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◆新潟の「場所行き」の漁夫たち
 ロシア領でのサケ漁には、漁業に従事する漁夫、運搬や加工に従事する陸方漁夫、船大工を始めとする職工や輸送船の船員など多くの働き手を必要とした。そのため初夏から秋にかけて、季節的ながら大量の雇用を生み出した。新潟市や近隣の農漁村からも、多くの人々が漁夫として漁業に従事した。ロシア領漁場への出稼ぎは「場所行き」と呼ばれ、特に農漁村部では貴重な現金収入の機会となった。
 露領水産組合新潟支部結成後は、支部が指定した周旋人を通して雇用した。それ以前は、漁業家が個々に直接雇用していたようである。雇用契約を結んだ漁夫は、漁場へ渡る準備金として旧正月前に前借金を受け取ることができた。農漁村では貴重な正月準備の現金を前借りするために、漁夫の雇用契約を結ぶ者も多かった。中には前借金を受け取って姿をくらましたり、二重三重に契約を結んで前借りを行う者もいて、漁業家は注意漁夫の名簿を作成して相互に注意を呼びかけた。
 
雇用契約書
昭和17(1942)年 日魯漁業株式会社に漁夫として雇用された契約書。
 
大正十四年度注意漁夫届書
大正14(1925)年 各漁業家から、雇用契約及び前借金の支払いにも関わらず、露領出漁に参加しなかった漁夫について名簿を作成し、注意漁夫として届けている。
漁夫名簿
大正6(1917)年 漁夫は北蒲原出身の者が多く、組に編成されている。
 
漁夫周施保証書
明治44(1911)年 周施人及び保証人による業務不履行時の損害賠償等の責務を保証したもの。
 
出漁漁夫出身地町村別人員調
大正14(1925)年 雇用した漁夫を出身地町村別に明記してある。
 
Explanation 解説
漁夫の出身地
 新潟漁夫の出身地としては、新潟市と北蒲原の農漁村が特に多かった。とりわけ南浜村・松ヶ崎浜村の北蒲原の漁村出身の者が多かった。一漁期の露領出稼ぎで得られる現金は、村での1年の漁業収入を大きく超えるものであった。これらの村では、ロシア領に出稼ぎしないと一人前になれないとすらいわれた。


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