日本財団 図書館


◆北洋向け帆船の航海と成果
 ロシア領までの航海の様子は、日々の操業を報告した漁業日誌からうかがうことができる。大正6(1917)年の「大漁日誌」には、ロシア領でも最も遠方のカムチャッカヘ出漁した田代三吉所有の生田丸の操業の様子が記されている。
 
大漁日誌
大正6(1917)年 生田丸を輸送船とする大正6年のワルウオヤムスキー第二漁場における操業を記録したもの。
 
 これによると、5月24日に新潟を出航した帆船生田丸は、約1か月に及ぶ航海を経た6月17日、目的のワルウオヤムスキー第二漁場近くまで到着した。しかし、まだ海面が氷結していたために上陸できなかった。その時、船団を組んで解氷を待っている船の数は10隻以上であったという。7月8日まで解氷を待ってようやく上陸できた。上陸後、操業を始めるのは、7月14日からである。その間は、積載してきた物資をサンパ船で陸に揚げ、漁場の加工場や漁夫たちが寝泊りする建物を建てる等、漁の準備を急ピッチで行っていたと思われる。この時は8月29日の切揚げまで漁を行い、わずか47日間の操業で鮭33,481尾、鱒50,411尾の漁獲を得た。
◆帆船の遭難事故
 ロシア領への長い航海中には、遭難事故の危険もあった。露領水産組合新潟支部の大正7(1918)年の記録によれば、沿海州へ向けて新潟港から出航した関矢儀八郎の栄寿丸、カムチャッカから新潟港を目指していた鈴木佐平の千歳丸の2船が行方不明になり、大時化による沈没事故とされた。両船合わせて70人の乗員が死亡した。明治40年前後にカムチャッカヘの出漁が始まり、長い航海中の危険も増えた。
 
ラット
寄託資料 船の舵輪(だりん)。
 
晴雨計
気圧の変化を測ることで天候の変化を予測するのに用いる道具。
 
霧中号角
寄託資料 警笛を発する船具。
 
救済部書類
大正7(1918)年 露領水産組合新潟支部の文書。大正7年度に遭難事故にあった船の乗組員や怪我をした漁夫等について報告されている。
 
属具目録
大正5(1916)年 田代三吉所有の帆船長福丸搭載の船具・漁具一式についてリスト化したもの。当時の帆船の装備や、航海・漁業に必要な品物がわかる。
 
船員手帳
明治40年から大正11年まで、新潟の船員が乗り込んだ船や雇用期間が書き記されている。


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION