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総合物流企業が先頭に立ち海洋環境保全に努力
〜日本郵船(株)の担当者にバラスト水問題で聞く〜
はじめに
 日本の海運界は、IMOが2004年の2月に採択した「船舶のバラスト水及び沈殿物の規制及び管理のための国際条約」(以下、バラスト水管理条約)がどのような影響を与えると考えているのであろうか、また、この問題にどう取り組もうとしているのだろう。
 筆者は、梅雨の気配を感じさせない暑い日ざしが注ぐ7月初旬、世界の海運のなかでも最大手の日本郵船本社(都内)を訪ね、応対者からその考えや取り組みについて聞いた。
 1885年10月に設立された日本郵船は、海外を含めたグループ関連会社数425社、それらの従業員2万660人を有して船舶数616隻を運航し、年間1兆3,980億円(連結ベース:海運部門はその62%)を売り上げる世界でも最大規模の総合物流企業だ。
 その活動は、国際的な海上運送業を中心とした総合物流事業や客船事業などである。特徴的なのは、安全運航の達成と地球環境の保全は最重要な経営課題であるとの認識のもと、海外を含めた企業グループ全体で安全と環境への対策を推進するため、社内に「安全・環境対策推進委員会」を設置。英国の第3者審査機関ロイド レジスター クオリティ アシュアランス リミテッドによる国際規格ISO 14001の認証を取得するなど、全社を挙げて安全運航および環境の保全とその技術開発の促進に取り組んでいる点である。その環境や安全・セキュリティなどへの取り組みは、海外の投資家からも高い評価を受けている。
 
外洋での調査・研究にも協力
 「航海の往路・復路や貨物・旅客にかかわらず、すべての船舶にとって、安全かつ効率的に運航するため、バラスト水は必要不可欠なもの」と話すのは、環境マネジメントチーム長の舟山純(ふなやまじゅん)さん。
 
舟山チーム長
 
 バラスト水は、一般的には荷揚げ港でバラストタンクに注入し、荷積み港で排出され、航海中の安全性と推進性能につながる環境効率性を確保するために使われている。
 日本郵船では、アメリカの環境調査機関であるスミソニアン環境研究所(SERC)のバラスト水中の微生物などの国際間移動に関する調査に、自社が運航するコンテナ船「カリフォルニア・マーキュリー号」「サンタ・バーバラ号」の2隻が協力。微生物などの移動を防ぐのに効果的だとするバラスト水置換方法で大洋航海中に置換したものと置換しなかったものを比較し、微生物などの残存状況を調査・研究している。
 この調査協力について、舟山チーム長は「当社では、CO2の排出削減や舶用風力発電機の開発、バラスト水対策など、さまざまな取り組みを行っていますが、この調査・研究は、当社の運航スケジュールに従って定期運航しているコンテナ船の一部の場所をSERCの調査・研究の場所としてお貸しするという形で協力しているものです」と説明した。
 大洋海域でのバラスト水置換方法については、「暗闇のバラストタンクで光合成ができずに弱った生物の代わりに新たな外洋生物を取り込んだり、沿岸生物を外洋域に放出する影響を見逃すことはできない」として、その効果を疑問視する科学者もいる。
 今回、具体的な研究結果が聞けなかったのは残念だが、処理装置ができるまでの暫定として一部の地域で実施しているバラスト水の置換という手法が条約に明文化できたことで、条約発効に至るまでの各国の意見調整の経緯を推測するほかにない。
 
条約の与える影響と取り組み
 舟山チーム長は、「早いものでは2009年以降の新造船で、バラスト水5,000m3未満のものに条約付属書D-2規則に示されているバラスト水排出基準(以下、D-2基準)が適用されるということで、起工や図面承認の時期から遡ってバラスト水処理装置のスペック(仕様書)が決まっていなければならないのですが、時間的余裕がほとんどないのが現状です」と述べるとともに、条約についても「現在の段階では、技術的な問題すべてがクリアになっていません」と、将来への不透明さに不安をのぞかせる。
 たとえば、20万トン積みの大型バルカー(貨物船)では、8万トンくらいのバラスト水を積んでおり、そのバラスト水の交換作業には、通常3〜4日を要するという。
 条約におけるバラスト水の洋上での交換基準は、95%以上の交換を明記している。洋上でのバラスト水を交換するためには3つの手法がある。1つは逐次法(Sequential Method)という、タンクを完全に空にした後に再注入する方法。2つ目は溢出法(Flow-Through Method)という、タンクに注水してオーバーフローさせて交換する方法で容量の3倍の水を注入する。3つ目は希釈法(Dilution Method)という、タンクに注水しながら同時に排水する方法だが、一般的ではない。これらのいずれの方法をとっても、バラスト量の多い大型原油タンカーなどでは、交換には相当の日数を要することになる。
 さらに、交換海域は、陸から200海里以遠で水深200m 以上が原則(原則に従えない場合は、陸から50海里以遠で水深200m以上か、寄港国が設定した水域で交換)。さまざまな航路があるなか、船舶の運航計画を変更しないで交換海域で必要日数を確保することが、すべての航路で可能なのであろうか。
 「この管理条約の主旨は、その地域ごとの海洋生態系を維持するため、生物の移動を阻止することが目的。本来、バラスト水を出さなければ張り替えする必要もないはずです。暫定措置であるバラスト水の洋上交換といっても、限られた時間内にバラスト水を交換する作業は頭で考えているほど簡単ではありません。気象海象や船の船体強度の観点など厳しい環境での作業となります」と指摘するのは、日本郵船の船長でもあるプロジェクトマネージャーの藤田裕(ふじたひろし)さん。藤田さんは現在、グローバルな人材を集中的・効率的に育成することと競争力ある技術をスピーディに開発することを目的に、日本郵船が2004年4月に設立した子会社(株)MTI〈Monohakobi Technology Institute〉に出向している。
 
