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富浦の昔ばなし 第二集

 事業名 <郷土学>富浦に伝わる民話集の編纂と地域再発見
 団体名 NPO富浦エコミューゼ研究会 注目度注目度5


本生小学校(ほんしょうしょうがっこう)
 八束地区(やつかちく)に、今(いま)の八束小学校(やつかしょうがっこう)の前身(ぜんしん)である五明小学校(ごめいしょうがっこう)が存在(そんざい)した事(こと)は、たくさんの人(ひと)が知って(しって)います。しかし、更(さら)にその前(まえ)、名称(めいしょう)を釈尊(しゃくそん)の善行(ぜんこう)を説いた(といた)経(きょう)から採用(さいよう)した、「本生(ほんしょう)」と呼ぶ(よぶ)小学校(しょうがっこう)の存在(そんざい)を知る(しる)人(ひと)は、多く(おおく)ないようですね。
 その小学校(しょうがっこう)は、明治十六年(めいじじゅうろくねん)(一八八三)二月(にがつ)に、深名村(ふかなむら)・丹生村(にゅうむら)・大津村(おおつむら)・宮本村(みやもとむら)・居倉村(いぐらむら)・手取村(てどりむら)・小原村(こばらむら)(今(いま)の館山市小原(たてやましこばら))・福澤村(ふくざわむら)の八ヶ村(はちかそん)が合同(ごうどう)で開校(かいこう)し、校名(こうめい)を五明(ごめい)と改めた(あらためた)明治二十年(めいじにじゅうねん)(二八八七)まで続いた(つづいた)のですが、長い(ながい)歳月(さいげつ)が経過(けいか)し、その上(うえ)、詳しい(くわしい)資料(しりょう)も残って(のこって)いませんから、誰彼無し(だれかれなし)に忘れ去って(わすれさって)しまったのです。
 そのため、学校(がっこう)の沿革(えんかく)を調べる(しらべる)ときは、何時(いつ)も困り(こまり)ましたが、幸い(さいわい)にも、明治十八年(めいじじゅうはちねん)(一八八五)に作られた(つくられた)、『本生小学校(ほんしょうしょうがっこう)・取調条項(とりしらべじょうこう)』という、書類(しょるい)の写し(うつし)が発見(はっけん)できましたので転記(てんき)しました。当時(とうじ)の八束地区(やつかちく)にあった小学校(しょうがっこう)の様子(ようす)を知る(しる)上(うえ)で、参考(さんこう)になると思い(おもい)ます。
 
(拡大画面:104KB)
 
 序で(ついで)に明治十八年(めいじじゅうはちねん)(一八八五)度(ど)、本生小学校出納録(ほんしょうしょうがっこうすいとうろく)を追記(ついき)しますと、一ヶ年(いっかねん)の学区内八ヶ村資金利子収入高(がっくないはちかそんしきんりししゅうにゅうだか)は、十四円二十二銭(じゅうよえんにじゅうにせん)で、支出金総高(ししゅつきんそうだか)は十三円六十八銭五厘(じゅうさんえんろくじゅうはっせんごりん)でした。
 その内訳(うちわけ)は、教員給料(きょういんきゅうりょう)五円五十銭(ごえんごじゅっせん)(一人(ひとり))、助手(じょしゅ)給料五円(きゅうりょうごえん)(一人(ひとり))、小使い給料(こづかいきゅうりょう)一円(いちえん)、校舎借用料(こうしゃしゃくようりょう)一円(いちえん)、薪炭料(しんたんりょう)三十五銭(さんじゅうごせん)、諸雑費(しょざっぴ)八十三銭五厘(はちじゅうさんせんごりん)で差引(さしひき)五十三銭五厘(ごじゅうさんせんごりん)の残(ざん)でした。なお、此の(この)年(とし)の米一俵(こめいっぴょう)の価格(かかく)は一円八十四銭(いちえんはちじゅうよんせん)。本生小学校生徒(ほんしょうしょうがっこうせいと)の使った(つかった)教科書代(きょうかしょだい)は、一冊二十銭(いっさつにじゅっせん)くらいでした。
 
 
関東大震災(かんとうだいしんさい)
 九月一日(くがつついたち)は防災(ぼうさい)の日(ひ)ですが、これは大正十二年(たいしょうじゅうにねん)(一九二三)の九月一日(くがつついたち)に起きた(おきた)、関東大震災(かんとうだいしんさい)を記念(きねん)して制定(せいてい)されたものです。
 「災害(さいがい)は忘れた(わすれた)頃(ころ)にやってくる。」と言い(いい)ますが、私(わたし)たちの住む(すむ)富浦(とみうら)も関東大震災(かんとうだいしんさい)の時(とき)、大被害(だいひがい)を受けた(うけた)ことを忘れず(わすれず)に、心(こころ)して暮らして(くらして)行かねば(いかねば)なりません。
 『安房震災誌(あわしんさいし)』(大正十五年三月(たいしょうじゅうごねんさんがつ)・安房郡役所発行(あわぐんやくしょはっこう))に、記載(きさい)されている旧富浦村(きゅうとみうらむら)の被害状況(ひがいじょうきょう)は、総戸数九百六十戸(そうこすうきゅうひゃくろくじゅっこ)の内(うち)、全壊六百九十戸(ぜんかいろっぴゃくきゅうじゅっこ)、半壊十五戸(はんかいじゅうごこ)、焼失三戸(しょうしつさんこ)です。つまり全戸(ぜんこ)の八十八(はちじゅうはち)パーセントが被害(ひがい)を受けた(うけた)ことになるのです。死者(ししゃ)は百一名(ひゃくいちめい)、負傷者十七名(ふしょうしゃじゅうちしめい)、住居(じゅうきょ)の無くなった(なくなった)者(もの)は三千六百十四名(さんぜんろっぴゃくじゅうよんめい)を数え(かぞえ)ました。土砂崩れ(どしゃくずれ)によって、地形(ちけい)が大きく(おおきく)変わった(かわった)所(ところ)もできました。
 『安房震概(あわしんがい)』(八束村福澤(やつかむらふくざわ)・忍足政暢著(おしだりまさのぶちょ))は、
 
と記して(しるして)います。
 


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