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富浦の昔ばなし 第二集

 事業名 <郷土学>富浦に伝わる民話集の編纂と地域再発見
 団体名 NPO富浦エコミューゼ研究会 注目度注目度5


大房岬要塞群(たいぶさみさきようさいぐん)
 大房岬要塞(たいぶさみさきようさい)は、帝国陸軍(ていこくりくぐん)が昭和三年(しょうわさんねん)(一九二八)から、四(よん)ヶ年(ねん)の年月(ねんげつ)を費やして(ついやして)構築(こうちく)したものです。
 標高(ひょうこう)八十(はちじゅう)メートルの台地(だいち)に、二連装(にれんそう)の二十(にじゅう)センチ加農砲(カノンほう)・砲塔二基(ほうとうにき)を、四十(よんじゅう)メートル間隔(かんかく)で設置(せっち)し、関連施設(かんれんしせつ)の観測所(かんそくじょ)、発電所(はつでんしょ)、照明所(しょうめいじょ)、掩灯所(えんとうしょ)、弾薬庫(だんやくこ)などを、地下(ちか)に鉄筋(てっきん)コンクリート造り(づくり)で完成(かんせい)させますと、昭和二十年(しょうわにじゅうねん)(一九四五)の終戦(しゅうせん)まで、横須賀重砲連隊(よこすかじゅうほうれんたい)の兵士(へいし)が守り(まもり)ました。目的(もくてき)は、東京湾(とうきょうわん)に侵入(しんにゅう)する敵艦(てきかん)を、神奈川県剣崎砲台(かながわけんけんざきほうだい)と協力(きょうりょく)して防遏(ぼうあつ)し、かつ館山湾(たてやまわん)を掩護(えんご)する事(こと)でした。
「つわものどもが夢(ゆめ)の跡(あと)」、戦後(せんご)しばらく要塞跡(ようさいあと)は放置(ほうち)されていましたが、千葉県(ちばけん)が大房岬(たいぶさみさき)を公園化(こうえんか)し、環境整備(かんきょうせいび)を進め(すすめ)ましたので、平和(へいわ)のありがたさを大事(だいじ)にする意味(いみ)からもと、戦争遺跡(せんそういせき)である要塞群(ようさいぐん)を、平成十三年(へいせいじゅうさんねん)(二〇〇一)に、富浦町(とみうらまち)は町(まち)の文化財(ぶんかざい)に指定(してい)しました。なお、この戦争遺跡(せんそういせき)の文化財指定(ぶんかざいしてい)は、千葉県下市町村(ちばけんかしちょうそん)第一号(だいいちごう)となり、全国(ぜんこく)では八番目(はちばんめ)となっています。
 
地下に構築された探照燈格納庫跡(多田良・大房岬)
 
幕末(ばくまつ)の砲台跡(ほうだいあと)
 江戸時代末期(えどじだいまっき)、黒船(くろふね)が来航(らいこう)しますと、幕府(ばくふ)は江戸湾沿岸(えどわんえんがん)の要害(ようがい)に、砲台(ほうだい)を築いて(きずいて)海防(かいぼう)に当り(あたり)ました。大房岬(たいぶさみさき)に残る(のこる)幕末(ばくまつ)の砲台跡(ほうだいあと)も、そのひとつです。
 砲台(ほうだい)を築いた(きずいた)年月(ねんげつ)は諸説(しょせつ)あって定か(さだか)ではありませんが、嘉永三年(かえいさんねん)(一八五〇)に、江戸近海(えどきんかい)の海防施設(かいぼうしせつ)を巡視(じゅんし)した石川政平(いしかわまさひら)が、報告書(ほうこくしょ)に添えて(そえて)幕府(ばくふ)に提出(ていしゅつ)した、『近海見分之図(きんかいみわけのず)』を見(み)ますと、大房岬(たいぶさみさき)には、上段三門(じょうだんさんもん)、中段五門(ちゅうだんごもん)、下段五門(かだんごもん)の合計十三門(ごうけいじゅうさんもん)の大砲(たいほう)が据えられて(すえられて)おり、安政四年(あんせいよねん)(一八五七)に備前岡山藩(びぜんおかやまはん)が描いた(えがいた)『砲台縮図絵巻(ほうだいしゅくずえまき)』にも、同じ(おなじ)台数(だいすう)の大砲(たいほう)が据えられて(すえられて)います。
 砲台(ほうだい)は、北条陣屋(ほうじょうじんや)の岡山藩(おかやまはん)・松平内蔵頭(まつだいらくらのかみ)が守り(まもり)、沖(おき)を通る(とおる)黒船(くろふね)に対して(たいして)厳重(げんじゅう)な見張り(みはり)を続け(つづけ)、多数(たすう)の報告書(ほうこくしょ)を幕府(ばくふ)に送って(おくって)いました。
 大房岬(たいぶさみさき)の砲台(ほうだい)が撤廃(てっぱい)されたのは、欧米諸国(おうべいしょこく)と通商条約(つうしょうじょうやく)が成立(せいりつ)した安政五年(あんせいごねん)(一八五八)です。
 
黒船を睨んで大砲を据えた跡(多田良・大房岬)
 
宮本城址(みやもとじょうし)のホルトノキ
 宮本城址(みやもとじょうし)のホルトノキは、樹齢(じゅれい)三百年余り(さんびゃくねんあまり)、四本(よんほん)に分かれた(わかれた)樹高(じゅこう)は十九(じゅうきゅう)メートル、枝張り(えだはり)南北二十(なんぼくにじゅう)メートル、樹幹(じゅかん)は根回り(ねまわり)五(ご).一(いち)メートルに及ぶ(およぶ)、安房第一(あわだいいち)のホルトノキの大樹(たいじゅ)です。
 ホルトとは、ヨーロッパのポルトガルの事(こと)であり、戦国時代(せんごくじだい)、わが国(くに)に入った(はいった)暖地性(だんちせい)の木(き)で、安房(あわ)は、この木(き)の北限(ほくげん)に当たり(あたり)ます。
 ホルトノキは、別名(べつめい)をヅクノキともいいますが、当地(とうち)ではチジノキといいます。
 七月(しちがつ)〜八月(はちがつ)に黄緑色五弁(きみどりいろごべん)の小花(こばな)が咲き(さき)、小さな(ちいさな)楕円形(だえんけい)の実(み)が付き(つき)ます。木材(もくざい)は建築用(けんちくよう)となり、樹皮(じゅひ)は染料(せんりょう)となります。大島(おおしま)ツムギは主(しゅ)としてこれで染め(そめ)ます。
 
奇怪な樹形に成長した宮本城址のホルトノキ(大津・字要害)


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