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◆川役
 新発田藩の諸役銀を記した「慶長十六年分諸役銀子之帳」は、サケ漁があったことを示す近世で最も古い史料である。諸役には大別すると川役・諸所小役・明所歩銀があるが、川役が71%の額を占めている。近世初期の新発田藩において川漁の比重が大きかったことを示すとともに、川役はすべてサケに関する税であり、サケ漁の価値が高かったことがわかる。
 川役に記されている漁法は、大網・流し・居繰りである。大網を行っているのは、沼垂・新潟である。当時の位置から、沼垂分は阿賀野川での漁と思われる。新潟分は新発田領に属する信濃川での操業だと考えられる。
 
慶長十六年分諸役銀子之帳
新発田図書館所蔵 慶長17(1612)年 この文書は、慶長16年に納められた諸役銀を記したもので、川役銀が中心になっている。この時期の川役は、鮭の漁法ごとの役銀、漁獲高に対応する十分の一役がある。
 
鮭網場譲渡約諾証之事
この文書は淀口八統網の権利半統分を売り渡すことを約束した文書である。金額が高額であり、収益が大きかったことがわかる。
 
為取交熟談証文之事
この文書は、大網師の漁場が不足しているため、仲間12人のうち、休業する3人の休業補償の内容を取り決めたものである。
 
御献上之覚
長岡市立中央図書館文書資料室所蔵。この文書は、長岡藩が将軍家に献上するものと諸家への贈り物について、献上までの手続きを記したものである。旧暦八月に献上される番鮭について詳細に記されている。
 
イオビツ
鮭を入れて運ぶための道具。塩引を作るのにも用いる。
 
◆番鮭
 長岡藩と新発田藩は、その年に最初に獲れたサケを塩引にして将軍に献上した。このような献上や贈答などに使う特別なサケを長岡藩では番鮭、新発田藩では初鮭と呼んでいた。新発田藩の初鮭の初見は慶長16(1611)年であるから、同3年の新発田への移封間もない時期から、初鮭献上が始まっているのであろう。
 両藩とも共通しているのは、番鮭となるのは5番までであること、褒賞が与えられることである。新発田藩の褒賞額は不明だが長岡藩では1番鮭は米3石、2番は2石、3番は1石5斗、4番は1石、5番5斗であった。新発田藩では近世中期以降は5番鮭がそろうまで、領内での鮭の売買は禁じられていた。
 長岡藩は、将軍に1番と3番、将軍の世継には2番と4番を献上する慣わしであった。5番は藩主用であり、5番の切り身が悠久山の蒼紫(あおし)神社に供えられた。サケは諸侯への贈答品としても利用された。これらを加工する場所は、長岡藩では城内の「御内蔵」、新発田藩では沼垂の「御鮨所」であった。


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