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富浦の昔ばなし 第二集

 事業名 <郷土学>富浦に伝わる民話集の編纂と地域再発見
 団体名 NPO富浦エコミューゼ研究会 注目度注目度5


天正(てんしょう)の内乱(ないらん)
 天正六年(てんしょうろくねん)(一五七八)五月(ごがつ)、佐貫城(さぬきじょう)の里見義弘(さとみよしひろ)が、中風(ちゅうぶう)によって没し(ぼっし)ますと、里見氏(さとみし)の領域(りょういき)は、岡本城(おかもとじょう)の里見義頼(さとみよしより)が安房(あわ)を支配(しはい)し、西上総(にしかずさ)は佐貫城(さぬきじょう)の梅王丸(うめおうまる)が支配(しはい)するという、里見氏領国(さとみしりょうごく)が二分(にぶん)される事態(じたい)になってしまいました。
 本来(ほんらい)なら、義弘(よしひろ)の長子(ちょうし)である義頼(よしより)が、総て(すべて)の領地(りょうち)を支配(しはい)すべきですが、晩年(ばんねん)の義弘(よしひろ)に梅王丸(うめおうまる)という、古河公房足利氏(こがくぼうあしかがし)の血(ち)を引く(ひく)子(こ)が生まれた(うまれた)ため、その約束事(やくそくごと)に変化(へんか)が生じた(しょうじた)のです。
 当然(とうぜん)のように、義頼(よしより)と義弘(よしひろ)の仲(なか)は不仲(ふなか)となりました。義弘(よしひろ)が歿し(ぼっし)ますと、梅王丸(うめおうまる)は後見人(こうけんにん)である加藤伊賀守信景(かとういがのかみのぶかげ)や、母方(ははかた)の足利氏(あしかがし)の権力(けんりょく)を背景(はいけい)に、生前(せいぜん)の義弘(よしひろ)が家印(かいん)として使用(しよう)した鳳凰(ほうおう)の印判(いんばん)を受け継いだ(うけついだ)のです。それは正式(せいしき)に、義弘(よしひろ)の後継者(こうけいしゃ)に梅王丸(うめおうまる)がなったしるしでした。
 安房(あわ)と上総(かずさ)の両国(りょうごく)を支配(しはい)したい義頼(よしより)は、天正八年(てんしょうはちねん)(一五八〇)兵(へい)を進める(すすめる)と、瞬く(またたく)間(ま)に久留里(くるり)や小櫃谷(おびつだに)(君津(きみつ))などの梅王丸派(うめおうまるは)の城(しろ)を落し(おとし)、更(さら)に上総西海岸(かずさにしかいがん)の百首城(ひゃくしゅじょう)、梅王丸(うめおうまる)の居城佐貫城(きょじょうさぬきじょう)も落して(おとして)しまいました。そして梅王丸(うめおうまる)を捕え(とらえ)、出家(しゅっけ)させてしまったのです。
 続いて(つづいて)、長狭(ながさ)から上総東部(かずさとうぶ)を支配(しはい)する正木憲時(まさきのりとき)も征伐(せいばつ)し、義頼(よしより)は念願(ねんがん)の安房上総(あわかずさ)を総て(すべて)手中(しゅちゅう)にしました。
 
岡本城下(おかもとじょうか)の海(うみ)
 岡本城跡(おかもとじょうせき)に登り(のぼり)、眼下(がんか)に広がる(ひろがる)富浦湾(とみうらわん)を眺め(ながめ)ますと、天然(てんねん)の良港(りょうこう)である旧富浦漁港(きゅうとみうらぎょこう)や、海水浴(かいすいよく)に適した(てきした)岡本(おかもと)・多田良(ただら)の砂浜(すなはま)、そして大房岬(たいぶさみさき)から法華崎(ほっけざき)を結ぶ(むすぶ)線(せん)の沖(おき)には、三浦半島(みうらはんとう)まで続く(つづく)浦賀水道(うらがすいどう)が展開(てんかい)します。
 戦国時代(せんごくじだい)の昔(むかし)は、船(ふね)による交易(こうえき)にたいへん便利(べんり)だった所(ところ)のように感じ(かんじ)、それを支配(しはい)するため、里見氏(さとみし)がここに城(しろ)を築いた(きずいた)という考え(かんがえ)が生ずる(しょうずる)のですが・・・。実(じつ)は戦国時代(せんごくじだい)の頃(ころ)は、海面(かいめん)が今(いま)より四(し)〜五(ご)メートルも高く(たかく)、今(いま)の豊岡(とよおか)の海(うみ)は、「瀬(せ)(干潮(かんちょう)になると海面(かいめん)に現れる(あらわれる)岩(いわ))」や、「根(ね)(常(つね)に海中(かいちゅう)に隠れた(かくれた)岩(いわ))」と呼ばれる(よばれる)岩礁(がんしょう)がどこよりも多く(おおく)あり、恐しい(おそろしい)魔(ま)の海(うみ)だったのです。もちろん今(いま)の逢島(おうしま)も、海面(かいめん)に少し(すこし)姿(すがた)を見せて(みせて)いるだけの島(しま)でした。
 したがって、この海(うみ)の状況(じょうきょう)を知らない(しらない)他国(たこく)の交易船(こうえきせん)や軍船(ぐんせん)が入り(はいり)ますと、破損(はそん)する恐れ(おそれ)が出て(でて)きます。軍事優先(ぐんじゆうせん)の里見氏(さとみし)は、それを逆手(さかて)にとって、他国(たこく)の軍船(ぐんせん)の襲撃(しゅうげき)から身(み)を護る(まもる)には最適(さいてき)の地(ち)と考え(かんがえ)、城(しろ)を築いた(きずいた)のです。
 岡本城下(おかもとじょうか)には湊(みなと)もありました。湊(みなと)とは、天然(てんねん)や、人工的(じんこうてき)な防波堤(ぼうはてい)などを利用(りよう)した港湾(こうわん)ではなく、陸地(りくち)の水(みず)が海(うみ)へ流れ出る(ながれでる)河口(かこう)を利用(りよう)して、船(ふね)を停泊(ていはく)するようにした所(ところ)を言い(いい)ます。今(いま)の汐入川(しおいりがわ)のことです。
 汐入(しおいり)の集落(しゅうらく)に敷設(ふせつ)されている鉄道(てつどう)の東方(とうほう)に、里見氏(さとみし)が造った(つくった)「船廻し(ふなまわし)の場(ば)」と呼ぶ(よぶ)場所(ばしょ)が残って(のこって)いますが、当時(とうじ)は其処(そこ)まで、潮(しお)の干満(かんまん)とは関係(かんけい)なく、船(ふね)の進入(しんにゅう)できる深さ(ふかさ)の海水(かいすい)が進入(しんにゅう)していましたので、数十艘(すうじゅっそう)の船(ふね)を繋留(けいりゅう)することができました。


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