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富浦の昔ばなし 第二集

 事業名 <郷土学>富浦に伝わる民話集の編纂と地域再発見
 団体名 NPO富浦エコミューゼ研究会 注目度注目度5


富浦(とみうら)の歌(うた)
誇り高い校歌の演奏で発進する富浦小学校運動会のマーチングパレード(2002年)
<富浦小学校撮影>
 
富浦中学校校歌(とみうらちゅうがっこうこうか)
作詞(さくし) 山口(やまぐち) 晋一(しんいち)
作曲(さっきょく) 高山(たかやま) 清司(きよし)
一、輝く(かがやく)みどり 海(うみ)は清く(きよく)
富士(ふじ)の嶺(ね)晴れて(はれて) 空(そら)は広し(ひろし)
光(ひかり)をもとめて われらは歩く(あるく)
明るい(あかるい)富浦(とみうら) 若い(わかい)陽(ひ)あびて
学び(まなび)の窓辺(まどべ)に つどえる友(とも)よ
二、八束(やつか)の垂り穂(たりほ) 穂波(ほなみ)ゆれて
実り(みのり)の秋(あき)の 土(つち)のかおり
大地(だいち)を踏み(ふみ)しめ われらは歩く(あるく)
豊かな(ゆたかな)富浦(とみうら) ささえる力(ちから)
意思(いし)とからだを 鍛える(きたえる)日々(ひび)よ
三、花(はな)の香(か)におう 山(やま)のはざま
陽(ひ)に照り(てり)映える(はえる) びわの嶺(みね)よ
時代(じだい)をみつめて われらは歩く(あるく)
伸びゆく(のびゆく)富浦(とみうら) 未来(みらい)をこめて
希望(きぼう)の花咲く(はなさく) 学び(まなび)の道(みち)よ
ああほこり高く(たかく) われらはうたう
その名(な)も 富浦中学校(とみうらちゅうがっこう)
 
富浦中学校躍進譜(とみうらちゅうがっこうこうやくしんふ)
作詞(さくし) 和田(わだ) 耀子(ようこ)
作曲(さっきょく) 長谷川(はせがわ) 芳彦(よしひこ)
一、若き(わかき)学び舎(まなびしゃ) 海(うみ)はつらつ
富浦中学(とみうらちゅうがく) 夢(ゆめ)かがやく
友(とも)よ望まん(のぞまん) 青き(あおき)ゆくて
たくまし力(ちから) 共(とも)に共(とも)に
母校(ぼこう)ほがら
二、高き(たかき)学び舎(まなびしゃ) 山青青(やまあおあお)
富浦中学(とみうらちゅうがく) みどり匂う(におう)
友(とも)よ歌わん(うたわん) 学び(まなび)の歌(うた)を
燃ゆる(もゆる)まことを 共(とも)に共(とも)に
母校(ぼこう)きよら
三、白き(しろき)学び舎(まなびしゃ) 雲悠々(くもゆうゆう)
富浦中学(とみうらちゅうがく) 希望(きぼう)はるか
友(とも)よ開かん(ひらかん) 夜明け(よあけ)の世界(せかい)
自主独立(じしゅどくりつ)の 共(とも)に共(とも)に
母校(ぼこう)うれし
 
 富浦中学校(とみうらちゅうがっこう)は、旧富浦中学校(きゅうとみうらちゅうがっこう)と旧八束中学校(きゅうやつかちゅうがっこう)が昭和四十年(しょうわよんじゅうねん)(一九六五)に形式合併(けいしきがっぺい)して発足(ほっそく)した学校(がっこう)ですが、現在(げんざい)の地(ち)に鉄筋三階建校舎(てっきんさんがいだてこうしゃ)が完成(かんせい)した昭和四十一年(しょうわよんじゅいちねん)(一九六六)十一月(じゅういちがつ)までは両校生徒(りょうこうせいと)は、それぞれの旧校舎(きゅうこうしゃ)で授業(じゅぎょう)を受けて(うけて)いました。
 校歌(こうか)は昭和四十四年(しょうわよんじゅうよねん)(一九六九)、統合中学二代目(とうごうちゅうがくにだいめ)の校長(こうちょう)佐野初男氏(さのはつおし)が、歌詞(かし)を一般公募(いっぱんこうぼ)して制定(せいてい)したものです。歌詞(かし)は、当時(とうじ)の安房女子高校教頭(あわじょしこうこうきょうとう)だった山口晋一氏(やまぐちしんいちし)の作品(さくひん)を選び(えらび)、作曲(さっきょく)は、東京教育大学(とうきょうきょういくだいがく)の高山清司氏(たかやまきよしし)依頼(いらい)しました。
 なお、後(あと)になって判った(わかった)のですが、富浦中学校(とみうらちゅうがっこう)が昭和四十七年(しょうわよんじゅうしちねん)(一九七二)から交歓会(こうかんかい)を続けて(つづけて)いる、新潟県(にいがたけん)湯の谷中学校(ゆのたにちゅうがっこう)も、校歌(こうか)が同じ(おなじ)高山氏(たかやまし)の作曲(さっきょく)だったということです。不思議(ふしぎ)な縁(えん)といえますね。
 
