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CHAPTER 3章 新潟港から北の海へ
◆ロシア領でのサケ漁
 明治に入ると、サケを求めて、ロシア領となったサハリン(樺太)、対岸の沿海州、さらにはカムチャッカヘ多くの日本船が出航した。このロシア領を中心とした地域での漁業を、総称して北洋漁業という。ロシア領の海域は、ニシンをはじめ、サケ、カニなどの豊かな漁場であった。中でもいわゆる北洋鮭鱒漁は、新潟を根拠として発展した。日露漁業条約の成立を受けて、明治41(1908)年に入札による借区料の支払いを条件に、ロシア領の日本人の漁業が正式に認められた。ロシア領のサケ漁を目指す越後の漁業家が新潟に集い、港から多くの船がロシア領漁場へ出航し、大量のサケを新潟港に水揚げした。ロシア領漁場で働く漁夫には新潟出身の者が多く、厳しい労働条件の中、漁獲・加工作業に従事した。
 
宝寿丸模型
市立函館博物館所蔵
 
宝寿丸の旗
市立函館博物館所蔵 明治40(1907)年6月4日新潟港からカムチャッカへ向けて出航した堤商会の帆船、宝寿丸のもの。航海の安全と豊漁を祈って、市内古町2丁目(当時)の如来寺に奉納され、天井に貼り付けられ大切に保存されていた。堤商会は後の日魯漁業の中心となる会社である。株式会社ニチロ創業80周年を機会にニチロに返却され、現在は市立函館博物館所蔵。
 
露領沿岸邦人租借漁区図
寄託資料 昭和2(1927)年 ロシア領の漁区が記入された図。
 
信濃川鮭網と帆船入港(絵葉書)
明治末から大正末頃か 北洋帰りの帆船が信濃川左岸の旧税関前に多く碇泊している。手前はサケの大網を引いているところで、万代島と思われる。
 
明治42年カムサッカ漁場にて宝寿丸(163トン)を背景に開拓者の雄姿(写真)
市立函館博物館所蔵 明治42(1909)年 堤商会の創始者堤清六(中列右より3人目)、平塚常次郎(前列右より3人目)らが写っている。


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