日本財団 図書館


資料
「NPO法人盤洲里海の会」ヒアリング
日時:2004.9.22 14:00〜16:30
場所:盤洲干潟付近、金田漁港付近
対象者:理事長 金萬 智男(きんまん のりお)
ヒアリング実施者:鈴木 覚、菅家 英朗、赤見 朋晃
 
■経緯
 webサイト(http://www.satoumi.net/)を6年継続してきた。漁師も漁業者自身のために考え方を改めなければと、10数人で考え始めた。それがそのままNPO法人へ発展。2004年7月に承認されたばかり。市民と漁業者をつなぐ(漁業権があるため漁業者にはアクセスしにくい)ような役割を果たせるのではないか。基本的な主旨は、漁業ができる環境の維持と、地域の活性化。
 
■メンバー
 メンバーは主に漁師。月1程度の飲み会で話しながら進めている。水産大学出の人もいる。
 
■アサクサノリ
 アサクサノリの復活を目指す。環境問題は切り離せない。大正時代のやり方でアサクサノリが復活すれば何かが見えてくるのではないだろうか?
 アマモ(最近アマモの被害を予防するマシンができた)の復活→アサリの復活→アサクサノリの復活というシナリオ。しかし、自然保護団体からするとアマモを植えることすらままならない。
 
■考え方
 自然だけではなく、そこに人がいてこそのものだろう。
 
■企画
 盤洲干潟にボードウォークを作りたい。直接干潟を歩くと生物がいなくなる。しかし自然保護団体からは反対が大きい。
 使われていない運動公園を利用した環境教育活動をやりたい。小山から見える景色は最高。とても東京湾とは思えない。
 今のところ学校との連携はないが、挨拶はした。cornの資格を持つ者を増やし対応していきたい。
 
■他団体との関係
 うまくやっていきたい。山のグループとも。それぞれができることとできないことがある。連携しなくては無理。盤洲で活動する他の団体も方向性はいっしょ。ただ、自然を守ることこそ大事(例:草1本抜いちゃいけない)という考え方は違うと思う。9月26日[東京湾の保全を考える]シンポジウム(http://www8.ocn.ne.jp/~szk-nrys/new/bansu/bansu_guide/now/bansu_guide.htm)小櫃川河口・盤洲干潟を守る連絡会と小櫃川の水を守る会の共済。
 話の中で出てきた(+いくつか調べた)団体や人。
・金田漁協(http://www.kaneda.or.jp/
・小櫃川河口・盤洲干潟を守る連絡会
・小櫃川の水を守る会(http://www8.ocn.ne.jp/~szk-nrys/index.htm
・盤洲干潟を守る会
・海辺つくり研究会(http://homepage2.nifty.com/umibeken/
・オーシャンファミリー(http://www5.ocn.ne.jp/~ocean-f/)海野さん
・東邦大学
・ホテル三日月(http://www.mikazuki.co.jp/
 
■近隣漁協
 金田漁協が近隣では一番大きい。木更津では筑波大学と共同で研究を行っているようだ。
 
■街づくり
 自然だけという考え方では木更津が活性化していかない。ボードウォークなど人が来るしくみを。また、アサクサノリの復活事業は高齢者の収入にもなる。
 2003年に市と富士通総研の主催で4回の会談を持ったが、立ち消えた。
 木更津自然学校と近畿日本ツーリズムがエコツアーを企画している。
 
