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七面大天女様(しちめんだいてんにょさま)
 南無谷(なむや)の七面山(しちめんざん)に、日蓮宗(にちれんしゅう)の守護神(しゅごしん)・七面大天女様(しちめんだいてんにょさま)が祀られて(まつられて)います。
 七面大天女様(しちめんだいてんにょさま)はどんな神(かみ)かと言い(いい)ますと、福徳(ふくとく)を授ける(さずける)吉祥天(きちじょうてん)(古代(こだい)インドの女神(めがみ)・容貌端麗(ようぼうたんれい))の生まれ変わり(うまれかわり)ですから、たいそうな美女(びじょ)で、鬼門(きもん)の一方(いっぽう)だけを閉じて(とじて)七面(しちめん)を開く(ひらく)神(かみ)です。また、この大天女様(だいてんにょさま)は昔(むかし)から正体(しょうたい)が蛇(へび)だと言われ(いわれ)、幾つか(いくつか)の話(はなし)があります。
 甲斐(かい)・身延(みのぶ)の谷間(たにま)に大きな(おおきな)岩(いわ)があり、日蓮聖人(にちれんしょうにん)は何時(いつ)もその岩(いわ)に腰(こし)を掛け(かけ)、弟子(でし)や信者(しんじゃ)に説法(せっぽう)をしていましたが、いつしか、その説法(せっぽう)の聴衆(ちょうしゅう)の中(なか)に美女(びじょ)が加わり(くわわり)、いろいろと世話(せわ)をするようになりました。日蓮聖人(にちれんしょうにん)はかねてから、その美女(びじょ)の発する(はっする)怪しげ(あやしげ)な気(け)を感知(かんち)していましたので、ある日(ひ)、正体(しょうたい)に戻る(もどる)よう言って(いって)、花瓶(かびん)の水(みず)をかけたところ、美女(びじょ)は消えて(きえて)、一丈(いちじょう)(約(やく)三(さん)メートル)ほどの毒蛇(どくじゃ)が姿(すがた)を現した(あらわした)のです。
 やがて元(もと)の美女(びじょ)に戻った(もどった)毒蛇(どくじゃ)は、山(やま)の中(なか)へ消え(きえ)ましたが、その時(とき)、日蓮聖人(にちれんしょうにん)に言い(いい)ました。
「私(わたし)は身延(みのぶ)の山(やま)に棲む(すむ)七面大天女(しちめんだいてんにょ)である。今(いま)より後(のち)は、この山(やま)を、水難(すいなん)・火難(かなん)・兵難(へいなん)から護り(まもり)、また法華経(ほけきょう)を信じ(しんじ)、回向(えこう)する者(もの)には、その願い(ねがい)の総て(すべて)を聞き届けて(ききとどけて)上げよう(あげよう)。」と。
 
 
七面大天女様(しちめんだいてんにょさま)の嫉妬(しっと)
 「鏡(かがみ)よ、鏡(かがみ)よ、この国(くに)で誰(だれ)が一番(いちばん)美しい(うつくしい)か知って(しって)いるかい。」
 西洋(せいよう)のある王様(おうさま)の美しい(うつくしい)お后(きさき)が、魔法(まほう)の鏡(かがみ)に向って(むかって)言い(いい)ますと、
「亡くなった(なくなった)前(まえ)のお后(きさき)の姫様(ひめさま)だ。」
と鏡(かがみ)が答え(こたえ)ましたので、お后(きさき)は心(こころ)のあまり良くない(よくない)方(かた)でしたから、怒って(おこって)、その姫様(ひめさま)を猟師(りょうし)に殺す(ころす)よう命じ(めいじ)ました・・・。
 この話(はなし)は、グリムの童話(どうわ)『白雪姫(しらゆきひめ)』の一節(いっせつ)ですが、昔(むかし)はどこにも自分(じぶん)より美人(びじん)が居る(いる)のを好まない(このまない)女性(じょせい)がいたようです。
 伝説(でんせつ)ですが、南無谷(なむや)・七面山(しちめんざん)の七面大天女様(しちめんだいてんにょさま)も、大昔(おおむかし)、人里(ひとざと)近い(ちかい)山(やま)の下(した)に御座し(おわし)ました頃(ころ)は、やはり同じ(おなじ)考え(かんがえ)をお持ち(もち)で、南無谷村(なむやむら)に美人(びじん)の赤ちゃん(あかちゃん)が生まれ(うまれ)ますと、嫉妬(しっと)して早死に(はやじに)させ、また、村(むら)に美人(びじん)の嫁(よめ)さんが来ます(きます)と、たちまち後家(ごけ)にさせたというのです。
 しかも大天女様(だいてんにょさま)は、本体(ほんたい)のお姿(すがた)が蛇(へび)だと言われ(いわれ)ますから、たいそう執念深く(しゅうねんぶかく)、美人(びじん)たちに次ぎ次ぎ(つぎつぎ)災い(わざわい)を振り(ふり)かけたそうです。
 今(いま)の大天女様(だいてんにょさま)は、全て(すべて)の人(ひと)を優しく(やさしく)お護り(まもり)くださっておりますが、そうお成り(なり)になったのは、村人(むらびと)たちがある年(とし)に、大天女様(だいてんにょさま)の御心(おこころ)を変えて(かえて)美人(びじん)の沢山(たくさん)住む(すむ)村(むら)にしようと、海(うみ)が見えて(みえて)景色(けしき)の良い(よい)、今(いま)の場所(ばしょ)にお移し(うつし)したからだそうです。
 
 
妙福寺(みょうふくじ)
 日蓮聖人(にちれんしょうにん)ゆかりの妙福寺(みょうふくじ)(南無谷(なむや))で、昭和(しょうわ)の中頃(なかごろ)に頒布(はんぷ)した『妙福寺案内(みょうふくじあんない)』を、原文(げんぶん)のまま書き写し(かきうつし)ました。妙福寺(みょうふくじ)の由来(ゆらい)を知る(しる)上(うえ)で参考(さんこう)になります。
 
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