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2.2 事件処理内容について
 事件の処理に関して、当時の時系列処理と刑法に改正に伴い想定される新たな処理手順について、以下の項目にまとめる。
 
2.2.1 実際の処理の時系列
 執り扱われた手続きの流れの時系列を簡単に記すと、以下のとおりとなる。
【4月7日】:管理会社から「行方不明者」の連絡
 
【4月8日】:船長から「殺害事件の可能性があるため、海上保安庁の協力を要請」
 
【4月9日】:早朝に在京パナマ大使から「海上保安官の乗船了承」の旨の書簡を入手した後、海上保安官が警備乗船
 
【4月10日】:沖縄金部湾にて5管本部職員へ引継ぎ警備
 
【4月12日】:午前中にパナマ政府より外務省に対して捜査共助要請があり、午後に姫路港バースに着桟後国際捜査共助法に基づく処分開始
 
【4月14日】:午後同上処分完了
 
【4月17日】:午後、国際共助法に基づく関係書類を5管区を経由して海上保安庁宛送付
 
【4月19日】:午後、外務省から在京パナマ大使館へ関係書類送付
 
【5月14日】:午後、パナマ政府より外務省宛仮拘禁の請求、逃亡犯罪人引渡し法に基づく仮拘禁許可状発付後、法務省から海上保安庁に対して仮拘禁許可状の執行依頼
 
【5月15日】:午前、仮拘禁許可状を執行後、犯人二人を下船させ、本船はペルシャ湾向け出港
 
2.2.2 事件の公判の概要
 TAJIMA号事件のフィリピン人被告2名に対する公判が平成17年5月18日より、パナマ国パナマ市の第二高等裁判所で行われ、三日間の審理の結果、5月20日夜、陪審全員一致の評決により無罪が確定した(パナマ国は陪審員制度の採用により、控訴による上級審審理がないため)。以下に、時系列で事件の概要を示す。
 
【5月13日】
 本件公判担当の第四高等検察庁のロヨ検事より日本国大使館に対し、「高等裁判所が榛葉ひろ子(被害者夫人)及びアレハンド・アルモダル氏(事件目撃者)の証人出廷を認めた。5月18日の公判までに出廷いただきたい」旨の協力要請があった。
 従前より行われていた要請であり、日本側は、証人召喚は不可能である旨を再度伝えた。
 夫人については本人の意向、また、アルモダル氏については、その所在が不明であるためと思われる。
 
【5月18日】
 09:30、第二高等裁判所にて本件開廷、陪審員の選定作業が行われた。約1万人のリストの中から100名の候補者が抽選で選ばれた。その後、これらの候補者のもとを裁判所職員が訪問し説得を行い、8名の陪審員を確保するに至った。
 16:00、審理開始。メンドラル裁判長、ロヨ検事、ロドリゲス弁護士、フィリピン人被告2名、陪審員8名(男女各4名)らが出廷した。
 審理に先立ち、弁護人から、通訳をつける要望が出され認められた。そのため、フィリピン国名誉領事があらかじめ確保していた2名の通訳者(スペイン語〜英語、英語〜タガログ語)がつくこととなった。
 検察側より、日本で行われた調書等に基づき、被告の容疑についての陳述が行われた。一方、弁護側は、「日本での取り調べは英語で行われた。被告らは英語を良く理解できない。そのまま、犯行を認める調書に署名してしまった。被告の犯行を確認できる十分な証拠はない。」と主張した。20:00閉廷。
 
【5月19日】
 09:00、開廷。検察調書の朗読が行われた。続いて、検察側証人の精神科医が出廷し、「鑑定の結果、被告人2名は刑事責任能力を有している」と証言した。
 その後、被告人による罪状認否が行われ、両被告は無罪を主張した。21:00閉廷。
 
【5月20日】
 10:00、開廷。冒頭、検察側の陳述が行われた。
 検事はTAJIMA号のグスマン機関士の証言、すなわち、「ラセル被告が犯行後に自室を訪れ、榛葉氏の殺害を告白し、今後の対応について助言を求めた」旨を明らかにした。
 また、アルモダル氏による被告人の犯行についての目撃証言も明らかにした。
 さらに、検事は「日本での尋問において、両被告とこれら2名の乗組員の証言は完全に一致していること。両被告は月額1,300ドルの給与を得ていて、英語を理解できない乗組員を日本の海運会社が長年雇用するはずがなく、両被告は十分な英語能力を有していること」等を説明した。
 また、プロジェクターを用い、本事件の模様を再現し解説するに至った。
 最後に検事は、「被害者の夫人及び犯行目撃した乗組員は、やむを得ず証人としての出廷は実現しなかったが、両被告による犯行である」旨を主張した。
 裁判官が両被告に発言を促したところ、両被告とも改めて犯行を否認するとともに、日本で行われた英語での取り調べはよく意味がわからず、調書への署名も不本意だった旨を発言した。
 続いて、弁護側が陳述を行った。弁護側は、「両被告が被害者を殺害したと判断するための証拠は不十分である。証拠となっている、被害者の血液とされる付着物もDNA鑑定を行ったわけではない。また、唯一の目撃者とされる元乗組員も、所在不明で出廷していない。日本での尋問では、両被告への弁護士の同席が認められなかった。英語が理解できないのに、タガログ語の通訳がつかなかった。基本的人権が侵害された状況で作成された調書は、パナマの法律に照らし無効である」とし、両被告は無罪、即刻釈放されるべきであると主張した。
 その後、検察側から、「裁判官が日本で作られた調書を証拠として認めたからこそ、公判が実施されたのである。プロジェクターによる事件再現にあたっては、両被告自らが協力した。これは、両被告が犯行を認めていたことを意味する」等の主張を述べた。
 一方、弁護側は、「検事調書はタガログ語に翻訳されていない。調書は違法であり、証拠も不十分である」旨を主張した。
 22:00、裁判長は陪審員に対し評決のための協議を行うよう求め、陪審員は退廷した。
 約10分後の23:08、陪審が再び入廷し、裁判官が評決を朗読した。結果、両被告に対し「無罪」の評決が下された。
 