■活動の記録
地元(盤津干潟地先)でのり養殖を営む漁師
・昔の天日干しのりの復活を思い立ちそのノウハウを調査。船橋の○○氏のところに突然尋ね行く。
・干潟を自分で歩いてみるとカニがいる。いろいろ生き物がいることに気がつく。そこで、漁師として、干潟の貴重性を改めて感じ、保全したいと思ったが、これは漁協では手はつけられない部分であり、それを俺たちがやったらどうなるだろうと考えた。
・そこで、いろいろ学ぶ。またアサクサノリの復活も目指そうと考え、3年失敗して4年目になるが、今年もチャレンジしている。これをやれば東京湾で何かが見える。
・これにはお金も300万ぐらいかかるが、お金を出したいという人も現れてきている。
・同時に、かつての地先の海では、アサリではなくハマグリであったこと、アオギスもスナメリもすぐ近くまで来ていたことなどの話を聞くにつれ、そうした復元を目指したいと願うようになる。
・そこの海辺で生計を営む漁師がいなくなると、海が荒れてしまうという危機感もある。また、だんだん高齢化してきて後継者も少ない。自分は娘ふたりであり、自分の代で漁師も終わりかもしれない。
・アサリでは年収は300万円くらいしかならない。せめて何とか600万ぐらいに持って行きたいと考えている。
・そのためには一般の人にもっと海に親しみを持ってもらうようになることが大切である。
・こうした状況だが、なんとか後継者の生まれる漁業が営めるような工夫をしていきたい。と考えて、漁師仲間と相談したところ、賛同者が十数人あつまり、NPO法人を立ち上げることとなった。
・はじめ、地元や漁協では、小櫃川を守る会とかが、漁港の整備などに反対するので、環境保護活動を行い、公共工事に反対する団体を作るのか?といわれたが、地域の人々が暮らせていけるように、もっと干潟や海の環境をよくしていくための活動だと話して理解を得られるようになった。
・我々はのり養殖が本職なので、まず、のり作り体験をやろうということにした。子供たちにのりの天日干しの方法などを指導する。指導できる人は、老人なのでそうした老人に指導をお願いして、日当を5000円でも、6000円でも払えば、何らかの足しになる。そうした企画を、行政などに話したら、それは街づくりだねといわれた。
・企画のときは、専門家に頼むことが多い。大学も出ていないので、いろいろな人に聞く。聞くことで人脈もでき、新しい
・遊歩道を作りたい(尾瀬のように)。あそこで、1万人もきたらがちがちになってしまいカニもいなくなってしまうので、しかし、ほとんどの人は反対する。人の手は入れてほしくないという意見がある。
・ラムサールに登録したいとか、自然公園にしたいという人もいるが、それでは人がこなく発展がないので、あそこは拠点にしたい(干潟部分)。ああいう干潟はあそこしかないので大事にしたい。
・しかし、(保護を言う人に対しても)、相手の意見も聞き、こちらも話してお互いが理解すること(合意形成)が大切。
・しかし、鹿とか猿を保護したら、禿山になってしまう。それでいいかという問題もあり、いのししが増えすぎて困るので、わなを仕掛け、それでもっていのししなべを食べるという方がよい。人間がいてこそ自然保護がある。
・山に行って木を植えましょうというのがあるが、あれはおかしいと思う。山には山のプロがいる。海から行って、植えて、下草刈りや間伐などのケアまではとてもできないのではないか?それぞれのポジションで責任を果たし、連携するのがネットワークではないか?
・アマモの場合は、昔はアマモだらけだった。それは船外機についたりして邪魔だったが、今はない。しかし同時にあさりもカレイも車えびもいなくなってきた。というと、(漁師の)皆もそういえばそうだなと納得する。そうすると今度はアマモだなあという話になり、みんなも理解してきている。
・アマモはのりに付着して昔は取り除くのが大変だったので、あれはだめということになってきたが、今は除去装置で取れるようになり、大丈夫になった。ただしコアマモはだめである。
・ノリ業者は900人のうち100人弱約1/10になった。あとはアサリを増やしたほうがいいという考えもあり、アマモがあって、アサリも増えるというような魚場があってもいいかなというふうになってきている。
・NPOになったので、いろいろな人とつながりができ、いろいろな話をきいてそうなった。昔の地図にはアジモという場所がかいてあり、昔の人はそれが大事だということがわかっていた。今は、お金になればやるがそうでないものは邪魔者あつかいしてしまう。しかし、NPOで色々学ぶうちに、自然を守ることの重要性にだんだん気がついてきた。
・保護派の人たちで、真実でないことを大げさに言う人もいる。たとえば、アサリの減少した理由としてツメタガイが大繁殖したということであるが、実際そんなことはなく、ツメタガイは昔からいたものである。
・街作りについても、市の方から声がかかり、委員会に参加した。やる気はあったが、総研(コンサル)に発注した単年度の仕事であり、現場も見ずに話だけであり、年度が変わったら立ち消えになってしまった。
 
その他
・里海の会は、漁師十数人で全体では40人ぐらいいる。
・東京とか大阪にもいて、いろいろ支援してくれる。
・CONEの勉強も、最初は考えていなかったが、人に進められ採り始めた。
・干潟の背後に未利用の広大な民有地(1.5万坪?)がある。そこに築山があり、そこからの眺めは最高だ。
・ここを拠点化して自然体験活動や環境教育(ノリづくり体験など)をやりたい。まだ構想はたてていないが、持ち主への申し入れや、利用するための資金づくり(新日鉄など企業まわり)をやっている。
 
以上


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION