日本財団 図書館


◆ロシア領での陸揚げ漁業(1)
 ロシア領でサケ漁を行うには、漁区を借用する必要があった。2月になると漁区の入札が行われるので、希望する漁区を落札しなければならない。漁業家は保証金を支払って、ロシアと借区契約を結ぶことで出漁ができるようになった。漁区は海岸を一定の長さに区切り、陸地と海面を組み合わせて一つの漁場として貸し出される。期間は開設された年は1年、その後は3年ないし5年貸し出された。
 漁場が決まると、漁期にあわせて漁夫と操業中の生活に必要な物資を漁場に送った。カムチャッカを漁場とする場合、帆船による航海には20日以上を要した。新潟港から出発する船は5月下旬に出発し、7月から8月にかけてサケ漁を行った。船が漁場に到着すると、漁夫たちは物資を陸揚げし、約2か月間の生活に必要な宿舎や作業場を作っていく。前回と同じ漁区であれば、組立・修理で済む。漁船の船材も積載し、連れてきた船大工に組み立てさせた。
 操業の準備が済むと、漁をはじめる。古くは地引網が行われていたが、カムチャッカヘ出漁するころには建網が行われた。漁はサンパ船やドウカイ船などの漁船で行った。沿岸に仕掛けた建網を起し、漁獲したサケを漁船に満載して陸に水揚げした。大正頃、日魯漁業のカムチャッカ漁場では、大量に漁獲されたサケをさばくため、浜デッキに魚揚エレベーターを備えた漁場もあった。
 
網起し
株式会社ニチロ所蔵 網起こしをしている漁船。沖で実際に漁業に従事する漁夫を沖方漁夫と呼んだ。
 
漁場到着揚荷役
株式会社ニチロ所蔵 露領漁場に到着し、輸送船から漁場運営に必要な物資を陸揚げしている。
 
漁船
株式会社ニチロ所蔵 サンパ船やドウカイ船等の木造船。これらの木造船は帆船に積載されて、もしくは船材に解体されて漁場まで輸送された。
 
漁船より浜デッキヘ
株式会社ニチロ所蔵 陸揚げされるサケ。胴海船には2,3000尾のサケが収容できた、船から次々陸揚げされるサケで浜甲板はいっぱいになった。
 
◆ロシア領での陸揚げ漁業(2)
 漁獲したサケは、長期の保存や流通に耐えるように塩蔵処理した。陸揚げ漁業では漁獲物の輸送を行うのは漁期終了時だけであった。帰路に1か月を要し、商品の流通にさらに時間を必要とした。漁獲物の保存処理は不可欠であり、かつ日々漁獲される大量のサケを処理する必要があった。ロシア領漁場で行われた保存加工法も伝統的な塩引であるが、規模の大きさから山漬と称された。山漬とは、サケ100石(6,000尾)を一山として、積重ね塩切りしたものをいう。
 
塩切場(写真)
株式会社ニチロ所蔵 エラと内臓を除去したサケに塩切りを施し、山漬にしているところ。
 
山積みされたサケ(写真)
市立函館博物館蔵所蔵 一山の塩サケは6,000尾(100石)にもなる。
 
塩切山(写真)
株式会社ニチロ所蔵 山漬にされたサケ。6、7日経過すると上下層を積み替え、塩を撒きなおして均等に塩を浸透させた。
 
塩切山(2)(写真)
株式会社ニチロ所蔵 漁場の各所で山漬にされた大量のサケ。漁期が終わると輸送船に積み込まれ、積み込みきれない分は翌年に回収された。
 
 まず、陸揚げされたサケのエラを取り、漁師が使うマキリという小刀で腹を割いて内臓を取り出す。魚体を洗浄し、表面及び腹腔に塩を加えて、頭を外に向けて並べる。塩を散布しながら、何層にも積み重ねていく。6、7日過ぎると上下の層を入替え、層ごとに塩をまいて塩分の浸透を表裏均一になるようにする。漁期明けまで山のまま塩漬けにしておくため、漁場にはサケ100石の山がいくつもできた。
 また、サケの豊富なカムチャッカでは加工に十分な時間を割けず、工程を簡略化したドブ漬けを行った。ドブ漬けはエラも取らずに山漬けしたもので、下級品とされた。


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION