西暦
(せいれき) |
年号
(ねんごう) |
事項(じこう) |
一四四一 |
嘉吉(かきつ) 一 |
鎌倉公房(かまくらくぼう)・足利成氏(あしかがしげうじ)の近臣里見義実(きんしんさとみよしざね)、安房国(あわのくに)に入部(にゅうぶ)という。 |
一四五六 |
康正(こうしょう) 二 |
里見義実(さとみよしざね)・稲村城(いなむらじょう)から上総国境(かずさこっきょう)へ軍勢(ぐんぜい)を出す(だす)。 |
一四九一 |
延徳(えんとく) 三 |
宮本城(みやもとじょう)が築かれた(きずかれた)という。 |
一五〇七 |
永正(えいしょう) 四 |
里見義堯(さとみよしたか)・里見実堯(さとみさねたか)の子(こ)として誕生(たんじょう)する。 |
一五三三 |
天文(てんぶん) 二 |
里見義豊(さとみよしとよ)・稲村城(いなむらじょう)で正木通綱(まさきみちつな)と里見実堯(さとみさねたか)を殺害(さつがい)する。天文(てんぶん)の内乱(ないらん)勃発(ぼっぱつ)。 |
一五三四 |
天文(てんぶん) 三 |
里見義堯(さとみよしたか)・犬掛合戦(いぬかけがっせん)で里見義豊(さとみよしとよ)を滅ぼし(ほろぼし)、里見氏(さとみし)の宗主権(そうしゅけん)を握る(にぎる)。この頃(ころ)、義堯(よしたか)、一時(いっとき)宮本城(みやもとじょう)に在城(ざいじょう)する。 |
一五三八 |
天文(てんぶん) 七 |
第一次国府台(だいいちじこうのだい)の合戦(かっせん)。小弓公房(おゆみくぼう)・足利義明(あしかがよしあき)敗死(はいし)。義明(よしあき)の遺児(いじ)たち安房(あわ)に落ちる(おちる)。 |
一五五六 |
弘治(こうじ) 二 |
里見義弘(さとみよしひろ)・相州三浦(そうしゅうみうら)と鎌倉(かまくら)を攻める(せめる)。青岳尼(しょうがくに)・鎌倉太平寺(かまくらたいへいじ)より脱出(だっしゅつ)し、義弘(よしひろ)の元(もと)に移り(うつり)室(しつ)となる。 |
一五六四 |
永禄(えいろく) 七 |
第二次国府台合戦(だいにじこうのだいかっせん)、里見義弘(さとみよしひろ)敗れる(やぶれる)。 |
一五六七 |
永禄(えいろく)一〇 |
上総三船山(かずさみふねやま)の合戦(かっせん)で里見氏(さとみし)、北条氏(ほうじょうし)に大勝(たいしょう)する。 |
一五七〇 |
元亀(げんき) 一 |
里見義弘(さとみよしひろ)、岡本城(おかもとじょう)を築く(きずく)。里見義頼(さとみよしより)の居城(きょじょう)となる。 |
一五七二 |
元亀(げんき) 三 |
里見義頼(さとみよしより)、原村(はらむら)へ久留里(くるり)の愛宕大権現(あたごだいごんげん)を勧請(かんじょう)して、愛宕社(あたごしゃ)を造営(ぞうえい)。 |
一五七三 |
天正(てんしょう) 一 |
岡本城(おかもとじょう)で、里見義康(さとみよしやす)誕生(たんじょう)する。 |
一五七四 |
天正(てんしょう) 二 |
里見義堯(さとみよしたか)、久留里城(くるりじょう)で歿する(ぼっする)。 |
一五七七 |
天正(てんしょう) 五 |
里見義弘(さとみよしひろ)、北条氏(ほうじょうし)と和睦(わぼく)する。岡本城(おかもとじょう)の里見義頼(さとみよしより)、北条氏政(ほうじょううじまさ)の娘(むすめ)を室(しつ)とする。 |
一五七八 |
天正(てんしょう) 六 |
里見義弘(さとみよしひろ)、佐貫城(さぬきじょう)で病死(びょうし)する。嫡子(ちゃくし)・梅王丸(うめおうまる)が家督(かとく)を継承(けいしょう)する。天正(てんしょう)の内乱(ないらん)が勃発(ぼっぱつ)する。 |
一五八〇 |
天正(てんしょう) 八 |
里見義頼(さとみよしより)、佐貫城(さぬきじょう)の梅王丸支持勢力(うめおうまるしじせいりょく)を制圧(せいあつ)し、梅王丸(うめおうまる)を捕えて(とらえて)出家(しゅっけ)させ、岡本城聖山(おかもとじょうひじりやま)に幽閉(ゆうへい)する。正木憲時(まさきのりとき)が反乱(はんらん)する。 |
一五八一 |
天正(てんしょう) 九 |
里見義頼(さとみよしより)、正木領(まさきりょう)を制圧(せいあつ)し、安房(あわ)・上総(かずさ)を領有化(りょうゆうか)し、里見家(さとみけ)の当主(とうしゅ)となる。 |
一五八五 |
天正(てんしょう)一三 |
里見義頼(さとみよしより)の子(こ)・里見義康(さとみよしやす)、鶴谷八幡宮社殿(つるがやはちまんぐうしゃでん)で元服(げんぷく)する。 |
一五八六 |
天正(てんしょう)一四 |
里見義康(さとみよしやす)、岡本城(おかもとじょう)で父(ちち)の里見義頼(さとみよしより)に代って(かわって)家督(かとく)を継ぐ(つぐ)。 |
一五八七 |
天正(てんしょう)一五 |
里見義頼(さとみよしより)病死(びょうし)、青木(あおき)の光厳寺(こうごんじ)に葬られる(ほうむられる)。 |
一五八八 |
天正(てんしょう)一六 |
岡本城主(おかもとじょうしゅ)の館(やかた)が、家臣(かしん)の過失(かしつ)で炎上(えんじょう)する。 |
一五九〇 |
天正(てんしょう)一八 |
里見義康(さとみよしやす)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の小田原攻め(おだわらぜめ)に参陣(さんじん)するが、惣無事令違反(そうぶじれいいはん)で上総(かずさ)を没収(ぼっしゅう)される。 |
一五九一 |
天正(てんしょう)一九 |
里見義康(さとみよしやす)、居城(きょじょう)を岡本城(おかもとじょう)より館山城(たてやまじょう)へ移す(うつす)。 |
一五九二 |
文禄(ぶんろく) 一 |
里見義康(さとみよしやす)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の朝鮮攻め(ちょうせんぜめ)に出陣(しゅつじん)する。 |
一五九七 |
慶長(けいちょう) 二 |
安房国総検地(あわのくにそうけんち)(太閤検地(たいこうけんち))。里見義康(さとみよしやす)、家臣(かしん)・社寺(しゃじ)の大規模(だいきぼ)な知行割(ちぎょうわり)を実施(じっし)する。 |
一六〇〇 |
慶長(けいちょう) 五 |
関ヶ原(せきがはら)の役(えき)。里見義康(さとみよしやす)、徳川秀忠(とくがわひでただ)に従い(したがい)字都宮(うつのみや)に出陣(しゅつじん)、恩賞(おんしょう)として鹿島郡(かしまごおり)の三万石(さんまんごく)を加増(かぞう)される。 |
一六〇六 |
慶長(けいちょう)一一 |
梅鶴丸(うめつるまる)、将軍秀忠(しょうぐんひでただ)の御前(ごぜん)で元服(げんぷく)し、忠義(ただよし)を名乗る(なのる)。 |
一六一一 |
慶長(けいちょう)一六 |
里見忠義(さとみただよし)、大久保忠隣(おおくぼただちか)の孫娘(まごむすめ)を室(しつ)に迎える(むかえる)。 |
一六一四 |
慶長(けいちょう)一九 |
里見忠義(さとみただよし)、幕府(ばくふ)より安房国(あわのくに)を没収(ぼっしゅう)され、鹿島三万石(かしまさんまんごく)の替地(かえち)として伯耆国倉吉(ほうきのくにくらよし)を与えられる(あたえられる)。館山城(たてやまじょう)破却(はきゃく)される。 |
一六二二 |
元和(げんな) 八 |
里見忠義(さとみただよし)、伯耆国(ほうきのくに)に歿して(ぼっして)里見家断絶(さとみけだんぜつ)する。 |