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富浦の昔ばなし 第二集

 事業名 <郷土学>富浦に伝わる民話集の編纂と地域再発見
 団体名 NPO富浦エコミューゼ研究会 注目度注目度5


天狗(てんぐ)にさらわれる
 昭和(しょうわ)の二十年代(にじゅうねんだい)(一九四五〜一九五四)のある日(ひ)、八束(やつか)の小学校(しょうがっこう)を数日(すうじつ)休んで(やすんで)いたH君(くん)が登校(とうこう)するなり、
 「俺(おれ)は天狗(てんぐ)にさらわれていたらしい。」
と、クラス仲間(なかま)に話した(はなした)ため、その話(はなし)を信じる(しんじる)か信じない(しんじない)かで、学校中(がっこうじゅう)が騒ぎ(さわぎ)になったことがありました。
 H君(くん)は当時(とうじ)、宮本城址(みやもとじょうし)(城山(しろやま))の近く(ちかく)に住む(すむ)農家(のうか)の少年(しょうねん)でしたが、ある日(ひ)、一人(ひとり)で遊んで(あそんで)いますと、昔話(むかしばなし)で聞いた(きいた)ような天狗(てんぐ)が現れ(あらわれ)、
「儂(わし)は城山(しろやま)(宮本城址(みやもとじょうし))に棲み(すみ)、八束(やつかい)の高い(たかい)山(やま)を巡回(じゅんかい)している天狗(てんぐ)だ。小僧(こぞう)、今(いま)から儂(わし)と一緒(いっしょ)に回ろう(まわろう)。さあ肩(かた)に掴まれ(つかまれ)。」
と、いうや否や(いなや)、H君(くん)を背(せ)に乗せ(のせ)鳥(とり)のように空(そら)へ舞い上った(まいあがった)のです。
 天狗(てんぐ)は城山(しろやま)の上(うえ)を三度(さんど)回り(まわり)ますと、尾根(おね)づたいに外(そと)の高い(たかい)山(やま)へ飛んで行き(とんでいき)、大きな(おおきな)松(まつ)の木(き)があると一休み(ひとやすみ)して、その辺り(あたり)の山(やま)の話(はなし)を聞かせ(きかせ)ました。
 城山(しろやま)に帰った(かえった)のは半日(はんにち)ぐらい過ぎた(すぎた)時間(じかん)でしたが、天狗(てんぐ)は姿(すがた)を消し(けし)ながら言い(いい)ました。
 「お前(まえ)の家族(かぞく)が心配(しんぱい)して、此処(ここ)へ捜し(さがし)に来る(くる)ので待って(まって)いろ。此処(ここ)を動く(うごく)と家(いえ)へ帰れなく(かえれなく)なるぞ。」
 H君(くん)は、間も無く(まもなく)探し(さがし)に来た(きた)家族(かぞく)に会えた(あえた)のですが、驚いた(おどろいた)のは、家(いえ)を遊び(あそび)に出て(でて)から三日(みっか)も過ぎて(すぎて)いると聞かされた(きかされた)ことです。
 
 
天狗(てんぐ)を撃った(うった)夢(ゆめ)
 むかし、鉄砲撃ち(てっぽううち)が道楽(どうらく)で、百姓仕事(ひゃくしょうしごと)を少し(すこし)もしない男(おとこ)が八束(やつか)にいました。
 その男(おとこ)が、ある冬(ふゆ)の日(ひ)、雉(きじ)を撃ち(うち)に山(やま)へ入った(はいった)のですが、なぜかその日(ひ)は、山(やま)がシーンとして小鳥一羽(ことりいちわ)いないのです。
 「今日(きょう)は変(へん)だな、何(なん)で鳥(とり)が一羽(いちわ)もいねんだっぺ。昼飯(ひるめし)でも食って(くって)一休み(ひとやすみ)するか。」
 男(おとこ)は、そう呟き(つぶやき)ながら、大きな(おおきな)松(まつ)の木(き)の根元(ねもと)に腰掛けて(こしかけて)弁当(べんとう)を食べ始め(たべはじめ)ました。するとそこへ、ミミズが地面(じめん)から出て来た(でてきた)のです。
 「冬(ふゆ)だっちゅうに、メメズが出て来た(でてきた)とは珍しい(めずらしい)なあ。」
と見て(みて)いますと、そこへ蛙(かえる)が出て来て(でてきて)、そのミミズをパクリと食って(くって)しまいました。すると今度(こんど)は蛇(へび)が出て来て(でてきて)、その蛙(かえる)をグビンと飲んで(のんで)しまいました。
 「へえー、こんな面白え(おもしれえ)事(こと)を見ん(みん)のは初めて(はじめて)だなあー。」
と感心(かんしん)していますと、今度(こんど)は雉(きじ)が飛んで来て(とんできて)、蛇(へび)を捕まえ(つかまえ)食べ始めた(たべはじめた)のです。
 「やや、雉(きじ)が現れた(あらわれた)とは有り難い(ありがたい)、今日(きょう)初めて(はじめて)の獲物(えもの)だ。」
 男(おとこ)は雉(きじ)に鉄砲(てっぽう)を向けた(むけた)のですが・・・。
 「待て(まて)よ。今日(きょう)は不思議(ふしぎ)な日(ひ)だ、メメズを蛙(かえる)が食い(くい)、それを蛇(へび)が飲み(のみ)、それを又(また)、雉(きじ)が食う(くう)。もしかすっと、この俺(おれ)を殺す(ころす)べえって奴(やつ)がいっかも知んねえ(しんねえ)な。」
 雉(きじ)を撃つ(うつ)のを止め(やめ)、辺り(あたり)を見まわす(みまわす)と、何(なん)と松(まつ)の木(き)の上(うえ)に、自分(じぶん)を狙って(ねらって)いる天狗(てんぐ)がいたのです。
 驚いた(おどろいた)男(おとこ)が、夢中(むちゅう)で天狗(てんぐ)めがけて鉄砲(てっぽう)を撃ち(うち)ますと、みごとに弾(たま)が命中(めいちゅう)し、天狗(てんぐ)の体(からだ)から羽根(はね)が二〜三枚(にさんまい)舞い落ちて来ました(まいおちてきました)。
 その時(とき)、男(おとこ)はハッと目(め)が醒めた(さめた)のです。男(おとこ)は弁当(べんとう)を食べて(たべて)腹(はら)いっぱいになり、寝て(ねて)いたのです。
 「俺(おれ)は毎日(まいにち)のように殺生(せっしょう)な事(こと)ばっかりしていっから、こんな夢(ゆめ)を見た(みた)に違え(ちげえ)ねえ。」
 そう思った(おもった)男(おとこ)は、鉄砲撃ち(てっぽううち)を止めて(やめて)、百姓仕事(ひゃくしょうしごと)を一所懸命(いっしょけんめい)するようになりました。
 
 
金(きん)の竜(りゅう)の脱出跡(だっしゅつあと)
 大房岬(たいぶさみさき)の弁天洞窟(べんてんどうくつ)は、大昔(おおむかし)から那古弁天(なごべんてん)まで続いて(つづいて)いるという話(はなし)がありますね。
 弁天洞窟(べんてんどうくつ)は何万年(なんまんねん)も前(まえ)の海蝕(かいしょく)で造成(ぞうせい)されたものですが、岬(みさき)が修験道(しゅげんどう)の霊地(れいち)だったため、洞窟造成(どうくつぞうせい)の訳(わけ)が不思議(ふしぎ)な話(はなし)になっています。
 『太武佐不動縁起(たいぶさふどうえんぎ)』(多田良(ただら)・代田家文書(しろたけもんじょ))によりますと。
 文武天皇(もんむてんのう)の大宝元年(たいほうがんねん)(七〇一)に、役小角(えんのおづぬ)が伊豆(いず)の大島(おおしま)から、毎夜(まいよ)飛来(ひらい)して、石室(いしむろ)を穿ち(うがち)、不動明王(ふどうみょうおう)をお祀り(まつり)しましたが、そのとき、旅船(たびぶね)や漁船(ぎょせん)や人畜(じんちく)に害(がい)をした海賊(かいぞく)の頭(かしら)を捕えて(とらえて)縛り(しばり)、断崖(だんがい)の窟(いわや)へ閉じ込めた(とじこめた)のです。
 それから百五十年(ひゃうごじゅうねん)の歳月(さいげつ)が流れて(ながれて)、文徳天皇(ぶんとくてんのう)の仁寿元年(じんじゅがんねん)(八五一)に、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の慈覚大師(じかくだいし)が、東国(とうごく)へ仏教(ぶっきょう)を広める(ひろめる)旅(たび)の途中(とちゅう)、太武佐不動(たいぶさふどう)も訪れ(おとずれ)ましたが、その折(おり)、大師(だいし)の前(まえ)に現れた(あらわれた)青い(あおい)衣(ころも)をまとった童女(どうじょ)の願い(ねがい)を聞き入れ(ききいれ)、窟(いわや)に閉じ込められて(とじこめられて)いた海賊(かいぞく)の頭(かしら)の罪(つみ)を許して(ゆるして)やったのです。
 罪(つみ)を許されて(ゆるされて)喜んだ(よろこんだ)海賊(かいぞく)の頭(かしら)は、数丈(すうじょう)(一丈(いちじょう)は約(やく)三メートル(さんメートル)の金(きん)の竜(りゅう)となって、仏教(ぶっきょう)を守護(しゅご)しようと天界(てんかい)へ飛び去り(とびさり)ましたが、その金(きん)の竜(りゅう)の脱出(だっしゅつ)した跡(あと)が、今(いま)の大房弁天洞窟(たいぶさべんてんどうくつ)だというのです。
 
 
山(やま)の女(おんな)お化け(おばけ)
坊(ぼう)やはよい子(こ)だねんねしな
ねんねしないと山奥(やまおく)の山奥(やまおく)の
女(おんな)お化け(おばけ)がとりに来る(くる)
 大正(たいしょう)の初め(はじめ)まで八束(やつか)で唄われて(うたわれて)いた子守歌(こもりうた)ですが、むかし、山奥(やまおく)の集落(しゅうらく)では、小さい(ちいさい)子供(こども)が泣いたり(ないたり)、夜遅く(よるおそく)まで寝ず(ねず)にいますと、『山(やま)の女(おんな)お化け(おばけ)』と言う(いう)恐ろしい(おそろしい)話(はなし)を聞かせて(きかせて)床(とこ)に付かせ(つかせ)ました。
 「早あ(はやあ)寝ねえ(ねねえ)と、草(くさ)や木(き)まで寝る(ねる)っちゅう丑三つ(うしみつ)(午前二時(ごぜんにじ))頃(ごろ)に、山奥(やまおく)から女(おんな)お化け(おばけ)が出て来っぞ(でてくっぞ)。その女(おんな)お化け(おばけ)は、きれいな顔(かお)して、赤え(あけえ)蹴出し(けだし)(婦人(ふじん)が腰巻(こしまき)の上(うえ)に重ねて(かさねて)着る(きる)もの)を着て居っだあ(きていっだあ)。そいつが、俺(おら)が井戸(いど)んそばで、シャキシャキって米研ぐ(こめとぐ)みてえな音(おと)を、白え(しれえ)歯(は)を噛んで(かんで)させっだあ。遅う(おそう)寝る(ねる)子(こ)どもを連れん来た(つれんきた)合図(あいず)の音(おと)だぞ。その女(おんな)お化け(おばけ)のそばに行く(いく)とな、女(おんな)お化け(おばけ)は音(おと)も立てねえ(たてねえ)で歩び出す(やあびだす)だ。こっちが止まっと(とまっと)、二足三足先(ふたあしみあしさき)でな、優しゅう(やさしゅう)手招き(てまねき)すっだ。又(また)、こっちが近付う(ちかづう)と、すうっと先(さき)さ行ぐ(いぐ)だ。怪しい(あやしい)こったと思って(おもって)止まっと(とまっと)、又(また)、手招き(てまねき)すっだ。その内(うち)に何時ん間(いつんま)にか山奥(やまおく)へ連れ込まれて(つれこまれて)しまうだ。おっかねえぞ、早あ(はやあ)寝ろ(ねろ)。」
 
 
口裂け女(くちさけおんな)
 幽霊(ゆうれい)や狐(きつね)に化かされた(ばかされた)話(はなし)が、すっかり廃れた(すたれた)昭和四〜五十年(しょうわしごじゅうねん)(一九六五〜一九七五)頃(ころ)、子供(こども)たちの間(あいだ)に、新しく(あたらしく)怖い(こわい)話(はなし)が全国(ぜんこく)に流行(りゅうこう)しました。口裂け女(くちさけおんな)の話(はなし)です。八束(やつか)でも小学校(しょうがっこう)の生徒(せいと)の間(あいだ)に、本当(ほんとう)にあった事(こと)として噂(うわさ)が広がり(ひろがり)ました。
 八束(やつか)の場合(ばあい)は、昔(むかし)から、そんな怪しげ(あやしげ)な事(こと)が起きる(おきる)場所(ばしょ)は、深名(ふかな)のザーザンボ辺り(あたり)と決まって(きまって)います。ある日(ひ)、学校帰り(がっこうがえり)の生徒(せいと)が数人(すうにん)、ザーザンボを通り(とおり)かかりますと、腰(こし)めぐり橋(はし)の欄干(らんかん)から身(み)を乗り出し(のりだし)、下(した)の滝壺(たきつぼ)を覗き込んで(のぞきこんで)いた若い(わかい)女(おんな)の人(ひと)が、その生徒(せいと)たちに、
「今日(きょう)は学校(がっこう)の帰り(かえり)が遅い(おそい)ね。」
と、声(こえ)を掛けた(かけた)のです。でもなぜか、女(おんな)の人(ひと)の顔(かお)は、滝壺(たきつぼ)を覗いた(のぞいた)ままでした。
 ある生徒(せいと)が、どこの家(いえ)の人(ひと)かなと思い(おもい)、
「お姉さん(おねえさん)は誰(だれ)ですか。」
と、聞き(きき)ますと、ようやく顔(かお)を振り向けた(ふりむけた)若い(わかい)女(おんな)の人(ひと)は、生徒(せいと)たちの問い(とい)には答えず(こたえず)、
「私(わたし)の顔(かお)どう思う(おもう)。きれいでしょ。」
と、言い(いい)、にやっと笑った(わらった)のです。ところが何(なん)と、笑った(わらった)口(くち)が耳(みみ)のそばまで大きく(おおきく)裂けた(さけた)のです。
 


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