2.2.3 刑法3条の2追加による想定される改善点
 刑法3条の2により、日本の主権の及ばない外国において、被害者が日本人で被疑者が外国人の場合には、日本の刑法で処罰することができるようになった。
 したがって、便宜置籍船の船内殺人・傷害事件においては、関係諸国との管轄権競合はあるものの、日本刑法において処理を進めることには疑義はなく、刑法を根拠とし、わが国の刑事訴訟手続きにより適正に進めることができる。
 但し、執行手順を進行すると同時に関係諸国への通報及び諸手続きの相互確認を進めることは当然のこととすべきである。
 刑法改正からTAJIMA号事件と同等の事例の諸手続きを実体験していないのであくまで想定範疇であるが、上述の実際に執り行われた処理手順のうち大半は、日本国の刑事司法の手順に従い主体的に進められ、関係国の了解を取り付ける手続きや関係機関等への煩わしい諸要請手続き等に阻まれることがなくなるものと思われる。
 

 
備考)刑法3条の2の抜粋
 
(国民以外の者の国外犯)
  第三条の二 この法律は、日本国外において日本国民に対して次に掲げる罪を犯した日本国民以外の者に適用する。
 
一 第百七十六条から第百七十九条まで(強制わいせつ、強姦、準強制わいせつ及び準強姦、集団強姦等、未遂罪)及び第百八十一条(強制わいせつ等致死傷)の罪
二 第百九十九条(殺人)の罪及びその未遂罪
三 第二百四条(傷害)及び第二百五条(傷害致死)の罪
四 第二百二十条(逮捕及び監禁)及び第二百二十一条(逮捕等致死傷)の罪
五 第二百二十四条から第二百二十八条まで(未成年者略取及び誘拐、営利目的等略取及び誘拐、身の代金目的略取等、所在国外移送目的略取及び誘拐、人身売買被略取者等所在国外移送、被略取者引渡し等、未遂罪)の罪
六 第二百三十六条(強盗)及び第二百三十八条から第二百四十一条まで(事後強盗昏酔強盗、強盗致死傷、強盗強姦及び同致死)の罪並びにこれらの罪の未遂罪
 
備考)二号の殺人罪の未遂罪について
 
 刑法199条の殺人の罪に対する未遂罪で、行為者が殺意を抱き、行為者の殺人行為により、実行行為が完遂したときには確実に被害者が死に至るが、実際には、結果的に被害者が死ななかった場合の、行為者の罪をいう。
 
備考)船長の権限
 
 船舶は洋上に隔離された特殊な環境であり、かつ陸上の公的機関からの援助の享受が困難なことから、伝統的に各国の法律においては船長に対し、船内警察権も含む強い権限を与えてきた。わが国における船長の権限については、船員法に定められており、船員法に定められた船内秩序の維持に関わる権限を整理すると以下のようになる。
 
・海員を指揮監督する権限 (船員法7条)
・海員を懲戒する権限 (船員法第22〜24条)
・船内の危険に対する処置をとる権限 (船員法第25〜27条)
・海員を強制下船させる権限 (船員法第28)
・行政庁に対する援助の請求権 (船員法第29条)
 
 また、わが国の刑事訴訟法、大正十二年勅令第五百二十八号(司法警察官吏及司法警察官吏ノ職務ヲ行フヘキ者ノ指定等ニ関スル件)により、船長は特別司法警察職員の職務を行うことができると定められている。
 さらに、参考として、各国の船員関係法規における船長権限の内容について以下に紹介する。*
 
(1)イギリス
 英国商船規則では、船長が船内秩序維持のために必要又は適切であると思料した場合、船内にある者を拘束できると定めている。また、規律違反者には罰金を課す権限が与えられている。
 
(2)ドイツ
 ドイツ船員法では、船長による船内秩序のための物理的強制力の利用、一時的拘禁の要件について比較的詳細に規定されている。物理的強制力については、どのような目的に対して利用できるか規定するとともに、他の手段が最初から利用できないと思われ又は利用できないと証明される限りにおいて許されると規定している。
 
(3)ノルウェー
 ノルウェー船員法では、船舶が自国の港湾に在泊中でないときに船内で重大犯罪が発生した場合、船長が取り調べを実施する義務について規定するとともに、被疑者の取り扱いについて比較的詳細に規定されている。
 
(4)スウェーデン
 スウェーデン商船船員法では、船内で規律違反者がでた場合、船内犯罪が発生した場合等において、問題の諮問又は調査のため、船長を議長とした船舶評議会を設置することを定めており、委員の構成、委員会の運営方法についても詳細に規定されている。
 
(5)パナマ
 便宜置籍国であるパナマにおいても、パナマ商法典に、船長の船内指揮命令権、海員の懲戒権、船内警察権について規定されている。
 
(6)リベリア
 リベリア海事法においては、船内秩序を乱す行為について、船長により賃金の全部又は一部を没収することにより処罰するよう定めており、行為の類型別に詳細にどの程度没収するか規定されている。
 
* 昭和58年〜昭和60年刊行の、外国船員法規シリーズ内訳((財)海事産業研究所)を参考とした。


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