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富浦の昔ばなし 第二集

 事業名 <郷土学>富浦に伝わる民話集の編纂と地域再発見
 団体名 NPO富浦エコミューゼ研究会 注目度注目度5


南無谷(なむや)
 安房(あわ)の古い(ふるい)伝説(でんせつ)を書いた(かいた)本(ほん)がいくつかありますので、それらを読み比べ(よみくらべ)ますと、同じ(おなじ)話(はなし)でも本(ほん)によって、どこか内容(ないよう)が少し(すこし)ずつ違って(ちがって)いるものです。
 本(ほん)の出版(しゅっぱん)された年代(ねんだい)や、著者(ちょしゃ)の主観(しゅかん)が入り(はいり)ますからそうなるのですが、却って(かえって)その方(ほう)が読んで(よんで)楽しい(たのしい)のです。大正八年(たいしょうはちねん)(一九一九)に、日本伝説叢書刊行会(にほんでんせつそうしょかんこうかい)が出版(しゅっぱん)した、『日本傳説(にほんでんせつ)・安房(あわ)の巻(まき)』に載って(のって)いる「南無谷(なむや)」の話(はなし)を、原文(げんぶん)のまま書き写し(かきうつし)ましたのでお読み(よみ)下さい(ください)。
 
 
 この文章(ぶんしょう)によりますと、日蓮聖人(にちれんしょうにん)が鎌倉(かまくら)へ渡航(とこう)のため南無谷(なむや)を訪れた(おとずれた)のは、建長五年(けんちょうごねん)(一二五三)ではないですね。また、泉澤(いずみさわ)(今(いま)の和泉澤(いずみさわ))姓(せい)の一族(いちぞく)の先祖(せんぞ)は、伊勢(いせ)から移って(うつって)来た(きた)ことになっています。
 
血洗(ちあらい)の井戸(いど)に寄す(よす)
 日蓮聖人(にちれんしょうにん)ゆかりの「血洗(ちあらい)の井戸(いど)」が荒廃(こうはい)しているのを憂えた(うれえた)文書(もんじょ)が発見(はっけん)されました。
 南無谷(なむや)の柴山千代太郎(しばやまちよたろう)さんが、昭和二十年(しょうわにじゅうねん)(一九四五)頃(ころ)書いた(かいた)文(ぶん)を、同じ(おなじ)南無谷(なむや)の石井貞夫(いしいさだお)さんが後世(こうせい)に残そう(のこそう)と、平成元年(へいせいがんねん)(一九八九)毛筆(もうひつ)で、五通(ごつう)書き写した(かきうつした)ものです。
 一読(いちどく)の価値(かち)ある文書(もんじょ)ですので、文(ぶん)の中(なか)に注釈(ちゅうしゃく)を加えて(くわえて)転載(てんさい)しました。
 
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木(き)の根(ね)街道(かいどう)の休み所(やすみどころ)
 六地蔵(ろくじぞう)や青面金剛(しょうめんこんごう)などの石仏(せきぶつ)が、丹生(にゅう)と深名(ふかな)の村境(むらざかい)にお祀り(まつり)されています。
 そこの地名(ちめい)は岩先(いわさき)と呼ばれ(よばれ)、木(き)の根(ね)街道(かいどう)の通行(つうこう)が盛ん(さかん)だった江戸時代(えどじだい)の頃(ころ)は、旅人(たびびと)たちが必ず(かならず)一休み(ひとやすみ)する場所(ばしょ)だったのです。
 どの様(よう)な訳(わけ)かを言い(いい)ますと、丹生(にゅう)から険しい(けわしい)山道(やまみち)や人家(じんか)の少ない(すくない)沢辺(さわべ)の道(みち)を下って(くだって)来た(きた)人(ひと)が、やっと深名(ふかな)に着いた(ついた)かと安心(あんしん)した所(ところ)であり、反対(はんたい)に、天地(てんち)の広い(ひろい)深名(ふかな)から上って(のぼって)来た(きた)人(ひと)は、いよいよ木(き)の根(ね)のある丹生(にゅう)に入る(はいる)のだと、心(こころ)を引き締めた(ひきしめた)所(ところ)だからです。
 言い伝え(いいつたえ)の話(はなし)ですが、遠く(とおく)から来た(きた)旅人(たびびと)の中(なか)には、丁度(ちょうど)その岩先(いわさき)で日暮れ(ひぐれ)になった者(もの)もあったそうです。当時(とうじ)は、月夜(つきよ)でなければ旅人(たびびと)の夜歩き(よあるき)は大変(たいへん)危険(きけん)でしたから、その様(よう)な時(とき)は、石仏(せきぶつ)の側(そば)の大岩(おおいわ)に身(み)を寄せて(よせて)眠り(ねむり)、夜明け(よあけ)を待った(まった)のです。しかし誰(だれ)でも、石仏(せきぶつ)に守られて(まもられて)安眠(あんみん)と言う(いう)訳(わけ)にはいきません。昔(むかし)の事(こと)ですから、夜(よる)の寒さ(さむさ)、旅(たび)の疲れ(つかれ)、急病(きゅうびょう)などで、そのまま死んで(しんで)しまう人(ひと)も出た(でた)のです。
 そうなりますと、死んだ(しんだ)人(ひと)の身元(みもと)が不明(ふめい)な場合(ばあい)、丹生(にゅう)か深名(ふかな)のどちらかの村(むら)が大変(たいへん)な事(こと)になったのです。昔(むかし)は村境(むらざかい)で行き斃れ(ゆきだおれ)が出ます(でます)と、死んで(しんで)倒れた(たおれた)人(ひと)の、頭(あたま)の向いて(むいて)いる方角(ほうがく)に当たる(あたる)村(むら)が、後始末(あとしまつ)をする事(こと)に決まって(きまって)いたからです。
 厳しい(きびしい)江戸時代(えどじだい)をしたたかに生きた(いきた)丹生(にゅう)の村人(むらびと)は、小さい(ちいさい)村(むら)が年中(ねんじゅう)、行き斃れ(ゆきだおれ)の弔(とむらい)ばかりしているのはたまらないと、皆(みな)で密か(ひそか)に相談(そうだん)し、夜明け前(よあけまえ)に岩先(いわさき)を見廻り(みまわり)、死者(ししゃ)がありますと、その頭(あたま)を深名(ふかな)の方(ほう)へ向けた(むけた)そうです。


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