◆サケ缶の市場の成長
堤商会は、製品の優秀性を武器にイギリス市場を開拓し、大正3(1914)年第一次大戦による軍用の需要増大もあって、サケ缶詰生産量を増大させていった。自動缶詰機で生産したサケ缶に「DAY BREAK BRAND(あけぼの印)」のブランドを与え、イギリスヘはカムチャッカの缶詰工場から直航船を仕立てて積極的な販売を展開した。イギリスでの評判も高く、鮭缶詰は堤商会の主力商品となっていった。昭和3(1928)年、日魯漁業(旧堤商会)の全製品の売上高において缶詰類が76%と最も多く、缶詰の中ではベニザケが71%を占めた。缶詰生産は資本力を持った漁業会社に大きな利益を与えた。資本投下により缶詰工場の一層の自動化・拡充を行う企業と、中小の個人漁業家との格差は広がっていった。
堤商会事業一覧
辞令
市立函館博物館所蔵
大正7(1918)年
製缶工場長を命じる、堤商会の辞令。
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日本帝国海外旅券
市立函館博物館所蔵 大正9(1920)年
堤商会の社員が商工業視察のためイギリスに渡った時のもの。
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旅行者用身分証明書
市立函館博物館所蔵
大正10(1921)年
堤商会社員のロンドン滞在時の旅行者用身分証明書。
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汽車乗車券
市立函館博物館所蔵 大正ころ
堤商会の社員がアメリカやイギリス等で使用した汽車のキップ。
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◆サケ加工物の市場拡大
カムチャッカ出漁による漁獲の発展は、塩サケ供給過剰による市場価格の低下を招いた。国内の塩サケの消費は、東北日本や関東の比較的狭い地域に限定され、西日本の消費需要の短期的な増大は見込めなかった。需給バランスを取り戻すには、新しいサケの販路開拓が必要となった。この過剰供給商品の新しい販路となったのが台湾・中国大陸である。これら地域が特にカムチャッカ産塩鱒(カラフトマス)の市場として確立されたことで、国内市場が塩鮭(シロザケ)主体の流通状況となり、結果的に市場のすみ分けが図られる形となった。
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