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富浦音頭(とみうらおんど)
 昭和初期(しょうわしょき)、東京(とうきょう)をうたった民謡調(みんようちょう)の「東京音頭(とうきょうおんど)」が大流行(だいりゅうこう)したことに影響(えいきょう)され、全国(ぜんこく)にご当地(とうち)ソング的(てき)な小唄(こうた)や音頭(おんど)が生まれ(うまれ)ました。
 富浦(とみうら)でも昭和十一年(しょうわじゅういちねん)(一九三六)に、「富浦音頭(とみうらおんど)」と「富浦小唄(とみうらこうた)」、終戦後(しゅうせんご)の昭和三十年(しょうわさんじゅうねん)(一九五五)には新しい(あたらしい)「富浦音頭(とみうらおんど)」が作られ(つくられ)、当時(とうじ)の青年団(せいねんだん)や婦人会(ふじんかい)が盛ん(さかん)に歌い(うたい)、普及(ふきゅう)につとめましたが、今(いま)では全く(まったく)歌われなく(うたわれなく)なりました。
 
富浦音頭(とみうらおんど)(昭和十一年(しょうわじゅういちねん))
作詞(さくし) 富田(とみた) 衛(まもる)
作曲(さっきょく) 半沢(はんざわ)誠一(せいいち)
〇ハァー 情(なさけ)とみうら コリャサノセ 二見浦(ふたみ)の宵(よい)に トコドッコイサノ トミウラネ
写す(うつす)釣場(つりば)の 写す(うつす)釣場(つりば)のふたつ影(かげ) アジョダカ カジョダカ キテミナセ
○ハァー 袈裟(けさ)をかけよか 浅間山(あさま)にゆこか ほんにあの娘(こ)も ほんにあの娘(こ)もみな揃う(そろう) (ハヤシ略(りゃく))
○ハァー たれを待とう(まとう)か あの逢島(おうしま)で お人(ひと)恋しい(こいしい) お人(ひと)恋しい(こいしい)おぼろ月(づき)
○ハァー 覗く(のぞく)か芙蓉(ふよう) さんさら月夜(つきよ) 踊る(おどる)音頭(おんど)の 踊る(おどる)音頭(おんど)の富士向かい(ふじむかい)
○ハァー つづく山(やま)なみ 黄金(こがね)に映える(はえる) 房州富浦(ぼうしゅうとみうら) 房州富浦(ぼうしゅうとみうら)びわどころ
 
富浦小唄(とみうらこうた)(昭和十一年(しょうわじゅういちねん))
作詞(さくし) 三井(みつい)良尚(よしなお)
作曲(さっきょく) 小松(こまつ) 清(きよし)
○こころ迷わす(まよわす)ほのかな香り(かおり) 枇杷(びわ)は黄金(こがね)の色(いろ)にでた ヤレセ 姉(あね)さかぶりが小篭(こかご)をかしげ 唄(うた)で枇杷(びわ)摘む(つむ)ほどのよさ
富浦(とみうら)ヨイトサノサー
○昼(ひる)は波間(なみま)で夜(よ)は逢島(おうしま)で 風(かぜ)がささやく謎(なぞ)かける 磯(いそ)で思えば(おもえば)はるかなものよ 赤い(あかい)月夜(つきよ)の遠漁火(とおいさりび)(ハヤシ略(りゃく))
○なぎさのロマンス かけるレコード恋(こい)の唄(うた) 蔓(つる)をからんで浜昼顔(はまひるがお)も キャンプのぞいて咲いて(さいて)いる
○浜(はま)の白砂(しらすな)ふみくれば 房州二見浦(ぼうしゅうふたみ)の夫婦岩(みょうといわ) 南風(みなみ)のさざ波(なみ)鴎(かもめ)もとんで 富士山(ふじ)に入日(いりひ)があかあかと
○雪(ゆき)のたより十一二月(じゅういちにがつ) 枇杷(びわ)の花(はな)咲く(さく)菜種(なたね)咲く(さく) やぶのうぐいす裏山(うらやま)こえて 紅い(あかい)椿(つばき)にきては鳴く(なく)
○枇杷(びわ)もいとしいまだ実(み)はかたい 袋(ふくろ)かけかけもう日暮れ(ひぐれ) たすきはずして三崎(みさき)をみれば 沖(おき)に白帆(しらは)の帆(ほ)がつづく
 
富浦音頭(とみうらおんど)(昭和三十年(しょうわさんじゅうねん))
作詞(さくし) 元木(もとき)素風(そふう)
作曲(さっきょく) 久富(ひさとみ)吉晴(よしはる)
○ハァー 一度(いちど)おいでよ安房富浦(あわとみうら)ヘ
アリャサッササー 浦(うら)の景色(けしき)は浦(うら)の景色(けしき)は
ハァーソレソレ エー日本一(にほんいち) ソレ
富浦(とみうら)よいとこ ヤッコラサーサー
沖(おき)のかもめも呼んで(よんで)いる
○ハァー 海(うみ)のかなたに浮き立つ(うきたつ)富士(ふじ)は
よそじゃ見られぬ(みられぬ)よそじゃ見られぬ(みられぬ)
よい姿(すがた) 富浦(とみうら)よいとこ 沖(おき)のかもめも
呼んで(よんで)いる (ハヤシ略(りゃく))
○ハァー 海(うみ)は遠浅(とおあさ)さざなみよせて
泳いで(およいで)いこうか泳いで(およいで)いこうか すずめ島(じま)
富浦(とみうら)よいとこ キャンプ楽しい(たのしい)夜(よ)は更ける(ふける)
○ハァー 五月六月(ごがつろくがつ)黄金(こがね)の枇杷(びわ)が
枝(えだ)もたわわに枝(えだ)もたわわに 実り(みのり)ます
富浦(とみうら)よいとこ あねさかぶりが枇杷(びわ)をつむ
○ハァー 里見城址(さとみじょうし)に大房岬(たいぶさみさき) 日蓮(にちれん)ゆかりの
日蓮(にちれん)ゆかりの 妙福寺(みょうふくじ)
富浦(とみうら)よいとこ 逢島(おうしま)なつかしおぼろ月(づき)
 
とみうら音頭(おんど)
 平成四年(へいせいよねん)(一九九二)に、「とみうら音頭(おんど)」の詩(し)が載って(のって)いる『新しい(あたらしい)千葉(ちば)の音頭集(おんどしゅう)・ふるさとの唄(うた)』という本(ほん)が、富浦町(とみうらまち)に贈られて(おくられて)きました。
 著者(ちょしゃ)は、流行歌(りゅうこうか)、「帰って(かえって)こいよ」「夫婦屋台(めおとやたい)」など数多く(かずおおく)のヒット曲(きょく)の作詞(さくし)をした平山忠夫氏(ひらやまただおし)(千葉県佐原市(ちばけんさわらし))ですが、本(ほん)のあとがきを見(み)ますと、平山氏(ひらやまし)は、千葉県内(ちばけんない)八十ヶ市町村(はちじゅっかしちょうそん)の新しい(あたらしい)音頭(おんど)を作ろう(つくろう)として、すべての市町村(しちょうそん)から資料(しりょう)を提供(ていきょう)してもらい、予定通り(よていどおり)、全市町村(ぜんしちょうそん)の音頭(おんど)の詩(し)を作り上げる(つくりあげる)事(こと)が出来た(できた)と述べて(のべて)います。
 載って(のって)いる新しい(あたらしい)「とみうら音頭(おんど)」を書き写し(かきうつし)ましたのでお読み下さい(およみください)。昔(むかし)、富浦町内(とみうらちょうない)で歌われた(うたわれた)、「富浦音頭(とみうらおんど)」の詩(し)とは一味(ひとあじ)違い(ちがい)ます。
 
 
(作曲(さっきょく)はされていません。)
 
千樫(ちがし)の枇杷山(びわやま)の歌(うた)
 富浦町(とみうらまち)の庁舎玄関(ちょうしゃげんかん)に、書(しょ)の大家(たいか)である浅見錦龍氏(あさみきんりゅうし)(社団法人(しゃだんほうじん)書星会理事長(しょせいかいりじちょう)・船橋市在住(ふなばししざいじゅう))から寄贈(きぞう)された「枇杷山(びわやま)のいただき高み(たかみ)堺樹(さかいじゅ)に風(かぜ)ふく音(おと)す空(そら)は晴れ(はれ)つつ」という歌(うた)の書(しょ)が掛けられて(かけられて)おりますが、この歌(うた)は、長狭郡細野村(ながさごおりほそのむら)(現鴨川市細野(げんかもがわしほその))に生まれた(うまれた)古泉千樫(こいずみちがし)(一八八六〜一九二七)の詠んだ(よんだ)歌(うた)です。
 古泉千樫(こいずみちがし)はアララギ派(は)の歌人(かじん)として活躍(かつやく)し、四十二歳(よんじゅうにさい)で没する(ぼっする)まで二千百五十五首(にせんひゃくごじゅうごしゅ)の歌(うた)を詠んだ(よんだ)と言われ(いわれ)ますが、大正七年(たいしょうしちねん)(一九一八)には南無谷(なむや)の集落(しゅうらく)を訪れて(おとずれて)枇杷山(びわやま)を巡り(めぐり)『枇杷山(びわやま)』と題し(だいし)、歌(うた)を三十首(さんじゅっしゅ)も詠み(よみ)ました。浅見氏(あさみし)の書(しょ)の歌(うた)はその中(なか)の一首(いっしゅ)なのです。
 
枇杷山(びわやま) 古泉千樫(こいずみちがし)
○枇杷山(びわやま)のあひだに青き(あおき)萱(かや)の山(やま)
かぜ吹(ふき)あぐるその青萱(あおかや)を
○枇杷山(びわやま)の下(した)びあかるくをちこちに
籠(かご)おきてあり人(ひと)は見えなく(みえなく)
○別れ来し(わかれきし)この山(やま)の上(うえ)の枇杷小屋(びわごや)の
釜(かま)の湯(ゆ)沸きて(わきて)昼餉(ひるげ)すらむか
○行き行く(ゆきゆく)と見わたす(みわたす)山(やま)は枇杷(びわ)の山(やま)
すでにもぎたる山(やま)の多し(おおし)も
○をみなたち枇杷(びわ)をつめ居り(おり)青葉(あおば)かぜ
明るき(あかるき)納屋(なや)に枇杷(びわ)をつめ居り(おり)
○夕(ゆう)かけてもぎにけらしもこのあたり
昨日(きのう)見し(みし)枇杷(びわ)のけさなかりけり
○あからひく朝(あさ)の浜(はま)びにあつまりくる
枇杷(びわ)をつみ込む(こむ)その枇杷船(びわぶね)に
○風(かぜ)ありて光り(ひかり)いみじき朝(あさ)の海(うみ)を
枇杷(びわ)つむ船(ふね)のいま出でむ(いでむ)とす


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