藤田プロジェクトマネージャー
 
 「バラスト水交換といっても、現存する一般商船では船体縦強度(船首尾方向の曲げなどに対する強度)、船の安定性、船首部の喫水、プロペラ没水、トリム(船の姿勢、船首と船尾の喫水の差)、船橋から見える視界などの要件を満たしながら運用する必要があります。交換する量についてのオペレーションとの見合いで管理することになります」と述べ、また、韓国や中国といった運航する時間や距離の短い航路については、「例えば、バラストを少なくする工夫として、重量コンクリートを固定バラストとして設置すれば、バラスト水の張り替え量が少なくて済みます。当社では、このような工夫も考えています」と取り組みを強調する。
 そして、「現在、研究開発されている処理装置は、(1)条約の排出処理基準を満たすこと、(2)大量のバラスト水を処理すること、(3)装置の設置場所を限定できるコンパクトなものであること、などの問題を抱えています。一方、どういった基準の処理をすれば承認されるのかという、処理装置の形式承認の基準もはっきりと決まっていません。ですから、どういう技術を使った装置を組み合わせれば、この条約の基準に合致する装置になるのかということを専門家の方々が検討中なのです」と現状を述べながら、条約のバラスト管理システムの承認要件(D-3規定)に定める薬品使用に関する規定も紹介し、処理する難しさに加え承認手続きの難しさについても触れ、現在IMOの分科会で装置の基準化や検査方法を詰めている段階にあることを明らかにした。
 
独自の処理装置を開発研究
 藤田プロジェクトマネージャーの説明によれば、日本郵船では2002年の夏から郵船商事、エスマック、増田研究所とともに、独自のバラスト水処理装置の研究開発にあたってきた。この処理装置は、(1)船舶内で作り使用している蒸気を活用、(2)バラスト水のパイプにはめ込むタイプでコンパクトな設計、(3)蒸気から発生するキャビテーション(圧力の急激な降下で液体が局所的に気体になる現象)の衝撃波による殺滅効果で水生生物を破壊、(4)同時に、少量のオゾンによってさらにバクテリアなどの殺菌効果を高める、という仕組みのものだという。
 東京海洋大学の社会連携推進共同研究センターでのアルテミア(昔のシーモンキーといわれたもので熱帯魚の餌)という動物プランクトンを使った実験では、1次で83%処理という高い効率を得、2次ではほぼ100%に近い処理効果を確認した。アルテミアは、動物プランクトンではかなり強い種類であることから、通常のプランクトンや渦鞭毛藻などの植物プランクトンに対して高い効果を示すことが期待されている。なお、流量は毎時30トンだったが、海水中の一般細菌にも十分な効果をあげることを確認しているとのことだった。
 
抱える問題点
 「既存の船型には、各タンクに張ってあるバラスト水を順次いったん空にして、その後に新しい海水を取り込むようなオペレーションを考えていない船型もある。航海中のバラスト交換に耐え得るような船体強度を確保する場合、船体構造上の対策が必要となる懸念もある」と話すのは、環境マネジメントチームのメンバーである田島大典さん。
 開発された処理装置の大きさや薬品などの設置スペースいかんによっては、機関室配置に影響を与えるばかりか、カーゴスペースにも影響を与える可能性もあり、船を所有する側、運航する側にとってもこれらは負荷となる。
 
環境マネジメントチームの田島さん
 
 また、これら膨大なバラスト水の張り替え作業は従来、必ずしもすべてのサービス航路で行なわれていた作業ではない。通常の航海当直を行いながら、常に船体姿勢や、強度、安定性など、すべての条件を満たしながら実施するのは、かなり大変な状況である。
 さらに、張り替えに必要なポンプを動かすのに発電機で余分な燃料を消費してさらなるCO2を発生させるなど、生態系の維持には貢献できても、一方で地球全体の環境に余分な負荷を与えるという悩みが、現実の状況なのである。
 バラスト水は、安全性と効率性に配慮して計画した航路のうちで200海里、200m以上の海域を通過している間に張り替えなければならず、それができずに残った場合は、中止してその分をタンクに入れたまま積荷港に向かうか、船を漂泊させて張り替えなければならないことも予測される。特に、短距離航海に従事する船舶については、航海時間に対するバラスト張り替え時間の影響がより大きくなる。
 
定期船航路の主力であるコンテナ船
 
 寄る港によっては「この海域で張り替えなさい」といった指示を受けることも考えられ、もしそうなれば安全性はもとより、経済合理性や環境効率性に配慮して計画している運航計画から離脱せざるを得ず、オペレーションに大きな影響を与える可能性もある。
 
おわりに
 日本郵船では、このようなバラスト水の問題も「社会的な責任を果たす環境保全活動のなかで対応していかなければならない課題の1つ」と位置付け、積極的に取り組んでいる。
 また、「取り組み結果が、世界の海運企業の皆さんに役立つというものになれば、環境ビジネスにもつながる」と期待し、新しい技術・装置の開発にも力を注いでいる。
 最後に、舟山チーム長は「むやみに資金を投入し開発をエスカレートするのではなく、本当にそれが地球環境のためになるということや、われわれが取り組まなければならないものの実効性を、見極め確認しながら、果たさなければならないことは積極的に行っていくつもりです」と会社の方針を率直に代弁し、話を結んだ。
 


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