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◆描かれたサケ漁/大網
「蜑の手振」詞書きによれば、大網は「地引網のごとくする」漁法で、網の長さは約250〜270mで、引き綱は場所に応じて90〜180m程度の規模であった。蜑の手振の「鮭網の画」では9人で引き網を行っている。漁期は例年9月23日頃(秋の彼岸)から12月22日頃(冬至)までであった。
 
ヒコ
地引網を引くために用いる道具で、先端を引網に絡ませて使う。
 
 大網はサケに関わる漁法の中で、最も優位な権利を認められていた。大網は、網を引くための足場が必要となり、川岸や中洲、場所のない場合は土俵を沈めて足場を作った。阿賀野川河口部では、川近くの畑を踏み荒らしてもとがめられないという慣習があった。また他の漁法は、大網の邪魔にならない場所で行うことになっていた。
 
拡大図
鮭網を引いている様子。引き手が腰に当てているのはヒコという網を引くための道具。
 
蜑の手振
(拡大画面:42KB)
嘉永5(1852)年に新潟奉行川村修就が作らせた絵巻物で、六景の絵とそれぞれに加えられた修就自筆による詞書からなる。
 
「蜑の手振」詞書(ことばがき)
 
 新潟信濃川なる鮭網ハ地引網といふものとおなし、これも一網を一と唱ふ、今十二あり、一あみ十一人のさためなりと云、秋の彼岸より冬至迄を盛とす、おなし国にても十五里下の方村上にてハ、おくれてこなたの末に至る頃、彼方の盛にて、とし毎に其時たかハぬとそ、網ハ百四五十尋、袋網は九尋ほと、引綱は五十間程より百間余まて所に応して出すことゝそ、さかりに成し頃にても、予か見し時は一網二三尺より一四五尺迄、三四十も入ることはとかく稀成といふ、かく地引網のことくするを大網と唱ふ、其外に流し網といふは、網のめに鮭のさす様にして瓢箪の筌をつけて、其端の緒を持、ひとり小舟に乗、流にしたかひて流す、鮭の網にさせは、うけにひゝくを見て引きあくる也、朝夕か夜を重とする業なり、またさし網といふハ湊口海の浪立あたりにおろし置て、程をはかりてあくるといふ、或ハと唱へて籠のこときものを水底に沈め置、其内に入るをとる業もあり、此川筋にて鮭を漁する業もくさくさあれとも、そのことくわしく記せし書もありと覚ゆれば、他のことはこゝにもらしぬ、此国の鮭のことも鎌倉の代より聞えしときけハ、年古きことなるへし
幾秋の蜑のミつきのさけ網は
つなてもなかくよゝにひくらん
 
拡大図
鮭網の中ほどにはサケが入る袋網がついている。袋網の上辺中央にはダイアバと呼ばれる大きな浮子が付けられるのが持徴。対応して下辺中央には、エビス石という大きな錘が付いている。
 
エビス石
大網の中央部下辺(袋網の下になる部分)につける大型の重り。
 
サンペダル
魚網の浮きとして使うもので、大網の場合は袋網の先端につける。


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