富浦小学校校歌(とみうらしょうがっこうこうか)
作詞(さくし) 大橋(おおはし) 銅造(どうぞう)
作曲(さっきょく) 田村(たむら) 虎蔵(とらぞう)
一.富士(ふじ)の高嶺(たかね)を 雲井(くもい)はるかに
富浦(とみうら)の波(なみ) みぎわをあらう
あヽこの眺め(ながめ) これぞ我等(われら)が
学び(まなび)の園生(そのお)
二.日毎(ひごと)に仰ぐ(あおぐ) この富士(ふじ)が嶺(みね)
けだかき姿(すがた) 何(なん)にたとえん
あヽこの姿(すがた) これぞ我等(われら)が
心(こころ)ののぞみ
三.朝夕(あさゆう)よする この浦波(うらなみ)の
たゆまぬ力(ちから) 巌(いわお)をうがつ
あヽこの力(ちから) これぞ我等(われら)が
心(こころ)の守り(まもり)
四.この海山(うみやま)を 胸(むね)におさめて
心(こころ)の双葉(ふたば) おおしたててん
あヽこの園生(そのお) これぞ我等(われら)が
学び(まなび)の園生(そのお)
 
 富浦小学校(とみうらしょうがっこう)から良く(よく)見える(みえる)、霊峰富士(れいほうふじ)を詠み込んだ(よみこんだ)素晴らしい(すばらしい)校歌(こうか)ですね。
 安房地域(あわちいき)の小学校(しょうがっこう)では、ほとんど第二次世界大戦後(だいにじせかいたいせんご)に制定(せいてい)された校歌(こうか)になっているそうですが、富浦小学校(とみうらしょうがっこう)は、明治四十年(めいじよんじゅうねん)(一九〇七)に制定(せいてい)したこの校歌(こうか)を、歌詞(かし)の一部(いちぶ)を手直し(てなおし)しただけで、今(いま)も歌い続けて(うたいつづけて)いるのですから、伝統(でんとう)を重んずる(おもんずる)心(こころ)が感じられ(かんじられ)ます。
 歌詞(かし)の手直し(てなおし)を行った(おこなった)のは、明治(めいじ)の作(さく)のため富士山(ふじさん)が神格化(しんかくか)されており、戦後(せんご)の民主教育(みんしゅきょういく)の上(うえ)にふさわしくないと考えた(かんがえた)からです。
 元(もと)の歌詞(かし)は、一番(いちばん)の「富士(ふじ)の高嶺(たかね)を」が「富士(ふじ)の神山(かみやま)」。二番(にばん)の「この富士(ふじ)が嶺(みね)」が「この神(かみ)の山(やま)」となっていました。
 
富浦小学校運動会応援歌(とみうらしょうがっこううんどうかいおうえんか)
一.聖(ひじり)の山(やま)に 気(き)は澄みて(すみて)
岡本川(おかもとがわ)に 秋(あき)たけぬ
戦雲動く(せんうんうごく) 山(やま)と水(みず)
富浦健児(とみうらけんじ)の 身(み)はこえぬ
二.芙蓉(ふよう)の嶺(みね)は いや高く(たかく)
我等(われら)の意気(いき)は 天(てん)をつく
鍛えし(きたえし)心(こころ)に 神(かみ)やどり
錬られし(ねられし)腕(かいな)に血(ち)は躍る(おどる)
三.奮え(ふるえ)我が友(わがとも) 我が選手(わがせんしゅ)
堂々(どうどう)進め(すすめ) 敵(てき)の陣(じん)
月(つき)の桂(かつら)を 我が上(わがうえ)に
かざせよ我が友(わがとも) 我が選手(わがせんしゅ)


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