◆新潟の漁業家の活動−田代家文書から
1921(大正10)年内に田代商店に寄せられたハガキ約1700点が残されており、その中には多くのサケの注文が見られる。サケの注文や問い合わせは、十勝鮭、石狩鮭、カム鮭、オコ鮭といったように、産地を指定したものが多く見られ、米国鮭の注文もある。注文は県内各地から寄せられ、特に蒲原平野一円の市町村からの注文が多く見られる。このほか、信州や会津等からの注文も見られる。田代商店からの商品発送は、川送りや日通送り状等の積荷控が残されており、川舟や川蒸気などの内水面交通に加え、鉄道輸送なども利用していたことがわかる。
田代の商取引先全体を示す資料として、明治43(1910)年と昭和2(1927)年付でそれぞれの取引先を書き上げた名簿が残されている。明治43年に比べ、昭和2年の名簿は取引先の数全体が増加し、またアメリカ・朝鮮・台湾などとの取引が行われていた。台湾は、サケの塩蔵加工に必要な塩の生産国である。この時期、ロシア領サケの漁獲量が大幅に増加したため、塩蔵加工に用いる塩が大量に必要となっていた。田代は従来使用していた内国産だけでなく、いち早く海外から塩を購入して直接漁場に輸送し、大量の塩を確保していた。
昭和3年度 塩移輸出数調
昭和3(1928)年 田代がイギリス・スペイン・エジプト塩を計3564880斤購入したとの記事がある。
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大正10年の田代三吉商店におけるサケの商圏
ハガキ
日通送り状(控)
大正10年 田代が受注した商品を鉄道で送った控え。
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川送り
明治四十四年度漁業用塩高及漁獲高届
明治44年 田代は第185号ブイムブチンスキー第三漁場にて、塩蔵処置に台湾産塩4,800俵を使用した。
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取引先名簿
明治43年・昭和2年 田代三吉の取引先を書き上げたもの。
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門司港に碇泊する帆船
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