このスクリーニングシステムは意味をなさなくなってしまいます。過去においては高度難聴の発見は平均2歳頃であり、その時点から気導補聴器を装用した療育が開始されてきました。しかし、新生児聴覚スクリーニングでは生後2週間ほどで難聴が診断されるため、超早期に療育を開始できるという利点があります。
 今回は新生児聴覚スクリーニングとその後の療育に関わる問題について療育としての音楽療法を中心に詳述します。
 
小児難聴の歴史
 小児難聴の歴史は、18世紀頃の手話法と、その後の口話法の登場、補聴器の開発、そして難聴の早期発見が大きなテーマでした。18世紀末は手話法がほとんどで、日本では1898年にグラハム・ベルが来日し、口話法が紹介されました。その後はいかに早期に小児難聴を発見するかが重要なテーマのひとつでした。1970年のABRという難聴の検査機器の発明は画期的でしたが、値段が高く時間がかかり操作も複雑なため、スクリーニングには不向きでした。1986年に自動ABRが発明され、新生児聴覚スクリーニングが可能となりました。これにより今後、手話法・口話法・人工内耳などのコミュニケーションツールの選択肢が広がることが期待されています。
 
難聴の発現率
 難聴の発現率は、軽度を含めると1,000人に2〜3人です。療育が必要となる両側高度感音難聴は1,000人に約1人の割合で発生します。これは現在行われている新生児の代謝スクリーニングで発見される他の疾患全ての合計の約7倍の発生率です。
 
獲得言語指数
 1998年に報告されたYoshinaga-Itanoのデータによると、療育開始時期の違いによる3歳時点での獲得言語指数は、難聴が生後6ヵ月までに発見された場合と、それ以降の発見とで3歳時点での獲得言語指数に大きな差がみられます。この報告によれば療育開始時期は生後6ヵ月までが有効ということになります。
 
聴覚スクリーニングと精密検査の結果
 当院では産科での聴覚スクリーニング後の精密検査に、312例が紹介されています。うち178例は精密検査の結果正常で偽陽性でした。85例は一側性難聴か、両側50dB未満の軽度難聴であり経過観察としました。両側50dB以上の感音性難聴は49例でこれらが療育対象となりました。
 
難聴児特別外来
 当院では難聴児を対象とした特別外来を行っています。耳鼻科医による、診断・治療、小児神経科医による発達評価、言語聴覚士による補聴器装着、言語指導、音楽療法士による音楽療法、社会福祉士による医療保障の説明、看護師による育児支援などが主なものです。月1〜2回の特別外来を約1年間行っています。
 
療育
 新生児聴覚スクリーニングで最も重要なことは、難聴発見後の療育です。療育の整備がされていなければ、スクリーニングを行っても全く意味がありません。療育の基本は“健全な母子関係の構築”です。親の“情緒の安定”が最も重要で、母親の子供への関わりが全てといっても過言ではありません。
 私たちはUNHS後の難聴児に対し、療育プログラムとして月1〜2回の特別外来を行っていますが、大きく3つのポイントがあります。
 第一は親の教育です。これは各1時間の講義の12回コースとなっており、内容は「難聴について」「ことばについて」「音楽療法とは」「育児の仕方」「補聴器のこと」などです。
 第二は音楽療法です。これは五感を使い脳を刺激するプログラムで、骨導補聴器を使用して全身を刺激します。自宅では15分間の音楽療法のビデオを見ながら訓練を行います。また親の普段の声を(通常の話し方で)録音し、これを加工したものを難聴児に骨導補聴器下で聞かせています
 第三は補聴器の装用です。私たちは難聴児が発見されてから最初に聴く音が気導であるということに対し疑問を抱き、まず生後2ヵ月より骨導補聴器の使用を開始しています。そして生後4〜5ヵ月より気導補聴器をフィッティングしています。また外来で、聴覚管理、診察、発達評価、育児支援なども行っています。
 
音楽療法
 音楽療法が戦後アメリカで広まった大きなきっかけは、1950年に退役軍人の精神的・身体的ケアから始まりました。日本ではその約10年後、1960年代に心理学の分野でいくつかの音楽療法の手法が使われるようになりました。1970年代には、赤星式音楽療法および(財)東京ミュージック・ボランティア協会の創始者である赤星建彦氏が、日本の音楽を用いた高齢者のための音楽療法を開始し、さらに2000年には日本では初めての試みとして、乳幼児期の聴覚障害を対象とした音楽療法が行われました。
 
療育音楽の実践
 月1〜2回音楽療法を45分間行い、音楽を使って乳幼児の五感を刺激しました。また、低音(ドラム)を使い、乳幼児の体を通して脳に刺激を与えています(振動伝達)。療法が行われている間は乳幼児の両親に快適な環境を提供することを心がけ、グループセッションに参加することでお互いにコミュニケーションを取りやすく促しています。被験者は37名の乳幼児とその家族を対象としました。以下の2つのパラメータを療育音楽の評価対象としています。
1. 音楽療法ビデオテープ評価スケール
2. クロモグラニンA唾液検査
 
聴力推移
 初診時と、1年後聴力がほぼ確定した時点での聴力推移で50dBから100dB群と無反応群に分けて検討を行ったところ、聴力閾値の改善がみられたのは13例(35.1%)、不変は21例(56.7%)、悪化は3例(8.1%)でした。ここで特記すべきことは、無反応群で5例に反応が出てきたことです。これは、生後2ヵ月という超早期から療育を行ったことにより、脳の可塑性を引き出した結果であると推測しています。
 
おわりに
 療育において健全な母子関係を構築すべく親の情緒の安定を計ることはいうまでもありません。療育で最も重要なキーワードは母親です。難聴児に対し五感を刺激し、脳の刺激を行うことは、コミュニケーション上重要と考えられます。将来的に、補聴器、人工内耳、手話などのさまざまなコミュニケーションツールから本人に合ったものを選択することになりますが、まず導入段階ではどの子にも脳を刺激し、可塑性を引き出すという観点から、骨導補聴器を使用した療育音楽療法が有用な治療のひとつであると考えられます。
 今後、行政官、医師のみならず、言語聴覚士、保健師、保育士、看護師、学校教育者(ろう学校・難聴学級教員)、などさまざまな立場で小児難聴の診断・治療・療育の検討がなされ、良いシステムが構築される必要性を感じています。


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